「哲学的な自分が大好き!」

2011-08-31 06:37

いきなり何を言い出したかといえば、映画ツリー・オブ・ライフである。
私が書いた映画評は本家を見ていただくとして、2chなんかみているとこうした映画が公開された際にいつも起こる「言い合い」が始まっているようだ。つまり

「この映画の哲学的な意味がわからないなんて、映画評書く資格がないんじゃない?」

というやつ。(この監督の前作品の映画評に対して、そういうお手紙をもらったことがある)

この映画は二つの要素からなりたっている。ありきたりな

「反発しながらも最後は一定の理解に達する父と息子」

「スーパーお星様ターイム」

だ。このお星様ターイムでは、馬頭星雲から首長竜から隕石の衝突まで色々出てくる。普通はここで寝てしまう。

でもってこのお星様ターイムのところに「哲学的意味」を見出す人が存在するわけだな。

この映画が「哲学的な深い意味をもった作品」だったのが「監督だけが楽しい自己満足&支離滅裂な作品」だったのかは既に結論がでている。

正直言うと、僕自身この映画の中で何をしていたのか、僕が内容に加えるべきだったものは何なのか、今もわからないんだ。その上、テリー(マリック監督)本人もそれをはっきり説明できなかったんだからね」と胸のうちを告白。

via: ショーン・ペン、『ツリー・オブ・ライフ』でのテレンス・マリック監督の演出は困惑だらけ - goo 映画

少なくとも出演者に対し自分の意図を説明し、納得させられないのであればそれは自己満足以外の何者でもない。それができた上で観客が難解だ、というのであれば話は別だが。

そもそもこの映画を「哲学的」といっている人間は哲学がなんたるかがわかっていない、と本職の人(と自称する人)が書いている。

この映画を高評価している方は実際に哲学とは何かということを知っているのでしょうか?
哲学とは基本的に物事の根本や原理を検討してそれを極める学問です、つまり、「必ず」自分の意見や思考を他人がわかるように、なぜ自分はこう思うか、ということを理論的に、説得できなければいけないのです。 それが難しいために過去から今現在に引き続き、大勢の学者がそれぞれの分野で検討し続けています。
この映画は 哲学的要素は、あるとすれば全体の10%位でしょう。しかも、他人を納得させられないこじつけた自分本位のそれらしい理屈をドキュメンタリー映像やクラシック音楽で虚飾しているだけだと思います。
自分たちは哲学を専攻し、それを職としています。が、本日 仕事仲間とこの映画を観て、
これは 哲学的要素があるように錯覚させられる映画だと実感いたしました。
哲学ではなく、監督の自己満足の作品だと思います。
ちなみに 有名な哲学者のサルトルは 一切を創造する神の存在を否定しています。/socrates_sartreさん

via: ツリー・オブ・ライフ/宇宙、人生、すべての答え | 映画感想 * FRAGILE

他人に説明できない「思想」をこねくりまわしているだけの状態は「哲学」ではない、ということだ。

-------------
しかしこうした「わけのわからない作品」というのは時代を超え常に一定の人々を引きつけるようだ。そこに「哲学的意味(それが何かは説明できないけどね)」を見出す人というのは基本的に

「哲学的な自分が大好き!」

なのだと思う。