TVの存在意義
2011-07-29 06:38
先日こんな記事を見つけた。
テレビがネットより優れているトコロ。それは「テレビは私の怠惰を許してくれる」事でしょう。
ネットには無限のコンテンツがあり、意思をもって何か調べたい時にはテレビには不可能な事を可能にしてくれてとても便利です。が、ただ退屈をしのぎたい時にも、何を見るか自分で考えて、検索して、選ばなければなりません。これが面倒です。苦痛です。
テレビは私に何も要求しません。ただスイッチを入れれば、勝手に一方的にコンテンツを垂れ流してきます。この怠惰、この愚鈍への寛容、この安逸がテレビの素晴らしさです。
via: テレビがネットより優れているトコロ または15万件の苦情に見るネットの可能性 - mizuiro_ahiruの日記
全く同意である。前に書いたきもするのだが、任天堂のWiiにはこの点が決定的に欠けている。TVのようなコンテンツを用意はしているが、なんどもボタンを押し、選ばなくては映像に辿りつけないのだ。だからせっかく民放TVと遜色ないコンテンツがあり、既に多くの家庭に導入されているにお関わらず流行らない。(Wiiの間とかしらないでしょ?)問題はコンテンツではなく、インタフェースなのだ。
さて同じ記事の後半にこんな言葉もある。
既に怠惰をカバーしてくれているものもあります。例えば私は2ちゃんねるを殆ど見ませんが、2ちゃんのまとめサイトは良く見ます。無数のスレッドから面白そうなのを探し出すなんてウンザリですし、どうせROMるだけで書き込んだりしません。まとめサイトに行けば、親切な管理人さんが勝手に良スレを選び、カキコミをピックアップして短くまとめてくれています。私は、無数のスレから自分に最適なものを選ぶ自由を放棄するかわりに、何も努力せずそこに並んでいるセレクトを読む怠惰を手に入れます。退屈しのぎとしてはそれで十分楽しめます。これってまさにテレビ局が番組編成して、編集して、たまたまテレビつけた時に放送されている番組を見るのと同じです。
Gyaoやニコ動やYoutubeから適当なコンテンツを選んで、勝手に流しっぱなしにしてくれたら、テレビいらなくなるのになぁと思います。
via: テレビがネットより優れているトコロ または15万件の苦情に見るネットの可能性 - mizuiro_ahiruの日記
途中までは同意だが、最後の文章には大事なところが欠けている。前半で言っている「編集」の手間を軽視していることだ。「勝手に流しっぱなし」を自動で実現したソフトウェアは今のところ存在しない。正確に言うとその機能をもったソフトはいくつもあるが、
「真の流しっぱなし」
を実現するほどいいものはまだ普及していない、と考えている。こうなるとあれだね。人手でネット上のコンテンツだけを使って24時間番組を作る放送局とかできないだろうか。
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もうひとつはリアルタイム性、速報性である。ワールドカップで日本が活躍するたび
「家にTVがないから、スポーツバーに行く」
という人の話を聴くことになる。普段はTVをみなくても、こうしたイベントの時にはTVに頼らざるを得ないのだ。
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最後は「朝の時計がわり」私にとってTV最大の存在意義はこれである。前は他に
「NHKの面白い番組を録画して、iPodでみる」というのがあったのだが、「デジアナ変換」なるものが始まってから録画機以外で見ることができなくなった。画質はアナログと変わらないものになぜコピーワンス、というデジタル信号より強力なコピープロテクトがかかっているか理解できないが、まあいまどきTVなど見ている人間は。。。ということなのだろう。