五郎の 入り口に戻る
日付:2008/4/1
1800円|1080円|950 円|560円|-1800 円|値段別題 名一覧 | Title Index
560 円-Part11(Part10へ | Part12へ)
そういえばエージェントK(トミー・リー・ジョーンズ)ってほとんど感情表さないよね。熟女エージェントのOと何かあったみたいだけど、 教えてくれないよ ね。そんな疑問を抱いたエージェントJ。ある日出勤すると「エージェントKは40年前に死んだ」と言われるのであった。
メン・イン・ブラックだから容易に「セカイ系」に走るのは問わない事にしよう。地球を救うためには月へ向かうアポロ11号のてっぺんに登 らなくて はならない。でもって当然警備の人に捕まるわけだ。その隊長が黒人。あれ?公民権運動まっさかりで黒人が高級車を運転しているだけで警官 に止められる。その時代こんな地位に黒人が就けたのか。と思っているとちゃんと話がクライマックスの「秘密」につながる。ここだけは悪くない(というか子供を持つ親にはつらいが)
しかしそれが「人格を一変させるほどの衝撃」とか「目を背けたくなる場面」とは思えないし、可愛かったころのエージェントOとの関係は放りっぱな しである。
そうした荒さはまあいいとしよう。しかし何がどう悪いか説明できないけど全般的に退屈。途中何度携帯電話いじろうかと思った事か。考えて みれ ば「2」からもう10年なのだね。1も2も筋は荒いが面白いと思った物だが、そうした「わけのわからない面白さ」が消え落ちてしまってい る。
凝ったタイムスリップを使った御話も、筋は通っていると思うのだが、「ふーん」となってしまうのはなぜなのか。筋の破綻を省みず大胆に割 り切 ることをせず、生真面目に作ったのがいけないのかなあ。
敵役の宇宙人も結局そんなに強くなく。高所恐怖症の私としては、●●タマが縮み上がるシーンが多いことだけが印象に残る。
ティム、それにジョニー。他の人が作ったなら文句を言わないところだが、君たち二人にしては出来が悪い。α版なら解るが、、とい うわけであと3回くらい作り直すと面白くなるんじゃないかな。
その昔、魔女とは知らず使用人に手をだしたジョニデ。その呪いで心から愛した女性は死に、自分は吸血鬼になってしまった。魔女はそれだけ では飽き足らず、ジョニデを地下に封印する。しかし200年の後、何かの工事中に掘り起こされてしまうのであった。
この「よみがえる」時代というのが1970年代。予告編でそれを知ったとき
「なぜ70年代?きっと何か意味があ るに違いない。愛を読む人のように」
と思った。しかし途中から70年代はどうでもよくなる。
かつてジョニーデップの一族は、東海岸の漁業を牛耳っていた。しかし今やビジネスはうまく行かず、魔女が経営する会社にやられっぱな し。しかしジョニ デがきてから急に盛り返す。彼が使う催眠術と財宝が役立つのはわかるが、それだけでこんなに商売うまくいくのか。
そこにジョニデの元彼女にそっくりな女が家庭教師としてやってくる。「誰も長くは持たないわよ」と言われるのだが、どこがそんなに長続 きしない 理由かよくわからない。彼女は神のお導きによってジョニデと仲良くなるのだが、この奇妙な男のどこかいいのかさっぱりわからん。
といった具合に脚本が荒い。やたら強い魔女との最終決戦でいきなり二つも「新キャラ」を出すのは反則ではなかろうか。(いや、 その前から登場は しているけどさ)しかもその後何の関係もないし。バンパイアが来ても顔色一つ変えないミシェル・ファイファーはいいと思うが、例えばもう少し 強くするとかさ。吸血鬼であるジョニデを「良い人」にせず、ちゃんと「食事」させるのはいいと思うが。
かくして一番印象に残ったのは、ヘレナ・ボナム・カーターのいつもの怪演、ということになるのだが。。。まさか続編作る気じゃないよね。
映画が始まる。安っぽい造形の何かがでてきたところでうんざりする。火星には空気があって人も暮らせるくらい暖かいらしい。ふーん。
そのうち気がつく。
「これはディズニーがアバターをまねようとした結果だ」
ジェームス・キャメロンみたいな変態が作らなければアバターもこんな映画だったかもしれない。CGで作った緑の人をわらわら出せばみん な喜ぶと思った?
元南軍の将校だが今や何事も信じられず、目先のことだけにこだわる主人公。安っぽい2枚目ということ以外形容する言葉は無い。そのうちいきなり火星に飛ばされた。
そこからなんだかドンパチをやる。(どうでもいい)でもって最後はお姫様を助けるのだな。
そもそもどうしてこんな映画を見てしまったかといえば
「映画史上まれにみる赤字」
というニュースを見たから。そりゃアバターなみに仮想世界を作いるからCG会社は大変潤ったと思う。その分役者の給料は思いっきりけちったのだろう。そしてCGをたくさん使えばお客さんが来る、などというのは30年前の考えだ。ディズニーの凋落とソニーの凋落にはおそ らく類似点があるのではないかな。ふくれあがった自意識と全く伴わない実力。
どうしようもない映画なのだが、一つだけ良いシーンがあった。お姫様の部下が主人公を救いにくる。「俺を人質にしろ」といって自分で自 分に刀を突きつけるのだ。この男だけは面白いキャラクターだった。出演時間はわずかだったが彼がいなければ文句無しに-1800円だった と思う。この内容で2時間超え、というのは冗談にしてほしいが、映画を短くするということ自体とっても難しいことなのだろう。
というわけで親愛なるディズニーに一つだけ教えてあげる。火星には確かに「月」が二つある。それを知っていたのはほめてあげよう。でも ねえ、丸くないって知ってた?あととっても小さいの。まあ「そんなこと解ってる」的な自棄っぱちの場面があったから解ってやってるか。
ぼくはえいがをみている間、ずっと一つの事を考えていました。
「ニューヨークを舞台にした映画では、子役は病的に神経質な性格にしなければならない、という法律でもあるんですか?」
911で父親を亡くした子供。それ以来ありとあらゆるものが怖くなってしまった。心を落ち着かせるタンバリンを打ち鳴らし、叫び声をあ げながらニューヨークを走り回る。父が遺した壷の底に残された鍵。それが開ける物を見つければ、きっと大切な何かが見つかる筈さ!彼はよ くわからないうちそう信じ込むのであった。
映画の冒頭、少年の長い独白が続く。でもってこの独白はその後に何の関係もない。いやな予感がする。
この少年は「判定不能」のアスペルガー疑いという設定。だから反応が少なく、人の話を聞いていないのはいいとしよう。問題はそれを見せ られる観客がどう思うかだ。延々と続く彼の固い表情と奇声を聞かされるのはそう楽しい経験ではない。
主人公がそうであれば脇役に語らせるという方法もあるだろう。そうした面でもこの映画には見所が少ない。「見所」たるべき祖父は 「ぽっ」と出て、よくわからないまま消える。というかあの偶然がなければ、彼はずっと「奇妙な間借り人」でおしまいではなかったのか。あ と主人公はどうやってAnswering Machineを買ったんでしょうねえ。結構高いよ。でもってクレジットカードもなければそんなに現金持っているってのも、、、と細かいところを気にして はいかんか。
初めて時計を観たのが開始40分後であることを知り絶望的な気持ちになる。ここは我慢だ。延々と彼の固い表情、奇声を聞かされて最後に 安らぎがあったか?話の上では存在した。しかし観ている私はそうした気持ちになれなかった。もううんざりしていたからだ。
トム・ハンクスは役柄か妙に太っている。私の苦手なサンドラ某があまりでてこないからいいか、、、と思ったが結局最後は
「私はとってもいい人なのよ!」
と台詞で確認しなければ気が済まない、いつものサンドラ某であった。
唯一おもしろいと思ったのは、祖父がドレスデン無差別爆撃の被害者であること。つまり英米が行った一般市民虐殺の被害者と言うわけ。こ こらへんは制作者の良心なのかもしれない。
予告編を観る。75歳になった父は妻の死後
「私はゲイだ」
とカミングアウトする。いや、すばらしい。そして父には恋人ができる。38歳の息子たるユアン・マクレガーはそれまでなかなか恋人と長 続きしなかったが、メラニー・ロランと知り合いになる。父も息子も恋愛のビギナーとしてあれこれ、、か。
と思っていた。これだけの名優をそろえ、すばらしいアイディアを元にしながらなぜこんなにつまらない映画を作る。そもそもメラニー・ロ ランと知り合ったのは父が死去した後なのだ。不必要に時間があっちこっちを行き来する。
「相手がゲイだと知って」結婚した母はあまり幸せな結婚生活を送らなかったようだ。ようだ、というのはそれが間接的にしか描かれないか ら。美術館のアートに合わせて姿勢を変えるとか母は面白い人のよう。しかしそうした描写は映画の面白さに何も繋がっていない。父がゲイの ビギナーとして戸惑う姿は一瞬描かれるだけ。
マクレガーとロランの恋愛も「どうでもいい」としか思えないものだ。そもそもの出会いからして「ただしイケメンに限る(男女とも)」と しか思えず、美男美女はいいですねえ。そもそも彼はどうやって恋愛ビギナーを脱出したのか。きっと
「そんな説明的な描写は不要だよ。このスタイリッシュな画面をみてよ!」
とか監督は吠えまくっているのではないかな。
思わず時計を観る。まだ1時間しかたっていないではないか。ああ、予告編にだまされた。その思いだけを抱いてあと1時間を過ごす。何が 起こる訳でもない。エンドクレジットが始まると席を立つ。
マクレガーはCDジャケットのイラストとか書いている職業らしい。自分たちの顔を元に書いてくれ、という注文主にわけのわからないイラ スト を見せる。顔を元に 書いてくれ、と再度念を押され、もっとわけのわからないイラストを見せる。地球は46億年前からとか力説するが只の馬鹿としか見えない。
ここでマクレガーが演じているのは監督の姿ではなかろうか。観客の事など微塵も考えず、とにかく「自分の思い」をスクリーンにぶつけ る。おまえはホームビデオ回して、自宅の屋根裏で鑑賞してろ。
予告編を観る。どうでもいい映画だと思う。おまけに私が忌み嫌っている
「300円余分にふんだくる3D」
だ。とか文句を並べながら何故見たのかといえば、空いた時間で観られるのがこれしかなかったからだ。
まず最初にいい点を上げよう。画面の配色や、俳優の顔が古き良き時代のハリウッド映画のよう。どことなく懐かしい。あとゼウス一 家とタイタンズの戦いのアクションは面白かった。(迫力があった、ではない)
主人公はギリシャの僻地にすむ男性。そこにミッキーローク率いるなんちゃらが攻めて来る。ギリシャの巫女は未来を見通す力を持って いる。しかし何の役にもたたない。強力な弓があり、「その女を捕まえれば、場所が分かる」とか言っているのだが、見つけたのも結局偶然だし。主人公の未来 について「見た」ことも結局実現してな いし。
でもってドンパチが起こる訳だ。皆が散々探していたなんちゃらの弓が大活躍か、と思えば大して役に立たない。その奪われ方は
”犬がくわえて持って行っちゃいました”
というもの。 おまえは米国の小学生か。ところであの変なかぶりものの人がミノタウルスだったわけ?あの小さな部屋が「迷宮」だったわけ?(書いていて今気がついた) ミッ キーローク最後の戦いでいつのまにか瞬間移動してるし。
いや、細かいところにこだわる映画ではないと知っているけど、神様同士のCG を駆使した戦い、人間同士の血肉がとびちる殴り合いも「ふーん」としか思えない。せめて最後に「スカッと感」があってもよかったのではな いでしょうか。この映画の制作者は何を売りにしようとしたのかねえ。印象に残っているのは、ヒロインの人の見事な体の2次曲線だけか。
かくして映画はどうでもいいエンディングを迎える。内容がこれでも3Dにすれば300円増収、というのが妙に腹立たしい。
予告編を観る。頭の悪そうな映画だと思う。おまけに私が忌み嫌っている
「300円余分にふんだくる3D」
だ。とか文句を並べながら何故見たのかといえば、台風に出くわし家に帰れなくなったからだ。とはいえ地震にくらべれば天国。映画館もレストランもやっている。感謝しなくては。
というわけで期待0and空調の利いた部屋に2時間座ることができただけでご機嫌なのでこの値段を付けるが、内容はまあ予想通りであっ た。
冒頭、軍用機メーカーが軍の御偉いさんを招いて無人機のデモをやる。相手をするのは、そのメーカーが抱えているテストパイロット二人。 もうこの設定からして頭が悪い。だって、無人機の性能を示すなら、メーカーお抱えのパイロットはわざと負けるに決まってるでしょ。「軍のトップパイロット」つれてこいよ。
ところが、さらに頭の悪い主人公は、見事無人機に勝ってしまうのであった。その相棒は無茶苦茶美人かつエースパイロットかつ会社の社長 を継ぐビジネスの才能満タンの女。いいかげんにしろ。
ここまで主人公は頭の悪い男を熱演する。これは後半グリーンランタンに目覚めた(細かいことは聞かない)後のかっこよさと比較するためか、と思ったが後半もやっぱり頭悪かった。
いや、ものすごく強い(という設定の)悪い奴をやっつけるんだけどね。この悪役がどうみても強くない訳。だから「ふーん」と思っている うちにメデタシメデタシとなってしまった。ああ、早く映画評書かないとすべて頭から消え去ってしまう。しかしそもそもなんでランタンなん だ。あとひょっとして太陽って地球のすぐそばにあると思ってる?大気圏を抜ければすぐ太陽があると思ってる?
映画館を出る。強風が吹き荒れているが、とりあえず雨は止まった。2時間平和に時間をつぶせたからいいとしようか。。高かった気もす るけど。
友達が
「俺は釘付けだったけど、隣の人が開始5分で熟睡していた」
と書き込んでいた。そこまで賛否両論とはどんな映画だろう、と見に行った。
映画が始まる。ある夫婦の息子が亡くなったらしいことがわかる。そしてその息子には兄弟がいたことも。さて、話はどうなる、と思ってい るうち
「スーパーお星様ターイム」
が始まる。それまでなんとなくもやもやしたものが画面にでてはいたのだが、それが宇宙になる。馬頭星雲とかどこかの楕円銀河が映る。な んだこれは。 火山がもくもく、溶岩がどろどろ。これはハワイでロケかな。
唖然とした観客を尻目にお星様ターイムは続く。そのうち何かでてきた、と思ったら首長竜だった。なんだこれは。そのうち恐竜がでてきて あれこれす る。このCG制作の依頼を受けた方も
「なんだこれ」
と思ったことだろうな。これなら寝てしまってもおかしくはない。私も誰か知り合いがいれば
「人間がでてきたら起こしてね」
と頼んで寝入るところだ。「幻の湖」という変な映画がかつて作られたと聞く。それもこんな感じだったのかな。いつか観たエロ映画とか自主制作の映画 をぼんやり思いだす。
と思っているうちに、ブラピ(父親)と子供3人、奥様の家庭が描かれる。この「人間ターイム」は意外に悪くない。ブラピはかつて音楽家 を目指してい たが、今は工場で働いている。特許を27件所有していると豪語しても結局裁判では負け一文にもならない。そんな鬱屈した自分が嫌いだ。子供達だけには自分と同じ路を歩んでほしくない。というわけで子供に Yes, Sirと答えさせるようなスパルタ教育をする。
しかし子供は親の背中を見ている。レストランで横柄に振る舞う父親の姿は決して見習いたいようなものではない。いかにも
「ショーン・ペンの少年時代」
といった容貌の長男は反抗期に入る。I do I hate 自分でもどうしてそんなことをしてしまうのかわからない。
そこで工場が閉鎖され一家は共通の苦難に直面する。それをきっかけに親子は一定の理解に到達する。どこに引っ越すのかなと思っているうち再び
「スーパーお星様ターイム」
がまた始まる。いい加減にしろ。この映画に関してショーン・ペンはこのように述べている。
ショー ン・ペン、『ツリー・オブ・ライフ』でのテレンス・マリック監督の演出は困惑だらけ - goo 映画 から引用正直言うと、僕自身この映画の中で何をしていたのか、僕が内容に加えるべきだったものは何なのか、今もわからないんだ。その上、テ リー(マリッ ク監督)本 人もそれをはっきり説明できなかったんだからね
ここらへんが本当のところなのだと思う。なーんとなくやりたいことはわからないでもないのだが、それはあまりにも説明不足であり、解釈 できた範囲で は
「父と子の反目と和解」も
「スーパーお星様ターイム」も
それほど目新しい視点ではない。ブラピ演じる父親はいいと思うが、ショーン・ペンは確かに何のために何をしているのかわからない役柄 だ。というわけ でプラ スマイナス考え合わせて全体はこの値段。
「みんなが”わけわかんない”って言う映画を理解して熱狂できる自分が大好き!」
という人に特にお勧めする。
私の中でPixarというのは常に特別な存在であった。今までみた映画はすべて1800円か1080円である。本棚を見れば
「メイキング・オブ・ピクサー」
という本が並んでいる。どのようにしてあの作品達が生み出されるか知りたいではないか。
この作品が作られてしまった背景についても是非ドキュメンタリーとして出版してほしいものだ。まず良いところを挙げよう。いつものごと くピクサーの 描画、モデリング技術の進歩はとどまるところを知らない。またその技術を駆使して作られた日本の街は見事だ。多少の再構築はしているが、 実在の要素をその まま使いながら、全く欧米と異なる町並みを再現してみせる。これには心底感心した。
そして感心はそこでとまってしまった。「あのピクサー」がどうしてこんなストーリーを作ってしまうのか。マックイーンとボロのレッカー 車であるメー ターとの仲違いと 仲直 り。どちらも 「えっ?どうしてけんかするの?どうして仲直りなの?」。マックイーンは危 険性が指摘された「代替燃料」であえてレースに出場することを選択する。それはこれ以上友達を傷つけないためだ、、っていつのまにマッ クィーンと代替燃料 会社の社長はそんな親友になったの?悪役の正体はいいとして、その種明かしの慌ただしさ。「結局何だったの?」
こうした「車関係」はすべて台詞でぺらぺら説明されるだけで,見ている側は唖然とするばかり。もちろんこういう映画は珍しくない。しか し何故あのピ ク サーがこれを作って公開してしまったのか。最後にとってつけたような大団円のレースが行われる辺りではその疑問だけが頭の中を回り続け る。
ソーシャルネットワークのように誰か”Pixar"という映画でも 作ってはくれ まいか。その映画が成立させるためには、次のピクサー作品がここから偉大なカムバックを見せてくれなくてはならない。次回作品のトレー ラーが流れる。す ごいよ。赤いくるくる巻き毛、馬のふわふわ体毛をそんなにモデル化するなんてね。でも映像技術は元々心配してないよ。今度こそちゃんとし た「物語」をみせ て くれるよね?
エンドロールでPerfumeとかいうグループの声-それはほとんどコンピュータに塗りつぶされた音だが-が流れる。せめてここは初音 ミクにしてほ しかったなあ。Pixarが描く初音ミク。それはきっとすばらしかったと思うのだけど。
ナタリー・ポートマンの「がんばり」に敬意を表してこの値段をつけるが、「結果」は-1800円である。
元バレリーナの母親に過保護に育てられたバレリーナことポートマン。所属しているバレエ団で白鳥の湖やることになりました。君の白鳥は完璧だけど ダークサイドの黒鳥はねえ。
というわけで、きっちり完璧にをモットーとするポートマンは悩むのであった。この前半は2重の意味で「役が演じられていない」と感じる。監督?が指 摘し ている通り、主人公は全くセクシーに見えない。これでは王子様を誘惑するのは無理だ。
さらに、観客からみるとポートマンは「黒鳥を演じることに悩むバレリーナ」には全く見えない。ポートマンが演技をしている、と感じるだ けだ。声が細く、固く幼くて小心者(真面目ではないよ)だがちょっとやり過ぎ。
私の隣に座った人が何度か携帯を覗き込む。きみきみ。携帯の明りは周りの迷惑だよ、と注意する気もおこらない。私も同感なのだ。その間 キ○タマが 縮むような嫌なシーンがいくつもある。これも芸術のためか単に悪趣味なだけかは後半「黒鳥」を演じるところで明らかになるはず、と我慢し て見続ける。しか し「見せ場」であるはずのポートマンが女性同士で●○する場面で半分寝かかってしまったのも本当のこと。
答えは期待通り「黒鳥」の場面で明らかになる。ポートマンは「野性味あふれる奔放な黒鳥」を演じる。なぜそう書くかと言えば、目が充血して赤くな り、 獣のうなり声のような音がかぶせられるから。このチープな演出は なんなんだ。彼女がお人形から野獣に変貌していく過程で「ぬいぐるみの山を捨てる」とか「母親がはいってこれないようにつっかえ棒を出 す」とか記号をいく つか置いてはいるが、ポートマンはポートマンなのだよね。
そこから話は加速度的に無茶苦茶になり、最後は突っ込みをいれるのもばかばかしくなる。主人公の妄想が広がり、虚実定かならぬ状態が続 くのだが、 「痛い」けど「怖く」はない。ポートマンの演技、白鳥の湖の踊り、音楽どこからも感銘をう けることはできず、結局印象に残ったのは「スターウォーズ」と同じ く、ポートマンの八の字眉毛だけ、になってしまうのだった。調べればレスラーを 撮った人とのこ と。この監督プロレスは愛しているがバレーは愛していないと思う。現に元プロレスラーは「レスラー」を見て感動したそうだが、バレー関係 者はこの映画を 「バレー映画じゃないし」と無視しているそうだし。
主演女優賞も結構だが、ポートマンはモデルか学業の道を目指したほうがいいのではなかろうか。もう「体当たり」もできないし。
以下の3種類の人にこの映画を薦める。
・アンジェリーナ・ジョリーもしくはジョニー・デップさえ見ていれば幸せ
・ベニスの風景さえ見ていれば幸せ
・2時間弱暗がりで過ごせることが重要な人(単数もしくは複数)
というわけでベニス観光協会全面協力でジョニーデップとアンジェリーナなんとかを雇いました、以上。
映画の冒頭アンジェリーナをフランス警察が見張っている。それが誰がみても気がつくようなバレバレ尾行。ああ、この映画は最初から真面目にやる気は ないわけね。
というわけで風景を愛でよう。水の都ベニスが映画にでてきたことは何度かあるように思うが、この映画ほど「観光地らしい」と思えた事は 初めて。主眼はそこにあるのだから、筋がどうとか、辻褄がああとかつっこむのは野暮である。
アンジェリーナ某はいつものとおりゴージャスであるが、最近みた他の映画のほうがよかったような。。ジョニー某はいつものとおり情けな さ全開でがんばってはいる。しかし映画全体がふにゃふにゃなのはいかんともしがたい。
イタリアでスペイン語をしゃべりまくる米国人旅行者(ジョニー)がヨーロッパ人に「アメリカ人(侮蔑)」と吐きすてられる構図は、、ま あおなじみで もあるが「にやり」としたのは唯一そこくらいだったか。
予告編の1/10もおもしろくない。
マイケル・ダグラスの出所時に返却される携帯電話はとても巨大。このショットだけで彼がどれだけムショにいたかを示すシーンはとてもよ かった。
さて、主人公が勤めている会社がいきなり危機に陥る。私はここで脱落してしまった。何故危機が起こったのか、どういう危機なのかさっぱ りわからないのだ。後でわかったがどうもこの映画の世界では
”ちょっと噂を流すだけで会社が吹っ飛ぶ”
ようだから、たいしたきっかけはなかったのかもしれない。
それから主人公は”復讐するんだ”とかいって転職する。しかしその復讐は中途半端なまま話が進む。
ゼロサムゲームで人の金をかすめ取る強欲どもを批判する声は多い。それに対する反論はいくつかパターンがあるが
”いや、そうやって金の流動性を担保(藁)するからこそ、有望な新規技術に投資もできる”
というのがその一つ。この映画の主人公はまさに
”人類の未来のために、核融合技術に投資をお手伝い”
する”いい者”だ。
一方ゲッコーことダグラスである。大学で”サブプライムはそのうち破裂する”と声高に主張する。問題が破裂した今ならなんとでも言える -映画の設定 はその前だが-。その後涙ながらに娘に許しを乞うのでいい人になったかと思えば、ふーらふーらとさまよう。その揺れに見ている側はぽか ん、とするばかりで ある。
この映画が描く金融市場(藁)は
”ウォール街には、自分の利益ばかり考える悪いトレーダーと、人類の未来のために働く良いトレーダーがいる。悪いトレーダーは裁きを受けていなくなったから皆さん安心して投資してください”
というところか。ウォール街証券取引業組合(仮想)から出資でもうけてんのか。いや、そうした世界観でもかまわない。面白ければ。
映画の終盤、主人公と彼女の前に都合良くゲッコーが現れるシーンはこの映画を象徴している。つまりすべてが空々しい作り事としか思えな いのだ。リーマンショックは色々な人間の様々な顔を現実世界に引き出したと思う。その様を真面目に映画化しようとは、、考えなかったのだろうな。出資者の手前(勝手に決めつけてます)
映画が始まる。長くわざとらしい台詞で背景が説明される。なんだこれは、といやな予感にとらわれる。
武芸ではなく、そろばん-会計学をもって加賀藩に伝えた家の物語。破綻している家計を立て直すため、絵で描いたタイをお膳に並べるなど 予告編はとて もよかった。
このように興味深い題材を使い、これほどのキャストを使ってなぜこんなゴミ映画を作る。絵のタイだけで止めておけばよいのに、その後一 同で
”カメラに向けて”
タイの絵をもってぞろぞろ歩くのだ。父子の愛情、反発、そして理解など何一つとして機能していない。ゴミ映画にふさわしく、仲間某演じ る母親-妻が タイミングよくどこにでも登場する。
ああ、お金が欲しい、お金が。俺に20億くれればこの映画をもっとまともなものにしてみせる。まず監督を南極料理人の人にするのだ。次に脚本家を縛り首にし、まとも に取り組んでくれる 若手を捜す。キャストにあまり文句はないが語り手たる”私”の嫁の鼻が高すぎる。もっと日本的な顔つきの人にしよう。
そうやって真面目に作ればアカデミー賞外国語部門も狙える傑作ができたはずなのに。そんなことを考えているうち映画はどうでもいい結末 を迎える。か といってすっぱり終わる訳ではない。キレが悪くだらだら続くところもゴミ邦画らしい。
仲違 い: ここで、メーターがオイル漏れを起こしたことになっているのだが、画面には肝心の漏れたオイルが映っていない。だから台詞で説明されて も、何のことやらわ からない。回想シーンではちゃんと漏れているのだけどね。 本文に戻る