五郎の
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日付:2008/4/1
1800円|1080円|950
円|560円|-1800円|値段別題名一覧 | Title
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950 円-Part11(Part10へ | Part12へ)
10年にわたる十字軍の遠征から、リチャード獅子王が帰国しようとしている。あと一つ城を抜けば英国だ。ところが最後の戦いで矢が獅子王の喉元を貫 く。軍 の射手だったロビンフッ ドの運命はそこから変わり始める。
前半は面白かった。ラッセル・クロウは渋いし、静止画では決して美人と思えないケイト・ブランシェットはいつもの如く演技で美しさを放つ。
しかし同じ監督のグラディエーターのように
”今の価値観を昔に持ち込もう。人民の自由と権利バンザイ!”
のあたりから(いや、本当にこの後マグナ・ カルタになるのだけど)ついていけなくなる。
単なる弓の名人だったロビン・フッドがヒーローになるのだが、その道があまりにも順調なのだ。多数の若者を失い火が消えたようだった村に、ロビン フッド一向が明るさを取り戻す。しかし、、、の後に全てを失ってもよかったのではないか。それでこそその後のヒーローさがひきたつという ものである。この映画には”タメ”がないなあと思ったりする。
こういう無理な設定のしわ寄せを全部くったのが、フランス軍である。上陸用舟艇(あんな船当時あったのか)でドーバーの崖に攻め寄ったのはいい が、崖と海に挟まれた狭い砂浜でどうしろというのか。崖の上から矢がふりそそぐ。一つしかない出口には敵が陣取っている。はるばるフランスから殺されに やってきたようなものだ。海の中に矢が飛んでくる シーンは、プライベートライアンのパロディともみることができる。
ここでは久々に”登場人物が距離を超えて瞬間移動”も登場。唖然としている私を尻目に話は平和なエンディングを迎える。とはいえこの時代につい て少し勉強してみようか、という気になったのだから収穫なしとは言うまい。
民間会社を装ったCIAの元に、ある男が訪れる。そして取調べをしたアンジェリーナ・ジョリーに”お前はロシアのスパイだ”と告げるのであった。さ て、問題です。彼女は本当にロシアのスパイなのでしょうか。それとも誰かが彼女をはめようとしているのでしょうか。
というわけであれこれが始まる。あくびもなく、”なんじゃこれは”と思うところもなく最後まで緊迫感をもって見ることができる。強いて文句をつける と、大統領を守るべきシークレットエージェントが弱すぎるがまあそれはいいことにしよう。あとジョリーがちょいちょい万引きをするのだが、まさか
”ちょっと、あの女万引きよ”
とおばちゃんに叫ばれるなんてことはないので心配しないでもよろしい。
とはいえお話にそれ以上の見所があるわけでもない。ではなぜこの値段をつけるかといえば、某ジョリーがなかなかチャーミングに見えるからだ。特に ショートカットにして男装するジョリーがなかなかよろしい。決して私の好みではない顔の作りであるが、出演する作品でそれなりに見せてくれるのはなかなか 大したものであると思う。
あわよくば続編を造ることも可能な終わり方ではある。また真面目にきちんと作ってくれるならば、観に行こうかと思う。
ユアン・マクレガーの仕事はゴーストライター。前英国首相の自叙伝執筆を依頼される。しかしその仕事の前任者は謎の死を遂げていた。おまけにその打 ち合わせの帰り道いきなり強盗に襲われる。これはどうしたことか。
というわけでマクレガーは前任者の死の秘密に迫ろうとし、例によって何ものかに妨害される。映画の舞台は、米国東海岸のどこか。ずっと曇り空で灰色 の風景は気が滅入るが映画の雰囲気によく合っている。全体的に真面目に真面目に話が進む。
どことなく脳天気な元首相の役はピアース・ブロスナンにとってぴったり。どことなく秘密の雰囲気をまとった奥様も大人の演技。
最後の”謎解き”は2chでの縦読みに慣れすぎた頭にはちょっと物足りないが、それは映画自体の面白さを損なうものではない。マクレガーは初めて元 首相に会う場面で
"I am your ghost"
と自己紹介をする。ゴーストライターはどれだけ素晴らしい仕事をしても定義によってその名前、それどころか存在が知られることはない。決着の付き方 はあっけないとも思えるが、その”宿命”に沿っているとも言える。
ディカプリオの仕事は他人の夢に侵入して秘密を抜き出すこと。ところが渡辺某への侵入に失敗してしまう。これはしばらく身を隠すしかないか、と思っ ているところに渡辺某から
”ある人に記憶をうけつけてくれ(インセプション)”
と依頼されるのであった。
というわけで何重にも重なった夢の中でドンパチが行われる。ものすごく真面目に、いろいろ考えて作った映画ということはよくわかる。途中で”あほら し”と思うことはない。
しかし
”ふーん。それが”
という感想が頭を駆けまわるのも確かだ。
この監督は今まで何を作った人か、と調べてみて合点がいった。私にとっては評価が右から左に揺れる人だが、この映画の印象はプレステージに近い。確かに映画の構造は複雑かつよく考えられている。そこに感 動を覚える人がいることは知っているが、不幸にして私はそういう感性を共有していない。
最近ディカプリオは
”奥様との問題をかかえた既婚男性”
の役ばかりやっているような気がする。この話も結局はディカプリオと奥様のなにやらが中心にあるのだが、そこが”ふーん”となってしまうと芯がない
ように見えてしまう。寝ている人達を起こすため、無重量状態下で奮闘するシーンなど50年前だったらそれだけで金のとれる芸だっただろうけど。最後は
Happy End だかそうでないんだか観客の想像に委ねる終わり方。その仕掛けに私が乗れなかったのはなぜなのか。
記憶をインセプションされるお坊ちゃまが誰かに似ているかと思えば、ケネディJr.って確かこんな顔じゃなかったっけ。とか一日経つと頭に残ってい るのはそれくらい。夢の世界を描くのは美術とSFX担当にとっては血沸き肉踊るようなチャレンジだったと思うけど。
最初は見る気がなかったのだ。だってブラッカイマーだし。どうせ中身のない”エキゾチックなペルシャもの”に違いない。
しかし不思議なことにいつまでもやっている。これはひとつ見てみるか。映画館に入ると公開してからかなり日がたっているにもかかわらず場内は結構な 入だ。
偉大な王はたまたま市場で見つけた少年を自分の王子として迎える。月日は流れ幾星霜、成長したその子供を含む王子3人はある都市を攻めるべきか否か 議論をするのであった。(ちなみにこの攻めるべき理由というのが”大量破壊兵器を保有しているから”)
さて、この映画で一番気に入ったのが主役である。遠 い空の向こうに、ジャーヘッドで(私にとっては)おなじみのジェイ ク・ギレンホール。典型的な2枚目ではなく、どことなく可愛げがある。この映画のキャラクターにあっている。
攻めこまれた街のお姫様が最後まで隠そうとしたのは、時を巻き戻すことができる短剣であった。そして主人公を陥れ、大王を殺したのは実は、、、(い や、映画を観る人間誰もがわかるとおもうのだけどね)
ってな感じで濡れ衣を晴らすべく奮闘する王子が最後にはメデタシメデタシ。時間を巻き戻すのがオチになることは明白だが、意外だったのはその巻き戻 し先だった。
孫子曰く、城を攻めるのは下策。良く戦うものは相手の陰謀を陰謀のうちに破る。それにのっとれば、街に攻め入る前に巻き戻すべきだったと思うのだ。 だったら城攻めで無駄死する兵士を出さずにすむ。
しかーし。
主人公とアメリカ(大量破壊兵器なかったです。すいません)の名誉維持だけではなく、お姫様とメデタシメデタシするためには、幾百の雑兵の死が必要 だったらしいのだ。この
”苦難を一緒に経ないうちからお姫様の心を解きほぐす”
場面はいいと思うが、こうした時代に生きていれば間違いなく雑兵の一員だった私としては、名もなき死者たちのことを考えずにはいられない。
とはいえ大して期待してもいなかった割にご機嫌な気分になったことも確かである。面白さたっぷり、突っ込みどころも適度にあり、ディズニーだからエ ログロは最小限。由緒正しいデートムービーというべきか。
マット・デイモンはバグダッドで大量破壊兵器の捜索に従事している。情報を得て完全防備で乗り込んだ場所は10年前に閉鎖された便器工場だった。こ れは何かがおかしい。かくして秘密を隠し通そうとする”何者か”との戦いが始まるのだった。
このサイトにも書いてあるが、私は当時イラクには大量破壊兵器が存在すると思っていた。そうでなければあんなに査察を拒む理由がないではないか。
ところが何時まで経ってもそれらは発見されない。皆の関心も薄れた頃ギブアップ宣言がでた。一体この裏には何があったのか。それを白日の元にさらし てこそジャーナリズムというものではないのでしょうか、などと映画を観ている間考えていた。
ということは映画それ自体はあまりはらはらどきどきではなかった、ということだ。ボーンシリーズの監督が作ったらしいがのりもどこかそれらに似てい る。つまり軽いのだ。この映画では”ひとりの政府高官の暗躍”で誤った情報がもたらされた、となっているが現実はそんなに簡単なものではあるまい。未解決 事件を2時間の映画の収めるためとはいえ、そう矮小化されても困る。純然たるフィクションならこのノリでいいと思うけど。
国のため進んで米軍に協力するイラク人が出てくる。彼がこの映画で2番目にかっこいいのは良心的ともいえるが、あくまでも主役は米国人たるデイモン 君なのだよな。
予告編を見た。きっとCGてんこもり"だけ”の映画に違いない。そのように期待値をさげた状態で、短くまとめられた映画をみれば悪い気 はしない。
ペルセウスの英雄譚をベースにいくつかのギリシャ神話をまぜて作られたストーリのよう、というのは見終わったあとWikipediaを 調べて知った のだが。星や天体の名前をギリシャ神話からとるのは誰が考えたシステムだか知らないが良いことだと思う。一神教の聖者とか並べられた日には息がつまりそう だし、そもそも喧嘩になる。
個人的に最も感心したのはイオである。その昔ジュピター(つまり木星だ)の求愛を拒んだため、永遠に年をとらなくなったとか。そうだよ ねえ。木星の潮汐力のおかげで衛星イオはいつまでも噴火し続けるんだから、とかいう感動は個人的なものであり、映画とはあまり関係ない。
ターミネーター4とかで最近よく顔をみるお兄さんが、あれこれの困難を乗り越え最後はHappy Endになる。間違っても
”この映画をみて人生が変わった”
なんてことはないが、テンポよく進むし、いらつくような設定もないのでほれほれと見ることができる。以上。しかしなんですね。ギリシャ 神話の神々は、実に人間味豊かでみていて楽しいですな。
また最後に関係ない話題を一つ。街でポスターをみかけるたび
”クイタンの戦い”
という言葉が頭をかけめぐる。”クイタン縛り”で麻雀をやったらどうなるのだろう。とにかくドラ勝負かな、、とか。
と書いていてほとんど映画に触れていないことに気がつくが、正直な感想だからしょうがない。映画の内容ではなく、一緒に時間を過ごすこ とが重要な相手と見に行かれるとよいかと。
アカデミー作品賞にノミネートされたと聞いたので観に行った。
見終わっての感想は
”アイディア倒れ”
設定を考えた人間と、その後の脚本を考えた人間が別なのではないかと思うのだ。それくらい設定はすばらしい。たいていの映画ではエイリ アンは清潔な船に乗っており、目的意識が明確である。地球を侵略するとか、お話にきたとか。
しかしこの映画にでてくるそれは、不潔でだらだらしており、あっというまに地上にスラムを作り上げ る。そもそも何がしたいのかもさっぱりわからない。彼らが来た場所というのが南アフリカのヨハネスブルグ。これは人種差別を立場を変えて表したものか。彼 らを隔離するのだが、ナイジェリアのギャング団はエイリアン相手にちゃんと商売をしている。
さて、彼らを立ち退きさせることになった(District 9というからには1−8も存在したのだろうか?)その大作戦の指揮をとるのは人は良さそうだが、ちょっと頭の鈍そうな男。なかなかおもしろそうな 設定ではないか。さて、話はどうなるのか。
と期待を持って見始めるのだが、後半に行くほど話が”普通”になるし、つじつまも合わない。エイリアンは自作の超兵器をたくさんもって いる。そんなら自分たち で何でもやればいいではないか。世界中の猫缶をせしめることくらい楽勝だろう。それすらできないダメエイリアンならちゃんとそう描くべきだ。主演エイリア ンの子供は可愛いいが、父親置き去りにしている のが明白な状況で人間に操作方法を教えたりはせんだろう。とかなんとか突っ込んでいたが、中に人がのったロボットが大立ち回りを始めたところで私は この映画を見放 す。嫌っていた”エイリアン”にいつのまにか同化する人間、というのも語り尽くされた形でなんの工夫もない。だから最後の”出発”が意味不明でも気にしな い。
エンドクレジットが流れ出した瞬間、ほとんどの人が席を立ったのには驚いた。本当に今年のアカデミー賞はどうかしていたのではないかと 思う。
最近私がお気に入りの俳優、ロバート・ダウニー・Jrが主演だし、米国でなかなかヒットしたと聞いたので見に行った。
というわけで少しおまけしてこの値段である。出だしはなかなか快調。この映画のシャーロックホームズは頭も切れるが、格闘もすごい。冷 静な計算の元相手をたちまちノックアウト
そこにジュード・ロウ演じるワトソンも登場。ここらへんはなかなか痛快だ。とはいえロバート・ダウニー・Jr演じるホームズだからちゃ んと間抜けさも兼ね備えている。事件がないと退屈して異常な行動を始めるとかね。
さて、前述した”綿密な計算に基づく打撃”はもう一度映画にでてくるのだが、そのどちらもが本題に関係してこない。この映画にはそうし た要素が多い。平たく言え ば長過ぎるのである。最初はご機嫌と思えた映画は、途中で中だるみになる。思うに90分の映画として再構成すればB級傑作足り得たのではなかろうか。
日本人ならば”あら、峰不二子ちゃん”と思うような女性もでてきて存分にかき回してくれる。といったように楽しい要素には事欠かないの だが、テンポが戻るのは映画の終盤になってからである。
個々の謎解きを台詞でだらだらやるのではなく、印象的なカットつなぎだけで見せるところはいいと思うのだが、如何せん全体が長過ぎる。 続編はもっと短くなるといいなあ、と思いつつ結構期待して見に行ってしまうのだろう。
アカデミー作品賞をアバターと 争っていると聞いて観に行った。
見終わっての感想は
”冗談だろ”
イラク駐留米軍の爆発物処理班。最初のシーケンスで隊長というかリーダーが爆死する。この場面ですでに私は映画から脱落。やっているこ とはよくわかるが、スクリーンから全然緊張感が伝わってこないのだ。リアルに真面目にやっているとは思うのだけど。
いや、作品賞とか監督賞とかたくさん候補になっているらしいからそのうち面白くなるのだ、と自分に言い聞かせる。ブラボー中隊が任務完 了までにあと何日と映し出される。ふーん。となりの人間が携帯の画面をのぞき込むが別に批難する気にもなれない。
見ているうち
”早くここからだしてくれ”
という気にはぜんぜんなれなかった。観客を戦場につれていく、という点ではアカデミー賞とは全く無縁だったジャーヘッドに遥かに劣る。
なぜ私がついていけなかったのかの理由を言語化することはできないが、実際そうだからしょうがない。理由のひとつは”肝心なところをセ リフでだらだら説明しよう”であるかもしれない。最後の任務が終了した直後、その後などセリフでぐだぐだ説明する。他にも
”わかりやすい死亡フラグを立てまくる軍医”
とか。神経質でわめきまわり同情し難い隊員とか。
かくして
”この映画のどこがアカデミー会員に受けたのか”
が最大の謎として残る。そう思ったのは私だけではないようで、エンドクレジットが流れ出した途端多くの観客が席をたったことを付記して おく。
最初に機内で見たときは
”なんだか地味な画面だなあ。主役も腹のでたおっさんだし”
と思って数分でやめてしまった。
それから一月程してまた飛行機にのる。するとまたやっている。一度見てみるか。すると最初のクレジットで主役がマット・デイモンである ことを知る。ううむ。見事に体重を増やしたなあ。驚いていると監督がソダーバーグであることを知る。これは見なくては。
主人公は食品工場に務めている男。生産ラインに細菌が混入するトラブルに悩まされている。ところがある日
”日本企業から電話があった。 細菌混入は奴らのサボタージュだった。解決に10億円を要求してきた”
と上役に報告する。その調査にFBIが関与してきたところから話が大きくなる。そうか、日本企業は悪いヤツだ、と思うが 主人公の態度にはどこかひっかかるものがある。どうなるのかな、と見ていると彼はFBIにこっそりと語り始める。日本企業からの脅迫などとはケタの違う大 きな犯罪について。
をを、これは企業犯罪と戦う勇気ある個人の物語か、と思うがそれで落ち着くわけでもない。音楽が妙にコメディタッチなのだ。 会社に強制捜査が入る場面でも、なんだか陽気な音楽が流れている。これはどうしたことか。すると
”会社の犯罪を勇気を持って暴く”
はずの主人公にもなんだか妙な点があることに気がつく。そもそもこの男は何をしていたのだ。
そこから軽快な音楽をバックに話は妙な方へ妙な方へ展開を続け、ついにはデイモンの”正体”が明かされる。
英語のWikipediaを 見てみると、デイモン演じる男、事件が実在のものであったことがわかる。しかし右往左往し続ける登場人物たちの姿は、一歩離れてみればコメディとしか言い ようがない。軽快な音楽をバックに語るしかないのだ。企業と戦う個人の姿を真面目に描いた映画エ リン・ブロコビッチを作った監督は、この事件をそう受け取ったのだろう。
かくして最初”なんだか地味”と思った映画は”なるほど。ソダーバーグが作るわけだ”と納得のエンディングを迎える。私は知らなかった けど、これ日本でも公開されてたんですね。