島田某の引退

2011-08-26 07:27

いまどき民放の地上波をだらだら見ている人間は、、と考えている私です。つつがムシにかまれていませんでしょうか。

島田某という人が突然引退を表明したのだそうな。記者会見で何かしゃべったらしいが、まあその言葉には現首相と同じくらいの重みしかない。だからこういう書き込みを見て笑うことにしよう。

「紳助引退は何かを隠蔽しているに違いない」という論をちょくちょく見るが、少なくとも中日スポーツでは昨日の中日敗戦が隠蔽されていた。

via: Twitter / @til_til_mitil: 「紳助引退は何かを隠蔽しているに違いない」という論を ...

ネットを飛びかっている断片的な情報を見ているうち島田某が有力暴力団の偉い人とつきあいがあったことが伺えてきた。その情報を見て、ふとこの写真を思い出す。

ここからはそうした人たちの事情を知らない勝手な思い込みでかく。

この写真から伺えるのは「チンピラ」である。チンピラにとって日本有数の暴力団幹部と付き合える、というのはどんなに名誉なことだっただろうか。他人がなんといおうと、そうした価値観の中で生きている人たちにとってはそれはとても光栄なことだったのではなかろうか。

こうした

「●●と付き合えて光栄」

というのは、あくまでもその価値観を共有できる人たちの間だけでのみ意味を持つ。何を当たり前のことを言っているのかと問われるかもしれないが、長年サラリーマンをやっていると思わず微笑ましい場面に出会うこともある。

某自動車会社の関連会社である某自動車部品メーカーの部長さんが一席ぶったときのこと。自動車会社の役員から、自分たちが開発したものに対してお褒めの言葉をいただいた、と彼が述べたとき、心なしか顔が恥らいと喜びで赤らんだようにみえた。いい年をした部長さんがみせたその表情は未だに心にのこっている。ああ、この会社の人にとっては自動車会社の役員様からお褒めの言葉をいただくことが、なにより貴重なことなのだな、と。

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その価値観の中で「えらい」とみなされる人との出会いに喜びを感じること自体は何も悪くない。その価値観を共有しない人にとっては、そうした「喜び」は「滑稽」と映るかもしれない、ということさえ認識していれば。自分の姿が滑稽と見えるかもしれない、と認識し、それを笑い飛ばすことができるというのは、G.M.ワインバーグがとくところの大人の条件であるが、これが条件として明記されているのは、それが出来る人が少ないからでもある。