題名:映画評

五郎の入り口に戻る

日付:1998/3/8

修正:1998/10/16

1800円

1080円

950円

560円

-1800円

題名一覧


1800円-Part2

アンナと王様-Anna and the King(2000/3/5)

私が愛するJodie Foster主演。シャムの王様の家庭教師となった英国女性と王様の物語。

などというと、私のような単純頭の人間は最初にすごい衝突があり、それからだんだんわかりあっていく、などという事を考える。しかし実際の映画はそうした単純な想像よりもはるかに落ち着いて深みを持って進んでいく。衝突する双方は、頑固な英国女と傲慢なアジアの王様などというステレオタイプで語れるような人物ではない。決して短い映画ではないのだが、いつのまにか時を忘れて見入っている自分に気がつく。

Silence of the Lambsのころから比べるとJodie Fosterは歳を重ねた、と思う。しかしその演技のすばらしさはさすがだ。この映画ではとくに涙を浮かべてこらえているシーンが印象に残る。知的でりんとしたAnnaはまさにはまり役という気がする。

男性から愛情を抱いている女性に対してするしぐさ、というのはいくつかあるのかもしれない。この映画の中で一度だけ王様がアンナの頬に手をふれるシーンがある。字で書けばそれだけなのだが、この仕草には彼の愛情があふれているように思える。派手だからといって愛情がこもっていることとは関係がない。このシーンを観ていて自分にもこうしたことがあったのかな、とふと考えた。

そして最後に踊る二人の姿。王様の腕の中にアンナがどのように感じられるか。そして双方がどんな気持ちで踊っているか。映画では描かれないが、いつか二人が踊り終える時が来て、体を離す。そしてお互いの目が合ったときにどんな心持ちであろうか、あるいは目は合わせなかったのだろうか。セリフでかたらずともそうしたことが感じ取れるような映画だった。

アンナと王様はお互いに惹かれあい、そしてお互いに影響を与えるが、しかしおのおのの本来の立場を投げ捨てはしない。シャムがその後たどった近代化の道もこうしたものであった、といううがった見方もあるかもしれない。植民地-宗主国になるではなくお互いの国のIdentityを保ったままお互いに影響を与え会ったと。

蛇足であるが私の姉は2番目の娘を「サル」と呼んでいる。この映画には自分を「サルなの」という女の子がでてくる。舞踏会の後で彼女が一生懸命踊りを練習しいてる姿、そしてその後に訪れる運命は人の親になる予定がしばらくない私の心であってもゆさぶらずには居られない。私の祖父は「仕事が忙しいのはがんばればなんとかなるが、子供が死ぬのはなんともできないなあ」と言ったそうだ。その言葉をちょっと思い出した。

 

遠い空の向こうに-October Sky(2000/3/4)

映画の冒頭”Based on true story"と字幕が出るとおり、実在の元NASAのエンジニアのRocket Boysというドキュメンタリーの映画化である。

この映画は間違いなく文部省特選になるような映画だ。しかしそれは決して不愉快な書き方ではない。真面目にとても真面目に映画を作っているのがわかる。そしてそれはベースとなる物語を思うとき、とても適当な方法であるように思えるのだ。

夜空に光る人類初の人工衛星、スプートニクをみた田舎の炭坑街の少年は自分でロケットを作ろうと決意する。この部分のセリフはちゃんと覚えているわけではないが、彼が思ったのは

"That is beautiful. I want to make it"

である。

私はこの映画を観ながら何度も自分が涙をながしているのに気がついた。それも泣いている、というのではなく、気がつくと自分の頬が濡れている、といったようなことであったが。

自分の進路については何度も悩むことがあり、今も考えている。彼らはロケットを打ち上げ、奨学金をえて閉鎖間近の炭坑の街をでて外の世界にでていく。しかし彼らはそれを目的にロケットを作っていたのではない。彼らは"I want to make it. I can do it"とだけ考えていたのではないか。

それだけでよかったのだ。"That is beautiful, I want to make it"が一番大切なことで、他のことは些細なことだったのだ。

映画の最後に登場人物達がその後どのような人生をたどったかが流れる。彼らのその後は色々であったが、空に糸をひくように飛んでいくロケットの姿はそれを目にした誰の心にも残ったに違いない。

ここ数ヶ月仕事で「ストックオプションで一攫千金」とか「40代にして億万長者」とかそうした話をたくさん聞いた。その話を聞いて私がどう思ったか。この映画をみてどう思ったか。それらを考えるときなかなかにわかりにくい自分の心の一部が見えたように思えるのだが。

映画を観た後そんなことを考えながら春の雨の中を傘もささずに歩いた。たまにはこんなこともある。

 

アナライズ・ミー-Analyze this(1999/11/8)

精神的不調に悩むマフィアのボスに、何故か見込まれてしまった精神科医が苦闘しながらも治療をしていく。。。ここから想像できることは、「どっかで精神科医がボスの悩みを解いてやって大団円」である。そして実際そこまではTVの予告編で見てしまった。ロバートデニーロが"Sorry Dad"と言いながら泣いている場面だ。ちょっと待て。もしそういうストーリーだとすればTVでここまでやってしまっていいのか?

日本のドラマは類型的だとかなんだとか言っている私だが、結局のところ想像が及ぶ範囲はそこらへんくらいのものだ。映画はそこでは終わらない。そこからもきっちりと笑わせてくれる。この映画はコメディということになるのだろうが、大げさなドタバタがあるわけではなく、意図的なギャグがあるわけでなく、実際Billy Crystalはほとんど映画の最中笑顔を見せない。笑いは主役二人の静かに抑えた演技からわき起こってくる。

映画の最後のシーンで精神科医夫妻が踊る。私はJazzというものに詳しくはないがそこで流れている音楽はきっとJazzの類なのではなかと思う。爆発的な音量があるわけでく、ギラギラのソロがあるわけでもなく、それでもプレイヤー同士が技を出し合い興味深い音楽を奏でる。映画全体もそうした印象がある。Billy Crystalは私にとってはアカデミーの司会でなじみが深い。いつも見事な司会だと思っているが、それと同じ見事な芸を見せてくれる。ロバートデニーロについてはほとんど何も知らないが、俳優としての名声は知っている。この映画はそうしたプロ二人が作り上げた静かなコメディの傑作だと思う。

最後に関係ない話を一言。Billy Crystalの花嫁を演じているのはLisa Kudrowだ。彼女は私にとってはFriendsという米国のTVコメディ番組でなじみが深い。その番組では結構若いように見えるがこの映画をみて「おお。結構年がいっている」と驚いてしまった。どちらが本当の姿か私には知る手だてがないが、どうも映画の方が実際に近いのではないかと思えてしまう。取り方によって年の5−10歳くらいなんとでもなるのかな、とちょっと驚いてしまった。

 

Notting Hill-ノッティングヒルの恋人(1999/10/11)

この映画を観たのは、晴れた10月の休日。こんな日に一人でこの映画を観ている男などそうたくさんはいるまい、と思っていたら私の斜め前にちょっと年輩の男性が一人で座ったが。

私の愛するJulia Roberts主演映画。彼女は大変面白い顔をしている。美人なようで、どこかくずれている。目は大きくきれいだが、見方によってはアゴがとんがっている。そして髪型等によって雰囲気ががらりと変わる。

何故こんなことを考えていたかというと、映画の間中彼女の顔-表情を見つめていたからだ。My best friend's weddingでもみせたようにこの映画でも彼女の表情の演技はすばらしい。ためらいがちに愛をうち明けるところ、逆に本音を話したくない相手に"a man from my past. I don't know why he is here"と冷淡に話すところ。見事に演じわけられている。「愛をうち明ける演技」では思わずJulia Robertsに手を差し出したくなるほどであり、「冷淡な演技」は主演の男でなくても「帰ろう」と思うほどだ。

この映画のストーリーは映画でそして少女漫画(たぶん少年漫画でもあるのだろうが)で世界中で何回書かれたかわからないほどのありふれた-そして人の心のどこかにさわるテーマ、有名な映画スターと平凡な人間の恋物語である。このストーリーをどう映画にしてくれるのだろう、と興味半分、「つまんないかも」という斜めに構えた態度半分で見たが、見事な出来だった。最後は少しファンタジーになってしまったが、ちょっとコメディの雰囲気もでて最後まで楽しんで観ることが出来た。脇役もそれぞれ個性的でいい役を演じている。

たとえばみんなが集まって食事をしているところで「最後のブラウニーは一番惨めな奴に」となり、みんなが自分がいかに惨めかを話す。一人事故で車椅子の生活を余儀なくされている女性がいる。彼女が話すと当然話は深刻になる。しかしそれもいつのまにか元の和んだ夕食の会話に戻っていき、それと同時に映画スターの悩みも語られる。その「有名スターの思いもかけない悩みの告白」に場は一瞬しんとなる。しかしその後"Nice try, but...."とまた笑いが起こる。日本流の"My miserable life contest"や、「何馬鹿なこと言ってんんだよー。うじうじすんなよ!人生なんてそんなもんさ。悩んでないで明日に向かって明るくGO!」に安易に陥るなんてこともない。

この映画に描かれている主人公を取り巻く人たちのそれぞれの悩み、それにおしつけがましくないお互いを思いやる心もちょっと私をHappyな気分にさせてくれるのだろうか。

映画を観ながら考えた。二人の人間がPrivateで特に用もなく話しているときは、その二人にとって重要なことはただ一つだけだ。理屈もへったくれもなく、相手と話していることが自分にとってここちよいものであるかどうか。この映画で、男はおそらく初めは「有名女優と話すこと」に興奮を覚えていたかもしれないが、どこかから「自分にとってAttractiveな女性と話すこと」へと表情がかわったのだろうか。Julia Robertsの表情に見とれていて男優の顔の演技にあまり注意を払っていなかったのが残念だが。

では何故映画スターが本屋にほれたか?私なりにちょっと考えてみよう。芸能人というのは職業柄「自分が自分が」という人たちではないかと思う(実際に芸能の関係に知り合いがいるわけではないが)そうでなければ彼らは飯を食べていけない。

対するにこの本屋は自分が自分がと必要以上に自分を押し出すことはしない。妻に逃げられ、奇妙な同居人に悩まされ本屋の売り上げはあがらない。どちらかといえばうだつのあがらない生活だ。しかし必要以上に自己を卑下するわけでもない。「自分が自分が」の人たちに囲まれている彼女は、そんな彼にやすらぎを感じたのではないか。

 

最初この映画は「悪くないけど、そんなに感動したわけでもない」と思い、1080円のカテゴリーにいれた。しかし数日後思い直して1800円にいれることにした。数日たっても何度かこの映画のことを思い出したからである。

 

交渉人-The Negotiator(1999/7/20)

この映画を観る前にいろいろ考えていた。無実の罪をかぶせられた警官が、自分の無実を証明するために、人質をとってたてこもり、或男を交渉人に指名するか。。。宣伝文句にはIQ180の戦いなどという文句が踊っている。IQだかなんだかしらないが、あまり懲りすぎたストーリーだと観ていて疲れるかもしれないな。。

 

映画がおわって、私は場内から直接行けるトイレにいった。でてくると観客のほとんどはまだ座ってクレジットの流れる画面を見つめている。私もしばらくそのまま立っていた。おそらくその場にいた観客のほとんどは私と同じ感想を持ったのではないか。立ち去りがたいと。

ストーリーは前述したとおり。結末もだいたい皆が想像するとおり。去年からこうした筋立ての映画はずいぶんとたくさん観た気がする。何故それほどまでこの映画が終わった後立ち去りがたかったか?

私には言葉でうまく表現することができない。緊迫したストリー展開、といえばそれは確かにそうだ。しかしそれよりも私の脳裏に焼き付いているのは登場する男達のかっこよさである。

「男達のかっこよさ」というのはちょっと俗な表現だ。ひねくれものの私はなんとかこの言葉を使わずに済ませられないかと思ったが、かっこいい物はかっこいい。いくつかのシーンを思い出す。主人公が人質の一人にあるものを渡すシーンがある。そこで手と手が触れあう。すると人質はその手を握り返す。言葉は交わされないが、表情が、視線が人質の気持ちを雄弁に物語っている。人殺しと公金横領の罪をきせられ、一時は罪人として扱われた主人公だが、最後のシーンで、彼のことはこう呼ばれる

"Injured Cop Here!"(ちなみに字幕では”けが人だ”とかになってしまっているが)

そして最後に交渉人は主人公に向かって

"It's nice talking with you, lieutenant"と言う。その言葉は簡潔だが必要以上に重くなく軽くなく、それまで全力を傾けて交渉してきた二人の最後の会話にふさわしい。

 

書いていてふと変な事に思い当たった。全くの私事であるが、これだけ全力を振り絞って戦っている男の姿は以前の私であればとてもとてもこたえるものだったはずだ。それが或程度冷静に観ることができた、ということはとりあえず一時の最低の状況は脱したのかもしれない。

 

恋に落ちたシェークスピア-Shakespeare in love (1999/5/3)

久しぶりにすばらしい技、芸を見た気がする。

映画が始まり、我々になじみのないエリザベス女王時代の英国の映像が広がる。すべてはセピア色に見えるし、着ている服はとても仰々しく思える。しばらくは「これはシェークスピアを知っている人、あるいは興味を持っている人だけが面白いと思える映画ではないか」と思っていた。しかしそのうちそんな心の中の声は消えてしまった。

途中シェークスピアとヒロインが一つの船に乗る場面がある。ヒロインは男装をしている。(女性は舞台に上がれない。舞台に上がろうと思えば男装するしかないのだ)そしてシェークスピアは自分が恋している相手が自分の目の前にいるとも知らず「彼女」のすばらしさを述べるのだ。そのときのヒロインの表情の演技は信じられないほどすばらしい。自分が愛を語られているうれしさ、それにストレートに応えられない悲しさ、もどかしさが現れている。

主演女優賞の受賞もむべなるかな、である。彼女はどちらかといえば彫りが深い整った顔立ちをしている。しかし彼女のすばらしい演技はその美しさを何倍にもして見せる。最後に近づけば近づくほどその美しさは輝きを増す。

主演俳優だけではない。端役に至るまですべての登場人物が印象に残る演技をしている。ロミオとジュリエットの初演の冒頭、口上を述べる役がでてくる。それまでどもってしまってろくに言葉を発声できなかった男だ。それが一転してすばらしい口上を述べる。このすばらしい口上よりも、それまでの無能な役者を演じる方が難しかったのではなかろうか、などと思ってしまう。劇場のオーナー、対立する劇場のオーナー、端役に回される男優、乳母、金貸し/薬屋、そしてエリザベス女王など。最後のエリザベス女王は助演女優賞を受賞しているが、他の登場人物も「アカデミー端役賞」を新設してもいいのではないかと思えるほどのできばえだ。

こうしたすばらしい役者の演技に支えられて、映画は時間を忘れさせて進んでいく。こうした誰もが知っているストーリーの上に新たなストーリーを構築するのはとても難しかろう。しかしこの映画はその難題に見事に答えていると思う。

最後のシーン、ヒロインが一人浜辺から歩いていく。とてもしっかりした足取りだ。映画が終わってもしばらく席から立ち上がらずに考えていた。この映画に描かれている時代、女性は舞台に上がれず、親が勝手に決めた相手と結婚し、離婚も許されない。あの時代の理不尽な女性差別ということもできる。しかしいつの時代にも姿を変え、形を変えこうした理不尽な制約というのは存在しているのだ。そしてその理不尽な世の中をそのままに受け止めてしっかりとした足取りで歩いていく人は、時代を超えてすばらしく見えるのではないか。この映画の最後の場面はそうした事を物語っているように思えた。

映画が終わってゴハンを食べているときに一つ妙な心配をした。この映画を仮に私が宣伝するとすればどのように宣伝するのだろう?シェークスピア、などを全面に出せば日本の観客はひいてしまう。アカデミー賞受賞以外にどのような言葉を並べられるのだろう、この映画のすばらしさを一言で言うことなどができるのだろうか、、、などという心配は余計なことだ。この映画が日本でヒットするかどうかは私の知るところではない。しかし私はこの映画に巡り会えたことは幸運であったと思っている。

 

フォレストガンプ:(1998/3/2)

かなり前の映画だと思ったが。。確かオスカーを相当受賞したと思った。

有名ではあるが長い間観なかったのである。ある日米国で録画したビデオをダビングしている最中に、この映画を録画していたことに気がついた。そして食い入るように観てしまった。

淡々と映画は進んでいく。しかしそのなかに笑いも涙もある。歴代大統領とか有名人を合成したシーンで有名になったが、それらはある種つけたしにすぎない。両足を失った元上官が、義足をつけて結婚式に出席するシーン、ベトナムで死んでしまう戦友。言葉もジェスチャもおおげさではないが、確実に語りかけてくるものがある。こういった「静かな主張」は映画でも生活でもとても難しい。

私はこの映画を何度も見直すことになった。私はこの映画のおもしろさがなんであるか書けるほど文章の力はないが、ふと思った。彼の行動が周りの人間や観客を動かすとすれば、それは彼の行動や考えには「我」がないからではないか、と。

 

アナスタシア(1997/12/5)

ディズニーのアニメーションである。ロシア皇帝の娘アナスターシア(ロシア革命時に殺された、と思われていたが、後に「アナスターシア」を名乗る女性が現れ、大騒動になったらしい。ゴルゴ13にも彼女をあつかったエピソードがでてくる)の物語。と書いていてウソに気がついた。某ラジオ局の解説によると「ディズニーのアニメーション独占に”待った”をかけるべく20th Century FOXが制作したアニメーション」だそうだ。

ディズニーのアニメーションシリーズをBeauty and Beastからいろいろ観てきたが、それらよりもこれが気に入った。ストーリーはとりたてて変わったところもないが、最後の"This is perfect beginning"というセリフが心に残る。これはあるいは、私がこの映画を見たのが、職を失うことと引き替えに、幽閉されていたデトロイトから逃げ出すことができた前日の晩だったからかもしれない。Yes, I lost my job. But finally I become free.

絵柄で感心させられたのは、CGとの組み合わせもさることながら、群舞のシーンでそれぞれの人物が個々の動きをしていること。(相当数の人物が描かれているのである)そしてアナスターシアが雪の中で自分の行く道を考えて歌いながら歩いている場面-なぜとは説明しにくいのだが、「ああ。いままで私が観たアニメーションは実写とはここが違っていたのだな」と気がつかされるほど動きが自然だった。コートを着た状態で空に向かって手を広げれば、当然コートも広がる。こんな当たり前のことに気がつくということは、今までみた多数のアニメーションはそうはなっていなかった、ということかもしれない。

 

 

My Best Friend's Wedding:(1997/6/22)

ロマンチックコメディーとでも言うのだろうか。TVで観た予告編のジュリアロバーツの表情がおもしろかったので見に行った。

昔なじみの友達の結婚式をなんとか阻止しようと(?)奮闘するジュリアロバーツが大変いい演技をしている。彼女の表情の変化をみているだけで楽しめる。

サウンドトラックもすばらしい。(これまた買ってしまった)文章ですばらしさを表現するのが難しいが観て損は無い映画である。楽しくて豪華で、そして少し寂しい要素もある。

この映画が公開された頃、「オスカーはコメディには厳しいが、ジュリアロバーツはこれで主演女優賞ノミネートか?」という無責任な観測が流れた。残念ながら彼女はノミネートされなかったが、前述のContactのJodie Fosterと同様、それくらいの価値はあったと思う。

 

黄色いリボン She Wore a Yellow Ribbon(1998/3/20)

西部劇の古典である。小学生のころに観たが筋は全て忘れていた。女の子を競い合う中尉と少尉がでてくるが、うちの母が「あの中尉のような男になりなさいよ」と言ったことを覚えている。

「古き良き時代」というのはこういうことをいったのだなあと思えるような映画。No SEX, No Drug、(これが印象的だということは、最近みた映画は必ず少しはそれらの要素がはいっていることを示すのかもしれない)そして最後は全てが丸く収まる。しかしおもしろい。古典であってもなくても刺激的な要素など使わなくてもおもしろい映画はできるのに。

途中で「軍隊では決して謝ってはいけない。それは弱さの証明である」というセリフがでてくる。このセリフはアメリカならではのものなのかもしれない。しかし「言い訳はしない」といのはアメリカらしからぬ信条だ。何かがうまくいかなければ、まず言い訳を探し、自分以外の誰かのせいにするのが米国のお偉方の常識のようだが。

女の子が場をひっかきまわすのもいつものことで。今から思えば割が悪い少尉殿にちょっと同情したりもする。負けがわかっていてもチャレンジする精神は見習うべきかもしれない。

Classic Timelessで映画の価値は1800円とした。確かにこの映画をやっていたら1800円払っても見に行くかもしれない。TVを録画して観たので、英語で見れなかったのが残念。途中意味が通じない場所があった。

ちなみに女の人がスカートをはいているときは、横座りして馬に乗ることも可能なのだな、と妙な感心をした。また南北戦争の「名残」をとどめたセリフにもいくつか気がついた。映画の舞台は1876年だが。。。

 

眼下の敵 Enemy Below (1998/8/31)

子供の頃から好きだった映画である。今回たまたま教育TVで放送があるのを知り、録画した。

録画はしたもののしばらく見なかったのである。この映画は小学生の頃の私が一番好きだった映画の一つと言っても良い。もし今みて失望してしまったらどうしよう?と思っていたのである。

しかしいつまでも録画したままのテープを抱えている訳にもいかない。意を決して見てみた。

最初はいろいろな事を考えた。ずいぶんUボートの中がきれいだなとか。(特にドイツで製作された「Uボート」という映画と比べると)話が説明的できれいだなとか。

しかしクライマックスのシーンに近付くにつれそういった雑音は頭から消えていった。この映画は確かにClassicなのだ。子供の頃は妙なシーンばかり覚えていたものである。たとえば最後にUボートが自沈用に使う爆弾がいかにも爆弾の形(丸いのだ)だなあとか、駆逐艦が燃えているように偽装するためにマットに火をつけるシーンがあるのだが、拳銃で撃って発火させるとはおもしろいなあとか。

しかし今回みて初めて話の筋が見えたような気がする。そしてこの映画のおもしろさも。二人の艦長の頭脳の戦い、それにクライマックスまでのもりあげかたは思わず息をのむようだ。戦後すぐに米独共同で製作されたこともあり、多少きれいすぎる感は否めないが、そんなことを差し引いても十分1800円の価値がある映画になっている。

 

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注釈

ステレオタイプで語れる:もっともこれはハリウッド映画特有のPolitically Correctness(政治的にみた問題なさ)によるもの、という意見もあるようだが。本文に戻る

 

My miserable life contest:(トピック一覧)またの名を「不幸自慢」本文に戻る

 

幽閉されていたデトロイト:(トピック一覧)「プロジェクトのとりまとめとして米国に行ってくれ」と言われたのが1997年2月の8日。苦虫をかみつぶしたような顔をしながらデトロイトに降り立ったのが2月11日。黙っていればそのまま自動的に2000年12月31日までデトロイトに幽閉されるところだった。本文に戻る

 

多少きれいすぎる:私の知る限りでは、特に海での戦いはお互いの憎悪が少なかったようだ。(もちろん比較的の話ではあるが)独のなかでは海軍が比較的ナチズムに影響されなかった軍であることもあるだろう。また兵が直接手で殺し合うことがないのもその理由に挙げられるだろう。その対極にあるのが陸の上での戦いである。本文に戻る