なぜ映画の中のハッカーはキーボードを叩くのか
2011-05-20 06:58
昨日こんな記事を見つけた。
何故いつまで経ってもハッキング描写は変わらないのか
結論を書きますと、「誰が見てもそれが一番わかりやすいから」だと思います。終わり。
via: 何故フィクションの中のハッカーは物凄い速さでキーボードを叩くのか - 戯れ言
間違っている。とっても間違っている。馬鹿馬鹿しいくらい間違っている。
ものすごく長々しく書いているが、多分この人は自分がマウを使ってコンピュータを操作している姿を見たことがないのだと思う。
理由は簡単で、「そのほうがかっこいい」からだ。もっと言えば「マウスを使ってコンピュータを使っている姿は美しくない」からだ。
ではなぜそうなるのか?
これについてはまだ考えている途中なのだが、書いてみよう。
GUIというのは、コンピュータが提示する部品に対して、人間がそこをポインティングしなければならない。つまりマウスを動かしている間、主体はディスプレイ上に表示された画面であり、人間はそれに一生懸命追従しているわけだ。
であれば、その時の人間の姿が美しいわけがない。ご主人様に付き従っている従者のようなものだ。
逆に
CUIでコマンドを叩き込んでいる姿というのは、椅子にふんぞり返って命令を下しまくる上役のようなものだ。コマンドに習熟していれば、
「意のままにコンピュータを操る」
ことができる。主体は人間様のほうにある。つまり姿がかっこよくなるわけだ。
---------
最近vimなるエディタ(正確に言えばEclipseでのプラグインであるが)を使っている。未だに自分が入力したテキストがコマンドとして実行されると慌てる。モードを持たせてはいけない、というのは正しいと思う。
しかしこのviという「ゴミのようなインターフェース」が21世紀にはいって10年もたつ未だに生き残っているという事実には感銘を受けざるを得ない。ユーザインタフェースの教科書に書いてあるありとあらゆる「悪いインタフェース」の要素を備えながらも、未だに反映しているのだ。
であれば
間違っている(控えめに言うと「改善の余地がある」)のはユーザインタフェースの教科書のほうではなかろうか。
---------
画面に表示された部品を一生懸命クリックしようとマウスを動かす人と、頭の中で組み立てられたコマンド群をばしばし叩き込む人の姿では傍からみてかっこ良さは段違いだ。
かっこよさだけではなく、これには
「主記憶と補助記憶」
の区別も関係しているのではないか、と考えている。
viを使おうと思えば、頭の中で自分がやりたいことをコマンド列に変換する必要がある。つまり主記憶-脳の中である程度の作業が必要なわけだ。
逆にGUIを使う場合、選択可能な操作は画面上にでている。これは外部に存在しているわけだ。ユーザはそこを「間接的に」選択に行く。
知識が外部に存在しているだけ、人間の脳は楽ができる。しかし外部とのI/Oにかかる時間だけ、効率は落ちる、、とかなんとかこんな理屈がなりたたないかな、と時々考える。