映画評

五郎の 入り口に戻る
日付:2008/4/1
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560 円-Part12(Part11へ |Part13へ)

マラヴィータ-The Family(2013/11/20)

今日の一言:これ面白いと思って作ってんのか?

掲示板など観ると、このリュック・ベッソンという人の作品は細かいことを考えてみてはいかんのだそうな。

俳優が豪華だ。ロバート・デニーロにミッシェルファイファー。美人の娘に普通の息子。ノルマディーの田舎町に引っ越してきたアメリカ人一家。何やら訳ありらしい。おまけに家族そろって「ちょっと気に入らない相手がいると半殺しにする」気質の持ち主。ファイファーはフランス人が発したアメリカ人に対する漠然とした悪口耳にしただけで、眉一つ動かさずスーパーマーケットを爆破する。

でもこの時点で何か中途半端なんだよね。例えば長女がナンパしてきた男をボコボコにするところでも、息が荒くなってる。サイコ一家ならもっと冷静にやらなきゃ。

何が悪いのかわからないが、観客である私には時間が長く感じる。そのうちどうやら彼らはマフィアのボスを売ったがためにマフィアから命を狙われ、FBIの保護下にあるらしいことがわかる。映画らしいものすごい偶然で潜伏場所がばれ、殺し屋がごろごろやってくる。多分ここらへんで監督の気が変わったんだろうな。

例の人殺し一家が妙にしおらしくなるのだ。細かいことは問わぬにしても、スーパーパーケット爆破してた女が、殺し屋がきて普通の主婦みたいにめそめそするってどうなのよ。多分前半どういう風に作ったか忘れたんだろうな。長女も大胆になってみたり、しおらしくなってみたり自由自在。確かに美人だけど、「どうでもいいですよー」という気分になってるから感動もハラハラもしない。邦題は犬の名前なのだが、この犬も結局なんだかよくわからん。観ている方としては何の罪もないのに巻き添えで死んだ可哀想な人達のことを思って気分が悪い。でもって監督に冒頭の言葉を聞きたくなるわけだ。


モンスターズ・ユニバーシティ-Monsters Univeristy(2013/7/20)

要約:「我々が愛したピクサーは死んだ。何故だ!」

公開前に読んだ米国のコメントでこんなのがあった

「ピクサーもついにキャラクターグッズでの儲けを狙うようになったか。」

観ている間そのコメントが頭を回り続ける。前2作「カーズ2」「メリダ」は明らかに未完成な作品だった。これはそれほど悪くない。一応完成はしている。それだけに絶望感は前2作より深い。

お話の筋は通っている。しかしどこにも感情が感じられない。どうあがいても怖くない主人公。伝説のモンスター(どう伝説かは最後まで説明されない)の息子だがわがままな相棒。この二人が仲良くなるきっかけはMonsters Inc.で有名モンスターを観たからだ、ってなんだそれ。

「落ちこぼれチームが工夫して、嫌みなエリートチームを打ち負かす」ありふれたプロット。定義によって競技が進むにつれ脱落していくチームがあるわけだが、その扱いのぞんざいなこと。女の子チームがいるのだが、彼女達は「高校生は攻撃しちゃだめ」というルールにもかかわらず、ただ高校生を攻撃し続ける。

古典的な設定に何を付け加えようとしたのだろう?そのひねりはあまりにもチャチで、「ふーん」という感想しか持ち得ない。話の展開も後付けの理屈がてんこもりで、大人はとてもついていけない。じゃあ子供が喜ぶかと言えば、、、時々クスクス声はあがってたけど、最後まで静かだったよ。こんなことを書く日がくるとは思ってなかったけど、Dream worksに身売りしたら?あっちのほうが子供が喜ぶ下品なギャグは得意だし。

一つだけ確かになったことがある。かつて名作を連発していたピクサーは滅びた、ということだ。この灰の中から何かが立ち上がる日が来るかどうかはわからない。


シュガーラッシュ-WRECK-IT RALPH(2013/6/14)

要約:子供向け映画ってどう作るの

子供とドラエモンを観に行ったとき、この映画宣伝用のゲーム機がロビーにおいてあった。昔ながらのドット絵キャラクターだが子供は結構喜んでやっていた。何よりタダだしね。

というわけで、ゲームの世界に住む悪役が「俺もたまにはヒーローになりたい」と悩む御話。その設定から想像するようなことが淡々と起こるわけだが、なぜかこの映画の制作者は「それでは足りない」と考えたらしい。銃をぶっぱなし続けるゲームからハエのようなキャラクターが抜け出し、そいつが繁殖するとゲームの世界が崩壊するという「世界系」の設定をつけたした。

素直に「悪役があれこれやって、ヒーローとして認められる」話にしておいたほうがよかったと思うんだよね。どっちにしてもたいしたストーリーじゃないんだけど、世界系をくっつけたがために、子供にはわけがわからなくなったんじゃなかろうか。子供はストーリーなんか気にせず、”うんこ”とか言っておけば喜ぶと考えているだけかもしれないけど。

大人の目から見ると「無理矢理つけたした設定」が多すぎるのが気になる。ちょっとハスに構えた女の子がなぜそのゲームから出られないのか。そもそもなんでハエを一網打尽にできる仕掛けがあったのか、とか。

主役の男は、根は良い奴かもしれない。しかし自分を呼んでくれなかったパーティーに乗り込み、怒りのままにケーキを叩き潰す。そういう「短気は損気」なところを反省するとかいった場面はなく、終わりまでたいして成長していない。それは相手役の少女も同様。人間はそう簡単に変われるものではない、というのがリアルと言う事もできるが。

そんなややこしい事を考える大人は子供の鑑賞料金だけ出せばよい、と言われればそれまでなんだけど。


ハングオーバー!!! 最後の反省会-THE HANGOVER III(2013/6/10)

要約:魂を忘れたドタバタ

米国で公開された映画が全て日本で公開されるわけではない。そんな当たり前の事に気がついたのはかなり年を経てからだ。本編上映前におそらく日本で公開されないだろう映画の予告編が流れる。そのチープさ、馬鹿馬鹿しさは日本で制作されている映画の多くにひけを取らない。クモに噛まれたから男の子のナニが大きくなったとか言われてもねえ。そして本来ハングオーバーはそんな映画の一つだったのかもしれない。

というわけでハングオーバーPart3である。例の4人である。トラブルメーカーのアランがキリンをひっぱって高速道路を走る。高架をくぐるとキリンの頭が吹っ飛ぶ。高速道路は大混乱。憤激した父親は心臓発作(多分)で亡くなる。その葬儀でアランは見事な歌声を披露。

ここまで書いたことは映画の残りとほとんど関係ない。もっと言えば、この映画のほとんどのパーツは残りと関係ない。ただドタバタしているだけだ。

冒頭書いたように、このシリーズは本来そんなものだったのかもしれない。では何故3を観たのか。最初のハングオーバー!が予想外に面白かったからだ。ドタバタの底にきちんと

「大人の息抜き」

という「魂」があった。しかしおそらく失速した2作目ハングオーバー!!で予算を使い過ぎ

「金ないけどもう一作作ってね」

とでも言われたのだろう。ロケの費用をケチるのは結構だが脚本をチープにしてはいかんと思うよ。

この映画で唯一よかったのは、私が愛するヘザー・グレアム様がでてくるシーン。ちょっとなんだけどそれで十分。しかしその子供とアランのエピソードは例によってあまり関係ないし間延びして長いし。

もう一つ「新機軸」といえば、今回は人がパタパタ死ぬことか。まあもともと悪い奴だから、ということなんだろうけど。

かくして映画はどうでもいいエンディングと、さらにどうでもいい「エンドロール後の付け足し」で幕を下ろす。まさかまた作るとは言わないよね。


ジャックと天空の巨人 -JACK THE GIANT SLAYER(2013/6/9)

今日の一言:主人公の顔がだめ

というわけで「ジャックと豆の木」である。ジャックは、お忍びで下々の暮らしをご覧になるお姫様と知り合いになる。ところが豆がにょきにょき伸びてお姫様ごと家を上空にもっていきました。

今あらためて話を聞くと、豆と巨人はあまり関係ないのだな。それはそうと、のたのた動く巨人を観ていると、どうしても日本製のアニメ「進撃のなんちゃら」を思い出してしまう。巨人の倒したかもなんだか似てるし。しかし米国産なので鼻水だしたり、シュレック的な下品な場面をださずにはいられないのであった。

でもってあれこれやって悪い奴をやっつけ、お姫様とジャックは仲良くなる、、とはならず一旦は引き下がる。しかしなぜか上空から豆を生やした巨人がせめて来るのであった。それまで上に伸びてた豆がなんで都合良く下に伸びるの、などと問うては負けである。こういう話だから辻褄がどうのとヤボなことは言うまい。より上空に住んでいる神様世界に侵攻するのか、と一瞬期待したんだけどね。

筋はいいとして、破滅的なのは主人公の顔である。多分普通の髪型をして普通の格好をしていればハンサムなのだろう。しかしこの映画では、学園物によくでてくる

「主人公に絡む頭空っぽのバカ役」

にしか見えない。常に口を半開きにしているのが悪いのだろうか。脇役に徹する渋い家臣とか、お姫様もそう悪くないのだが主人公の顔が大写しになるたびげっそりする。げんなりしながらも見続ける。どんぱちするが最後はハッピーエンド、のはずだが始めのほうで「お姫様は平民と結婚できないと法律で決まってる」と釘を刺される。しかしそれを「王様は法律を改正した」の一言で片付けるのはいかがなものか。そんな設定ならない方がましだ。

ああ、時間と金をむだにした、とは思うまい。観たのは飛行機の中での無料映画だ。映画館に観に行かなかった自分の判断は正しかったということか。ちゃんと時間もつぶれたしね。


オブリビオン-OBLIVION(2013/6/2)

今日の一言:どーでもいいでーすよー

トムクルーズは相棒の女性とともに、地上はるか高いところにある基地に住んでいる。なんでもその昔宇宙人がせめて来て、人間は勝ったけど地上に住めなくなったのだそうな。そんなトムの仕事は、自動警戒ロボットの修理。時々「宇宙人の残党」に壊されるので修理に行く、と。

といった物語の背景は、映画の冒頭長い台詞で説明される。いやな予感がする。無意味ないちゃつきシーンを延々とやる。予感が確信に変わってしまう。これは駄目映画だ。

かくして「どーでもいいでーすよー」という言葉が頭の中を巡り続ける。つじつまが合わないところにいちいち突っ込みはしないが、「宇宙人の残党」が実は人間でした、となったところで普通は少し動揺したり、訳を知りたがったりすると思う。しかしトムはしぶい顔をしているだけ。

その後も種明かしは続くが、まあ平和なものです。そのタネを成立させようと思えば「何故トムはこんなに人間離れして強いのだろう」とか観客に疑問を抱かせるべきだと思うのだが、そんな配慮をする気もないようだ。Star Warsから何十年もたって同じような宇宙船のおっかけっこを見せられても誰も感動せんよ。

かくして唯一の見所は、何系かよくわからないが美人と思えるヒロイン。調べてみれば007にでていた人か。などと考えながら映画は淡々と続く。最後の「ご対面」ではあくびがでる。

そんなに強大な宇宙人だったら、ケチケチ言わずに警戒ロボットじゃんじゃん作ればいいじゃないか。なんで「部品がない」とかしみったれたことを言ってるんだろうなあ。終わってみればそんなことくらいしか頭に浮かばないのであった。事前に「トム・クルーズ版バトルフィールド・アース」という評価を聞いていながら観に行ったんだからあまり文句も言えないが。


ゼロ・ダーク・サーティ-Zero dark thirty(2013/2/24)

今日の一言:では誰がこの映画を作るべきだったでしょうか

U.B.L.-ウサマ・ビン・ラディンを追跡し、殺害する物語。UBLが殺害されるシーンまでは、950円以上だったのだけど。

美人だが、色気0のCIAエージェント。彼女はひたすらウサマ・ビン・ラディンを追い続けるが世界に冠たるテロリストはそう簡単には居場所をつかませない。オバマ政権になってから捕虜を拷問することもできなくなった。しかし細くあやふやな手がかりを元に彼女は一歩一歩UBLに近づいて行く。

この主演女優の演技は素晴らしい。彼女にあこがれてパキスタン行きを志願した、という後輩の言葉に全く取り合わない。プロとはこうでなくてはいかん。ドラゴン・タトゥーの女と相通じるものがある。CIAは特に適正がありそうな人は高校卒業で本当にリクルートするのかね。

というわけで途中まではよかった。しかし「馬鹿な女丸出し」のお友達エージェントがはしゃぐあたりでまず「がたっ」と来る。なんだこれ。そうはいいつつも、襲撃のためヘリコプターが飛行するところでは見ているこちらも緊張する。

そこからのシーンは、どうにも冗長。もっと緊迫感をだせたと思うが、殺害まではいいとしよう。しかしその後Body Bagをもってくる兵士がごろごろしている死体を悲しげに見つめる、「甘い」描写でうげっとなる。こんなのが特殊部隊か。そもそもこの襲撃時に、主人公が専門外の「パキスタン軍の動向調査」をやっているのも納得いかんし、UBLの死体確認役をするのも理解できん。いや、そこまでは大目に見よう。

崩壊はしつつもシリアスに進んできた物語は、最後のシーンで現実離れしたファンタジーになる。なるほど、UBLを殺害したものの米国はどこに向かうべきか見失っているのだな、とは思わん。そのファンタジーはあまりに唐突で説明不足。私は深いため息をつく。それとともに値段も560円に落ちる。やっぱりこの監督とは合わん。ハート・ロッカーよりはマシ。しかしそれだけだ。

というわけで、「誰がこの映画を撮っていればよかったかな」と考え始める訳だ。ソダーバーグか、ユナイテッド93の人かなあ。


ライフ・オブ・パイ-Life of pie(2013/1/27)

今日の一言:細かい事は言わずに漂流です。

正直言えば、動物園を映し続けるオープニングで退屈したんだよね。いや、こんなに早く決めつけていかん。

なぜ「パイ」かといえば、からかわれやすい名前をつけられた主人公が「僕のあだ名はπです」といって何十桁も暗唱したからだそうな。なぜ彼がそんなにたくさんの桁数を覚えられたのか、その特殊能力がどう関係するのか、など細かい事を考えてはこの映画は見られませんよ、という冒頭メッセージだったのだな、あれは。

この主人公の少年を見ていると「簡単に神様を信じられる人はこのようであるか」と冷めた感情しか湧いてこない。ヒンドゥー、キリスト、イスラムにユダヤ教を信仰するとのこと。大丈夫、目を見れは心がわかると言ってトラに手に持ったままの肉を与えようとし、船上で嵐がくれば「嵐だーすごいぞー」と外に出てはしゃぎ回る。単に無茶苦茶である。

いや解った。最初に宣言されたとおり細かいことは気にしないことにしよう、と覚悟しているうち、虎と漂流することになる。嵐がくると「おーい、神様がみえるぞ」とはしゃぎ、次の瞬間には「なぜこんなことを」と神に苦情を言い出す。神様もこんな奴を相手にしたくないと思う。いや現実世界にもこういう人いるよ。だけどそんな姿を金払ってみさせられるのは勘弁である。

予告編で「夜光虫がきらめく美しい海から幻想的にジャンプするクジラ」を見た所でいやな予感はしていたんだよね。なぜみたかと言えば、、なんでこんなのがアカデミー賞にノミネートされるんでしょうか。

僕は虎といっしょでなければ漂流を乗り切れなかった、と台詞で言われても見ている方は「何の話だ」としか思えない。とっとと海に突き落とせばいいではないか、と思うだけ。父に感謝の言葉もあるが、何を学んだんでしょうね。だから「感動とちょっとの謎を含んだラスト」も「どうでもいい」としか思えない。何の意味も無い恋愛話とかも。思えば彼女の口説き方も後付けの理屈ばかりだったなあ。

というわけでこの映画は

「僕にだけこの映画の本当の意味が分かるんだ」

という解釈大好きの人にお勧めする。エヴェンゲリオン大好きな人ならきっとこの映画についてもいろいろな「楽しみ」を発明できるのではないかな。


エクスペンダブルズ2-Expendables2(2012/10/27)

なんというか、まあ期待通りのできだった。

映画の冒頭、妙にさわやかな好青年が出てくる。(殺し屋家業だが)そして

「この仕事が終わったら、足を洗って彼女と結婚するんです」

というものすごく解りやすい死亡フラグを立てる。

いくらなんでもこれは単純すぎる。とはいっても、こいつが実は敵の手先なんてのもありきたりだなあ。しかしスタローンがそんな面倒な事を考える筈もないのであった。彼はあっさり殺される。

でもって彼を殺した「悪い奴ら」はスタローンを含め他の連中を見逃す。いや、普通殺すでしょ。しかしそれではスタローンが活躍できない。かくして一行は敵の本拠地に乗り込み思う存分殺しまくるのであった。この「殺され方」だが最初のほうだけ妙に派手に血糊というか人体の一部が吹っ飛ぶ。どうもランボー4あたりからスタローンは「大口径機銃で人間を吹っ飛ばす」のが趣味になったようだ。しかし映画の後半では、面倒になったのか予算がつきたのかそこらへんの描写が適当になるところがご愛嬌。

前回顔をだしただけだったブルースウィリスとシュワちゃんはそれなりに二人で殺しまくる。代わりにジェットリーが少ししか出演しない。そこらへんが前回からの変化か。道の途中で女の人達にいいかっこするところもお約束。なぜあのような田舎の村にコーカサス系美女がごろごろいるのかなどと問うては負けである。

昔と変わらぬその「正義の味方ぶり」を見ていると、昨今の映画界にあって貴重な存在にも見えてくる。今時こんななんのひねりもない勧善懲悪映画を作れる人はあまり多くないのではなかろうか。かといって何かが頭と心に残る訳でもない。早く感想を書かないと頭から消えて行く。題名からして「そんな映画だよ」と開き直っているわけだが。


トータル・リコール-Total Recall(2012/8/24)

チープで浅い。

シュワちゃんが出演した前作が公開されたのはもう20年以上前なのだな。アメリカでみたので筋はよくわかっていない。鼻からでかい何かを取り出すとか、火星に宇宙服無しで放り出されて目が飛び出そうになるとか、胸部が三つ又の女性とかそんなことだけは覚えている。あとわからないなりに「面白いなあ」という印象も。

さて、時は2012年。当時から何が一番変わったかといえばComputer Graphicsだと思う。というわけで本作ではCGで作り上げた街がてんこもり。化学兵器による戦争が起こり、イギリスとオーストラリアしか人間が住めなくなった。イギリスには階級の高い方が住み、オーストラリアは現在の東南+東アジアといった趣。英国の植民地時代再来である。両者は地球を貫く弾丸列車で接続されているのだな。

でもってオーストラリアの労働階級に属する主人公。うだつが上がらない毎日だからリコール社にいって楽しい記憶を受け付けてもらおう。さあ、これであなたもシークレットエージェント、というところにいきなり警官隊が飛び込んでくる。そして主人公は反射的に警官を皆殺しにするのであった。

一応なんだか薬品を注入しようとしていたので、これもきっと夢オチなんだろうな、と思いながら延々続く追いかけっこを眺める。記憶が自由に上書きできる世界だから何が本当で、何が作られた記憶かがわからなくなり、そもそも自分とはという問題が心に迫ってくる、ということは全くなかった。チープ。何がどう悪いかわからないが、安っぽい。

途中からはそれに「浅さ」が加わる。何故か登場人物を極限まで減らしたいらしい。イギリス貴族国のトップがいきなり最前線に飛び出してきちゃいかんでしょう。主人公の本当のパートナーがつかまり「どこかに閉じ込めておけ」と言われるのだがなぜか弾丸列車に座らせるし。まあそうしておけば、主人公について行けるから話の都合として楽なんだけどね。最後に主人公と貴族国のトップが格闘を始めるなんてのは冗談としか思えない。

でもって結局最後は「どっかん一発ハッピーエンド」あれが爆発するとなぜオーストラリアが丸く収まるのかなどと疑問を持っては負けか。いや、これではあまりにもいい加減すぎる。きっとスタッフロールの後にものすごい種明かしがあるのだ。そう思って最後まで座っていたが、そのまま場内が明るくなってしまった。

きっと「トータル・リコール」のリメークを決めるところまでに力使い果たしちゃったんだね、、、でもそうなら題名通り「全額返金」してくれるとかさ。おっと余計な事を書いている場合ではない。早く感想かかないと記憶が綺麗に消え去りそうだ。

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注釈