ユーザ体験あれこれ
2011-05-25 07:12
最近会社のLibraryで借りたこの本を読んでいる。
素晴らしいカスタマーサービスを提供することで成功してきたザッポスという会社の本だ。CEOが自ら執筆しており、ゴーストライターが書いたありきたりな「成功者の自慢物語」になっていないところがすばらしい。この本を読んだだけで私のような単純な人間は「ザッポスで買い物をしたい」と思うほどである。
さて、このCEOが行った講演のスライドがネット上に公開されていた。そこにこんな言葉がある。
他人は、あなたが何をしたか、何を言ったか正確には覚えていない。 しかしあなたがどんな風に感じさせたかはいつも覚えている。
年をとるごとに痛感することだが、人間は感情の動物である。「正しい」など感情の嫌悪の前には軽く吹っ飛ぶ。
ユーザーエクスペリエンスがどうのというが、平たくいえば「ユーザが何を感じるか」である。このことについてはやたら本など読んだが、先日珍しくそれを体験する出来事があった。
ゴールデンウィークに中禅寺湖に行った。ホテルで夕食を取る。最初の日は子ども二人に一つずつ子供セットを頼んだ。しかし下の子はほとんど食べなかった。
それを見たお父さんは「明日は他の人のを分ければよい」と宣言した。
翌日、テーブルについてくれた人に「子供向けの安い単品はありませんか?」と聞くがセットで安くしているので、単品にするとより高くなると言う。じゃあ取り分けにしましょう。
しばらくたって男性がまたきて「相談して、スパゲティならできるとのことですが」といってくれる。しかしうちの子供はスパゲティをあまり食べたことがないのであった。申し訳ないと思いながら断る。
では、ということで取り分けて食べている。すると「これ他のテーブルで余ったものです」といってスープを持ってきてくれた。感謝感激である。下の子どもはスープを飲み、パンと他のかおず(大人が分けたものだ)をたべご機嫌。そして
「いい子にしてたら、シャーベットもってきてあげるよ」
といった男性は本当に持ってきてくれた。
こうしたサービスに、いくら費用がかかったか私にはわからないが、もしまた日光に行くことがあれば、このホテル(日光レークサイドホテル)にいこう、と素直に思える。
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さて、下界に降りてくれば、全然違った「ユーザエクスペリエンス」が待っている。お金がないからお昼はすき家にしよう。弁当を売っているところにいけば
「生姜焼き弁当 580円」
と看板がでている。これにしよう。注文すると相手は「豚汁でよろしいですか?」と答える。
ぼんやり「はい」などと答えるとお金を払うときに「640円です」と言われ愕然とする。あとで気がついたのだが、すき家とかは、単品の値段を下げているから、あれこれ付けることで利益を確保する作戦なのだな。私はそれにまんまとはまったわけだ。
ええい、すき家にもう行くものか、と思っても250円でお腹いっぱいになる方法がほかにあるだろうか。こちらが騙されなければいいだけだ。というわけで今週もすき家に向かうのであった。
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もう一つ違う例をあげよう。今日読んだaritcleだが
非言語の重要性を調べるため著者が仕組んだ実験が笑えた。立派な風貌をして、権威ある話し方のできる役者を雇って、矛盾する内容と無意味な参考文献を挙げるデタラメな講演をさせたところ、多くの聴衆が高い評価を与えたというもの。
だから、
1 信頼度は主催者に依存している
2 外見は大切です
3 熱意が大切ですとのこと。
via: パブリックスピーカーの告白 ―効果的な講演、プレゼンテーション、講義への心構えと話し方 - 情報考学 Passion For The Future
プレゼンの種類にもよるが、ここにも「感情>>理屈」の図式が見えないだろうか。内容がデタラメでも、講演者の外観が印象的で、熱意を込めて語れば聴衆の好印象を得ることができるのだ。