日付:1998/3/8
560円ブレア・ウィッチ・プロジェクト- The Blair Witch Project(1999/12/25)
映画が始まる前、「これほど一人の観客が多い映画というのは久しぶりだ」と思っていた。
映画自体が終わっての感想は「はあ」というものである。私が「自主製作映画」なるものを観たのは記憶が定かではないほど遠く昔の事だが、それを観た後の感じを少し思い出した。
この映画を観た人に「最後はハンドカメラの映像が続くから、乗り物酔いになった」と聞いていたが、それほど画面が揺れた訳ではない。また一カ所を除いて目を背けるような場面もない。私は大変なこわがりなのだが、別にそれほど恐いと思ったシーンがあるわけでもない。古典的な例だが、サイコなどは別に特殊効果や金を使わなくてもとても恐怖に満ちた映画だった、しかしこの映画にはそうした怖さは全くない。やはり本物のプロの映画とこうしたマイナーなプロの映画の間には深くて長い溝があるのかもしれない。
そんな映画だが、クレジットの最後に
"for more http://www.bwp-jp/com"
と文字がながれる。つまりこの映画は劇場で観ることができる映画だけではなく、ウェッブサイトであるとか、あるいは映画を引用している記事であるとか、多くの人が話題にしている事実とか、それらとリンクされて価値がでてくるものの様な気がする。つまり映画自体よりは、何故この映画が話題になったか、のほうが興味深いと思われるのだ。(実際私が何故この映画を観ようかと思ったというと、CNNに掲載されていたRare Glitch Project-安定して動くWindowsを求めて、というパロディ記事が気に入ったからだが。)だから社会科学的な興味はかき立てるだろうが、映画自体には大した価値は認めがたい。この後同じ手法をまねる映画がでるかでないかは私の知るところではないが、それが成功を収めるのはかなり難しい気がする。
さて、ちょっとはずれた話を。ドキュメンタリー制作の為に森に入っていく3人は私が考えるところの見事なAmerican Cultureの代表となっている。お互い言っていることはなかなか美しい
「解っている。すぐにそうする。」
「ここを乗り切るためには協力しなくちゃだめだ。喧嘩している場合じゃない」
しかしやっていることを観れば、絶対に自分の非を認めず、謝らず、我を押し通し、問題があれば他人のせいにし、大声でいつまでもののしりあっているだけだ。「私は絶対悪くない」のアメリカ人を3人あつめて苦難に立ち向かわせるととにかくうるさくてしょうがない。
メッセージ・イン・ア・ボトル-Message in a bottle(1999/6/19)
最初に一言。「予告編はおもしろかったのになあ」映画を作るのにも才能は必要だが、予告編を作るのにはまた別の才能が必要ではないかと思う今日この頃である。映画の中で一度も使われない音楽にのって展開される様々な場面は日頃「恋愛ものはねえ」と思っている私を映画館に向かわせるに十分なほど面白そうだったのだが。
映画は予告編で予告された通りに進んでいく。流れ着いた瓶の中の手紙をうけとったシカゴの新聞記者が手紙を書いた男を捜し当てて、、というストーリー。
主人公の親父さん役のポールニューマンに560円払うが他はきわめて平凡。TV向けのドラマを見ているようだ。上記2行の想定から「こんなことが起こるんじゃないかな」と想像できることが淡々と起こる。その間にケビンコスナーは太ってるなあ、とか主演の女優さんはよく見る女優を3人足して3でわったような感じだなあ、とかそんなことがぼつぼつと頭に浮かぶ。
きわめて平凡なストーリーの最後にちょっとひねりがあり、この恋は成就しない。あまりに変哲もないストーリーだからちょっと無理してひねってみました、という感じもする。が、よくよく考えてみればノースカロライナの船大工とシカゴのやりて新聞記者がどうやって恋を成就させるというのだろう。最近とみに恋愛に対して皮肉っぽくなっている私としては、お互いが「未知の世界からきた何か。自分とは違う物」への漠然としたあこがれと現実生活への不満の反動を相手に重ねているだけで、とても長続きはしない組み合わせのように思える。成就しない恋にするのは或意味必然だったのかもしれない。
パッチアダムス-Patch Adams(1999/3/21)
最初に一言。「予告編はおもしろかったのになあ」
実際この映画の予告編はよくできていた。「君の入院費を全部病院が負担しよう」と言うアダムスが横を向くとピノキオの鼻になっている、などは大笑いさせてもらったが。
主演はドビンウィリアムス。彼にはこういった役ばかり回ってくるような気もするが。。そして予告編とドビンウィリアムス主演と言う言葉から予想したとおり映画はすすみ、予想したとおり映画は終わる。予想していたとおりのエピソードがあり、涙をふりしぼるはずなのが、全く平和に終わってしまう。
人と話したら「Patch Adamsが最初からできすぎてるのがいけないんじゃないだろうか」と言っていた。確かにそうかもしれない。最初から立派なセリフをはき、途中にお約束の挫折(これはちょっとかわいそうだ。しかし精神科の医者というのは常にああした危険を考えておかねばならないのかもしれない)があるが、まあこれもお約束通り立ち直る。
またその人は「ドビンウィリアムスが出過ぎている」と言っていた。これまたそうかもしれない。なんだか演説シーンがやたら多いという気もする。
結局ちょっと意表をつかれたのは最後の卒業式のギャグだけ、ということになる。これには笑わせてもらった。しかし本当におかしかったのはそこだけだ。文部省特選映画にはなりそうだが。。
Godzilla (1998/7/13) 人との会話に活用できる点を評価して560円、本来は-1800円
1998年の夏の話題作である。月曜日の朝一番に見に行ったのだが、映画が始まる時間にはほぼ席が埋まった。
観客を見ていて気が付いた。かなり年輩の男性一人の観客が異様に多いのである。これは他の映画ではみられなかった現象だ。思うに昔のゴジラをリアルタイムで見た人達も多いのではないだろうか。
さて映画が終わって、、、人々が席を立つ速度はとてもとても速かった。
脚本はひょっとするとMade in Japanではないか?と思えるほどおもしろくない。登場人物は限りなく薄っぺら。主人公君は危機に陥ると必ず阿呆のごとく立ち止まってくれる。まるでわざわざ危機を招くように。
人間であることを放棄してレポーターとなった女性が、主人公のもっているTop Secretの情報を勝手に報道する場面がある。主人公はそのためにゴジラ対策本部から放り出されるのだが、その女性のすることといえば"I'm sorry"と一言言って、めそめそ泣くだけである。マスコミとはつくづくいい商売だと思う。何をやっても報道してしまえばそれまで。文句を言われれば「報道の自由」を振り回せば良い。舞台はNew yorkなので、例によって私はこいつらを皆殺しにしたほうがいいのではないか、という考えにとりつかれていた。
人間を除けば
[ジュラシックパーク+(0.2×エイリアン)]/10
といったところだろうか?最後まで一回も手に汗握ることなく平和にみることができた。考えてみれば日本のゴジラだって手に汗にぎることもないか。
日本のゴジラの恐怖というのは「のっしのっしと無敵の怪物が迫ってくる」ところにあるのだと思う。それとは全く別のタイプの恐怖(を目指した物)を演出していることだけは確かだ。実際早く走り回り、ビルを壊すのではなくて隠れて攻撃をかわす、というのは結構新機軸だ。
最後を観るとおそらくあわよくば続編を作るつもりなのだろうが、今度はSFXの費用をちょっと削っても脚本に金をかけたほうがいいのではないだろうか。
Deep Impact -ディープインパクト(1998/6/23)(参考文献に戻る)
何故この映画を見に行ったか?ちょっと話はさかのぼる。
米国から送ってもらった1998年のSuper Bowlのビデオを見ていたときのことである。Super Bowlは試合もさることながら、その間に放映されるCMも力作ぞろいだ。そこで"Armageddon"という映画のCMが流れた。”誰もがSuper Bowlを見ているが。。。誰かが空をみるべきだ”という感じの字幕とともに、空からの何か(多分隕石か彗星か)が地球に衝突する。それをさけるべく必死の努力が行われる、といった感じのExcitingな映像が流れる。
私はこの映像をみた瞬間。「これはおもしろそうだ」と思った。
時は流れて、他の映画を見ていたとき、例によって長々と予告編をやっていた。するとDeep Impact という題で、彗星が地球に衝突する話をやっている。映像はArmageddonほどExcitingではないが、なんだか似た感じの話だ。ちょっくら見てみるか、という感じである。
さて筋はだいたい予告編の通り。起こることも予告編の通り。人物がいろいろでてくるが、全く深みがない。正直言って何を考えてこの映画を作ったのかさっぱりわからない。彗星を見つけた少年、ニュースキャスター、宇宙船の乗組員も出てくるだけで、全く印象に残らないキャラクターだ。彼らは口ばかりうるさく、行動は全くデタラメだ。こういった意味で、この映画は悪しきアメリカ文化を象徴しているのかもしれない。
たとえば彗星を見つけた少年は生き残る100万人の中にはいっている。そして女の子をこうくどくのだ。
「結婚しよう。結婚すれば君も生き残りリストにのれるよ。家族といっしょじゃなきゃいや?大丈夫。僕は有名人だから君の家族も生き残りリストにのせてあげられるよ」
さていざ生き残りシェルターに向かう段になると、女の子の家族はリストに入っていない。(あたりまえだ)そこで女の子は「家族といっしょじゃなきゃいやー」とわめいて外に残ることになる。
さてシェルターの前まで行った男の子。突然「彼女の元に行く」と言い出す。
家族と一緒に津波から逃げようとしていた女の子のところに男の子が着く。すると今度は女の子は(一応ぴーぴーわめいた後で)あっさりと両親を見捨てて男の子のバイクに乗って山に登る。両親は津波に飲まれたが男の子と女の子は見事逃げ切ってぱちぱちぱち。
こうしたストーリーで涙を流せる方が、世の中には感動するネタは多いのかもしれない。しかし幸か不幸か私はそういう感性をもっていないようだ。
筋に意外性もなければ手に汗握るシーンもない。最後の方は「それ泣け、やれ泣け、これでも泣かないか」という前述したようなシーンのオンパレードだが。。。。
けなしてばかりいてもしょうがないので、いくつかおもしろいセリフがあったので書いておく。いきなり財務長官が辞任するところから秘密は発覚し出す。財務長官が、ニュースキャスターに向かって言うせりふ。
"You are only a reporter, but you used to be a person"
何かの間違いで自分が有名になって、うるさいレポーターに悩まされたらこのセリフを使ってやろう。
もう一つ。宇宙船の乗組員がHeroとなる行動をする場面。「みんな自分たちの名前がついた高校ができるわよ」実際アメリカでは通りの名前や学校の名前にすぐ人の名前が付く。日本ではあまり考えられないことだが。。
Match Makerとは、日本でいえば「お見合い紹介おばさん」のようなもの。男女の仲をとりもつことを職業にしている(?)おじさん、おばさんのことである。
映画の舞台はIreland。まるでIreland観光協会全面協力のようにIrelandの観光名所(なのだろう)のシーンがでてくる。米国の新聞の批評は「またまたでてきた”都会の生活にあきた。田舎に行こう”映画。おっと言い忘れてた。今度の舞台はIrelandだよ。」私も同感である。
映画のなかで、わざわざ外国からIrelandまできてMatch Makerに相手を紹介してもらい、結婚式をあげるアジア人の女の子がでてくる。そしてそれは当然のことながら「日本人」なのである。彼女が「白人との国際結婚大好き女」をモデルとしているかどうなのか私の知るところではない。
もう一つおもしろい点として、アメリカの政治家に未だにケネディコンプレックスが残っていることをうかがわせる場面もある。元はといえば、自分の祖先がIrishであることを証明する証拠を探しに、ある政治家が女性を派遣するところから物語は始まる。さていざその政治家がIrelandに来てみると、彼の祖先の経歴はでたらめだということがわかる。彼は改心してなぜかMatch makerに見合いを頼む。それまで脇役ででてきていた女性と見合いするのだが、なんと彼女の姓が"Kennedy"であることを知った政治家は、さっそくその女性をフィアンセとして米国につれかえり、選挙運動に多いに活用する。。。
しかしまあとても平和できれいな映画だからビデオなんかで時間つぶしに観るのはいいかもしれない。
日本ではアーノルドスワルッツネイガーを全面に押し出して宣伝された。Batmanシリーズの第4作。Batmanは第3作をのぞいて観ているが、この第4作が一番私が考えるところの「普通のヒーロー物」に近かった。
この映画でなんといっても印象に残ったのは女悪役であるところのPoison OakのSexyさである。彼女は悪役の姿と、普通の女性の姿で現れるのだが、「同じ女性がメークと服装でここまで変わることができるか」というくらい、変貌する。正直言って映画の途中まで二人を別々の俳優さんが演じているのではないかと思っていたくらいである。
たぶん小学生の頃にTVで観たことがある。なぜかしらないが、最後のクレオパトラが自殺するシーンの物まねをやって、家族にうけていた覚えがあるが。
またこの映画一作のおかげで20th Century FOX が傾きかけたという伝説は、マリリンモンローのビデオを観ていて知った。
冒頭からいきなり数分真っ黒な画面上で「前奏曲」が延々と流れる。大道具だエキストラだにいくらかかったか確かに想像もできないような豪華さだ。今だったらみんなCGで造るのだろうにな。。などと考えてしまう。この映画に出演した膨大な数のエキストラはその後どんな人生を歩んだのだろう。。。などとよけいなことを考えたりする。
子供の頃「女がでてくる映画は嫌いだー。やたら泣いたり叫んだりするし、いつも男のじゃまをする」と騒いでいた。この映画をみていてそんなことを言っていた頃を思い出した。いまから考えれば、女にふりまわされる男の方にも非難を向けるべきだったとも思える。
「英雄色を好む」とはよく言われることだが、「色」は英雄の心を曲げるほど心誘う物なのだろうか?昔は今よりも男尊女卑の傾向が強かったとなんとなくみんなが思っている。しかし英雄の志を曲げさせるほど「女性を征服する」ことが偉大なことであったならば、「女卑」のほうは結構あやしいもんだ。
「三国志演義」には時々女性に惑わされる男達の姿が描かれている。「蒼天航路」にはそういった場面は少ない。あったとしてもそれは「英雄の行動の一部」として受け取れるくらい凄絶にかかれている。私が蒼天航路が好きなのはそんな理由もあるかもしれない。
話がそれてしまった。とにかく映画史に残る大作(傑作ではないと思うが)を観た、という満足感は得られる。また老いてなお米国の安っぽい芸能ゴシップ新聞をわかせるエリザベステイラーが、若い頃は結構グラマーだったという事実も確認できる。それくらいか。おっとあと歴史の勉強にも役立つと思う。
予告編はおもしろかったのになあ:(トピック一覧)どうしても予告編がいいと、評価は辛くなってしまうようだ。本文に戻る
おもしろくない:こう書いているが、私がこの映画の脚本に難しい期待を抱いていたと思わないでほしい。世間では「宇宙船の巨大さと、ストーリーの単純さが印象的」という評価を受けたIndependence Dayは、私は結構おもしろいと思っているのである。本文に戻る
人間であることを放棄してレポーターとなった女性:(トピック一覧)トピック一覧経由(あるいはこのすぐしたにもあるが)"Deep Impact"をみてもらうとなぜこんな表現を使っているかわかる。本文に戻る
ケネディコンプレックス:なぜケネディがこのような伝説的な存在になったのか。。正直いってまだ勉強中である。彼はとりわけすぐれた大統領だったのだろうか。あるいは暗殺されなくても歴史に名を残したのだろうか。本文に戻る
あんたはただのレポーターだが、前は人間だったろ?:(トピック一覧)実際マスコミの方々というのは人間であることを放棄しているのではなかろうか。本文に戻る
Poison OakのSexyさ:この役で話題になった俳優がTVのトークショーで「あなたにとってのSexyさとは?」と聞かれての回答「自分を自分として受け入れる(Accept)こと」だそうである。これはいいセリフかもしれないし、あるいは生まれながら容姿に恵まれた人の余裕のセリフかもしれない。本文に戻る
米国の安っぽい芸能ゴシップ新聞:いわゆるタブロイド紙。東京スポーツとくだらない週刊誌を足したようなもんだが、それに乗っている記事のばかばかしさは日本人の想像を超えている。「エデンの園を発見」とか「アダムとイブの化石を発見」とかが何度も報じられている。ここまでばかばかしいと一種好感すらもてる。日本のくだらない週刊誌のネタはどこか暗く、そして全般的に卑わいだ。本文に戻る