人と思いを共有すること

2011-06-23 06:45

先日NTT研究所のオープンハウスに行った。そこで長谷川 眞理子という人の講演を聞いた。

最初は「ふーん。プログラミングでもするか」とか思いながら聞いていたが、途中からぼこぼこTwitterに書き込み始めた。それらを引用+補完する。

類人猿は明らかに絶滅しつつある種族。

→やたら数と生息範囲が増えているのは人間だけで、他の霊長類はのきなみ「絶滅危惧種」だ。であればたしかに霊長類とは「ちょっと現れてあっというまに絶滅する」種族なのかもしれん。

言語=文法規則、意味、他者との思いの共有。チンパンジーは意味が理解できる。文法規則を理解したという証拠は無い。他者との思いの共有は薄い。世界を描写しない。子供は沢山描写する。

→言語をたくさん理解できる研究における「スター」というチンパンジーがいるのだそうな。しかしそうしたチンパンジーは、自分の欲求に関することしかしゃべらない。
逆に人間の子供は、自分が感心を持ったものに関してうるさいくらい周りの人に言って聴かせる。チンパンジーはそうしたことを一切しないとのこと。

振り返ってみると、なぜ人間は、自分が感心したものについて他人に聞かせたがるんだろうね。「思いを共有したい」という願望が遺伝子のどこかに書いてあるのか。

悲しみの表現は文化毎に異なっておりわかりづらい。そもそもなぜ悲しみを表現するのか?他者の同感を得るため。そうした同感をえるための感情表現は言語が生まれる前からあった。

→人間が様々な感情を表現した写真をとり、それをことなる文化圏の人にみせて感情を推測させるのだそうな。すると「悲しみ」の表現が一番推測しづらいとのこと。

自閉症は、他者の感情理解が弱いこと。統合失調症は逆に他者の感情推測が暴走している状態ではないか。他者が自分を攻撃するという妄想等 

→というわけでまとめなおしてみると、講演の後半は「他者と感情を共有すること」についていくつかトピックが並べられていたことに気がつくわけだ。この言葉の裏付け研究などは紹介されなかったから、未だ仮説の段階かもしれん。
しかし考え方としては興味深い。他者との感情の共有という機能が脳の中でどのように実現されているかわからないが、その部分が機能しなかったり、あるいは異常に機能することで、自閉症や統合失調症が引き起こされるのではないか、という仮説かな?

IT技術の発達により、対面情報抜き、実証抜きでの言語情報伝達が異常に広まった。もともと人間対人間の情報伝達はそうしたものではなかった。そこに危惧を感じる。 

実態としての人間から切り離された、断片的な言葉はTwitter空間上に飛び回っている。私から見ると、そこはかなり醜悪な空間だ。もともと醜悪な人間の考えが可視化されただけだろうか。あるいはIT技術の発達によりそうした要素が「花開いて」しまったのだろうか。