発言できなくなること
2011-07-05 06:35
Google+というサービスがアナウンスされた。いろいろな感想を読んでいると、やはり一番インパクトがあるのが、コネクションをグループ分けできる機能のようだ。
既存のオンライン サービスでは、すべての人間関係を「友だち」というひとつの括りにまとめてしまいますが、このことが情報の共有に様々な問題をもたらします。
- 大雑把である。ときには特定の人とだけコミュニケーションを取りたくても、オンラインではいつでもすべての人の発言が目に飛び込んできます。
- 勇気がいる。100 人以上の「友だち」に見られているオンラインでの会話は、舞台の上で発表するようなもの。皆の目を気にして情報共有も滞りがちになってしまいます。
- 繊細さに欠ける。「友だち」や「家族」の意味するところは、私たち一人ひとりによって異なります。しかしこうしたニュアンスは、オンラインでは失われてしまいます。
via: Google+ プロジェクト
Facebookにもこの機能があるらしいが、知らん。というわけでこの機能だけでも「Google+がはやってくれないかな」と思わせるに十分だ。
例をあげよう。先日知り合いの女性がプロフィールの写真を変更した。新しいヘアスタイルがとても似合っていたので、そのことをコメントしようかと思った。
しかし
ふと気がつく。この書き込みは奥様および親族にもみられるのだ。天地神明に誓ってやましいところはないのだが、しかし果たしてどうしたものか。ここで激賞したら奥様に「あたしが髪型変えたときはどうだったかしらね?」と皮肉を言われないだろうか。
結果として「似あっていますね」の一言でおしまいにせざるを得なかった。お友達が増えるというのは、発言が困難になることも意味している。まあどこかの復興担当大臣のような性格だったらそんなことは何も気にしないだろうけどね。