日付:1998/3/8
560円-Part2スペースカウボーイ-Space Cowboys(2000/11/26)
何度か書いたことだが、映画によってその客席の風景というのはずいぶん異なる。ちょっと恋愛物っぽいやつだと、見事に男女のカップルばかりだ(私は別だが)そしてこの映画では、ずいぶんと30代以上の男性一人、という客が目立つ。宇宙開発の黎明期にサルにその座を奪われた男達4人-クリントイーストウッドは喜寿という設定だ-が再び宇宙に挑む。これだけで私のような年代の男を映画館に向かわせるのは十分だ。
ロシア唯一の通信衛星に何故かスカイラブの慣性誘導装置が使われており、そいつが故障した。このままでは地球におっこちてしまう。(いや別に燃え尽きるだけなんだけど、ロシア人が通信できないとこまるでしょ)それを修理できるのはその慣性誘導装置の設計者だけ。そしてこの設計者はなぜか元宇宙飛行士でもあるわけだ。この出だしで「?」と想うことから想像できることがまあ次々と起こる。映画が終わった後に浮かんでくる感慨というのが
「すばらしい設定なのに。もうちょっと脚本と演出がまともなら記憶に長く残る名画になったかもしれないのに。なんともったいない」
見せ場になりうるシーンはいくつもあるのに結局記憶に残っているのが、クリントイーストウッドの奥さん役の女性が
「年なんかどうでもいい。今度一緒にお食事でもいかが?」
と言いたくなるようなチャーミングな人であることくらい。地上に居る間はまだ結構面白く観れるのだが、宇宙にでてからはなんともならない。ストーリーが急展開というか、あれよあれよというまに勝手に進むというか。本来感動の涙をふりしぼるような場面はいくつもあるのだが、それがはらはらとすぎてしまうのはなんとももったいない。
今更ながら面白い映画を作る、ということは大変なことなのだな、と感じたりする。虚構の世界を築くのだから多少の無理や矛盾に目はつぶろうと思うのだが、金を取ろうというのであれば、上手にだましてくれなくては、などと気楽な観客としては考えてしまったりするのだが。
チャーリーズエンジェル-Charlie's Angels(2000/11/16)
原作は私が名前だけは覚えているが内容は全く覚えていないTV番組。そしてよく見知った女優が3人。彼女たちが明るく元気にきゃーきゃーと騒ぐってのは誰でも予想がつく。それ以上何を望むというのか。
そう思いながら見始める。途中までは結構ご機嫌だ-やたらとCameron Diazが踊る場面が多いことをのぞけばだが-しかし途中で
「依頼人の謎」
が解けてしまったところからは、どうにもいけない。私はお馬鹿な映画が大好きだ。そして
「真面目に馬鹿馬鹿しさを極める」
という点において、米国人の右に出る物はいないと思い、常々そのことに敬意を表している。しかし映画がお馬鹿だ、というのとそれを真面目につくるかつくらないかは別の話である。
敵の親分がいる。そこに天井からかっこよく飛び降りてたんかを切る。その瞬間後ろから銃をつきつけられる。あんた降りるとき何を見てたんだ。捕まったヒロインは椅子にしばりつけられる。悪玉の親分がチャーリーの正体を暴こうとしているのに何もできない。ぎりぎり。
親分が立ち去った後ヒロインは椅子に縛られたままで残りの男達を簡単にやっつけ、はいさようなら。なぜ、親分がいるときにそれをやらない。これではあんまりではなかろうか。本当に真面目に作っているのでしょうか。
観ている間にMission Impossible 2を思い出した。カンフーアクションがやりたいの。ああよかったね。ヘリコプターにぶらさがりたいの。ああよかったね。ではなぜMI2が-1800円でこの映画が560円かと言えば、MI2にあったような無駄な力みがなく、Cameron Diazはこうやってきゃらきゃら騒ぐ役がやっぱり似合っているな、と思うからである。(マルコビッチの穴参照)
エンディングにはNG集が延々と流れる。こうしたNG集は嫌いではないが、
「失敗シーンで金をとろうとはいい度胸だな」
などと考えてしまったのは、やはりこの映画から
「真面目さ」
を感じられなかったせいか。
米国のコミックスの映画化とのこと。SPAWNやBatmanと同じく(とくくってしまっていいのかどうか自信がないが)暗い感じのヒーローである。
人類の中にうまれつつあるミュータントが2派にわかれて大喧嘩。良いミュータントと悪いミュータントが戦えば最後に何が起こるかは決まっている。従って最初からストーリーに期待するわけもなく、スピード、スリル、CGなんかに期待を寄せたりするのだが。
そう思って映画を見始めると最初のほうは少しいらいらする。理由は今ひとつはっきりしないが、主人公の女の子の演技が少しだるいのだろうか。
これははずれかもしれない、と思いながら見ること1時間あまり。最後の戦闘シーンは結構面白かった。もっともその戦闘がどうの、というのではない。ちょっとしたセリフが面白かったのである。
正義のヒーロー達だから黒づくめのかっこいい服をお揃いで着込んで出撃だ。すると新しくX-Menに加わった男はこう聞くのだ
「こんなもん着て外に出るのか?」
映画だと思えばかっこいいが確かにあんな格好で歩いている一団が居たら変質者以外の何者でもない。
さて、なんだかんだと出撃すると、相手との喧嘩が始まる。相手には
「何にでも化けることができる」
という大変やっかいな奴が居る。主人公(もちろん良いミュータントだ)と主人公に化けた相手との区別のつかない戦いが始まる。
さて、めでたく悪いミュータントを倒した主人公。仲間と再会するがここでお約束の混乱が起こる。こいつは味方か味方に化けた敵か
「おい。俺だよ」
"Prove it"(証明してみせろ)
"You' re dick(?)"(お前はクソだ)
"..OK"
こんなセリフが妙に頭に残るが、逆に言えば他の部分はほとんど記憶から消えてしまっている。話の終わり方から行けば続編を作るつもりなのだろうが、よっぽど
「頭を使わない映画を観たい」
とでも思わない限り X-Men Part2は観ないのではないか。
何故この映画を観たか?映画館についた時間と上映時間がぴったりだったこと。二人の友達から「話題になっている」と聞いたこと。それにTVでこの映画の関係者が
「今までハリウッドの映画をうらやましがっていたばかりだったが、この映画はハリウッド映画の興奮を与えてくれる」
と言っていたのを観たからである。
最初の10分あまりは、「ほう」と思った。手持ちのカメラがやたらとぶれるので何が写っているかわからないこと、やたら血が出るところを除けばテンポ良く観ることができる。
しかし人間がセリフをしゃべり始めるにつれ、テンポがだらけ、話が軽くなり、「ああ。はいはい」となっていくのはいたしかたないところか。北朝鮮の工作員はターミネーターなみに強い。何十もの自動小銃でねらわれているのに、拳銃だけで(この拳銃の弾数はほとんど無尽蔵だが)首尾良く逃げ切ってしまうのだ。そしてクライマックスでそれまでのテンポも何も無視して、50年の分断の歴史について熱く語ってしまうのも、国が置かれている情勢を考えれば仕方ないとはいえ、映画としてはいかがなものか。
しかし制作者が真面目にこの映画を作ったとは思う。だから「金かえせ」とは言わない。隣国の様子について勉強にもなる。かの国では「美男」の基準がこの国とは少し違うようだ、とか。
しかし映画館に足を運ぶからには、それなりの芸を見せてほしいものだが。
エンド・オブ・デイス - End of Days (2000/1/9)
1999-2000のお正月映画では、このEnd of Daysともう一本が勝ちを収めているらしい。しかし「勝ち組以外」の映画を観てみれば、必ずしもその2本がいい映画だから人を集めている、というわけではない気がする。
アーノルドシュワルツネッガー主演で、千年紀が終わるときに現れる悪魔からある女性を、人類を救う、というプロットから想像されるとおりの映画。ただしエロ・グロは必要以上に満載であり、あっさり好みの日本人向けの正月映画としてはちょっとどうかな、と思ってしまう。ただ最後のHappy End(未だこの世は悪魔の世界になっていないから、Happy Endになるはずだ)はちょっといいな、と思うが。
さてこの映画では世の中すべてがキリスト教のプロットに従って描かれる。千年紀が終わるときに悪魔が何かをするのだがそこで主人公が鋭いつっこみを入れる。
「千年紀が終わるってのはいつの話だ。Eastern Time(米国東部標準時間)での話か?」
実際この「千年紀」というものほどばかばかしいものはそうないと思う。もしJesusが生まれた日に何か意味があるとしても、そこから千年経過したのがいつであるか、誰も知らないのだ。
などと筋に全く関係ないところが印象に残るくらいで、他は「ああ。はいはい」という感じ。50をすぎて、かつ病気から回復したシュワルツネッガーが元気にActionしているのをみれば、「俺もまだまだがんばらねば」という気分にもなれるが。
この映画で一番よかったのは最後のテロップとともに流れる歌だったかもしれない。
予告編は大変気に入った。SFウェスタンというのは結構いけるアイディアではないか。Typicalな西部劇の登場人物に黒人の捜査官、それに画面の中で暴れまわる動力が蒸気機関の大きなロボット。
しかし映画の本編を見ても予告編で見た物だけしかなかった。つまり驚いたり「おおっ」と思ったりとかが全くなかった。あくびはでないが、はらはらもせずにまた平和に見終わってしまった。
ノリは同じ監督(?)のMen in Blackに近いかもしれないが、テンポは今ひとつだった気がする。面白いアイディアとキャストを今ひとつ生かし切っていない。
途中乱闘のシーンで、一人フランケンシュタインのような強力な男がでてくるが、こいつがいきなりやられるところが今ひとつわからない。逆に言うといまこうして振り返ってみて印象に残っているのはそこくらいだったりもする。
将軍の娘-The General's Daughter(1999/11/28)
もうすぐ12月だと言うのに暖かい日曜日の午後。私は街をふらつき「何か映画でも観るか」と思っていた。そこにこの映画が5分後に始まる、という看板を見つけた。
予告編は何度も観ていた。これは一発観てみるか。
将軍の娘が無惨な姿で殺された。さて犯人は、という謎解き映画ではあるのだが。。。。
2時間、あくびをせずすごすことはできた。しかし気分が悪くなった。犠牲者となる女性の映像はとても痛々しく、とてもデートムービーに勧めることはできない。
私の友人に「映画にでてくる人物を4人以上見分けられない」という人がいるが、この映画を観ていてそのことを思い出した。登場人物はたくさんでてくるが、その場面だけでてくるような人が多く、誰がだれやらさっぱりわからない。困ったことに謎解きのキーとなる人でもそんな様子だ。だから最後には謎は解かれるのだが、どきどきするわけでもなく、あっと驚くわけでもなく。まあ最終的に謎が解かれて良かったね、というくらいのもの。
暇つぶしにビデオで観るのがちょうどいい位の映画だと思う。ただし大抵の人は気分が悪くなる可能性があると思う。
ライフ・イズ・ビューティフル La Vita E Bella (1999/5/29)
アカデミー賞3部門受賞というので結構期待して見に行った。
映画が終わったとき、私の目には涙が浮かんでいたが、それは感動の涙でも悲しみの涙でもなく、単に大きなあくびをしたからだった。
この映画を見ていて、どんな状況でもポジティブに想像力を働かせて歩いていく主人公に感銘を受けたことは確かである。それは特に今私が「たぶん私のものの考え方はどこか大きく間違っている」と思っているからでもある。彼の姿はその疑問に対するヒントになるかもしれない。それに「想像力」というものが何を意味するかについても考えさせてくれる。
しかしこの映画で価値があると思えるのはそこだけだ。主演男優賞受賞の主人公はとにかく最初から最後までしゃべり続けている。こんなうるさい映画は久しぶりに見た。そして彼の姿に感銘はうけるが、その演技がすばらしいかどうかは私の理解の外にある。彼が静かな演技を見せるのは一カ所だけだが、そのシーン自体非常に唐突にでてきてそれっきりとなっている。
ストーリーはだいたい単調に進んでいく。途中色々と伏線などをはっているのはわかるのだが、あまりにも偶然にたよって都合がよすぎたり、あまりにもつけたしだったりで、とても笑ったり感心したりする気にはならない。(実際映画館で笑い声があがったのは一カ所だけで笑ったのは一人だけだった)「ああ。はいはい」と思うだけだ。そして最後は唐突に終わりになる。
悪い映画とは思わないが、正直言ってこの映画がアカデミーに7部門もノミネートされる理由がわからない。「ナチスのユダヤ人虐待」というキーワードを入れるとそれだけで自動的に60点加算されるのではないかと思うほどだ。あるいは今までこうした視点からこのキーワードに取り組んだ映画がなかったということなのだろうか。
LAコンフィデンシャル-L A Confidential (1998/8/3)
この映画についてはあまり多くを語る資格がないかもしれない。半分寝ながらみていたようなものだから。
連日の異常な暑さと、冷房のない環境が答えたのかもしれない。しかしやはり映画は非常に凝って作られてはいたが、今ひとつ私の波長と合わなかったというところだろう。
対照的なタイプの二人の刑事が真犯人を追いつめていく、、、といえばなんとなく想像されるタイプの映画である。実際その通りだと思う。
一見優等生タイプの野心家の刑事が、ヒロインと寝てしまうところだけが全く気に入らない。これでは冷静でいやらしいくらい知能が高いはずのキャラクターが台無しだ。野性的な刑事がそれを知って彼を殺そうとするあたりは、あまりにも単細胞でこれまたちょっと白けてしまった。
しかしながらそのヒロインは確かに異常に美しい。45歳だそうだが「あまり若くないかな?」と思っていた私はその年齢を聞いてぶっとんでしまった。人間素質と努力とメークでなんとでもなる、っていう証拠かもしれない。確かにこんな美人が目の前にいたら、いくら冷徹な男でもちょっとよろけてしまうかもしれない。
アメリカでは1997年に大当たりをとった。ハリソンフォード演ずる大統領役が好評だったようだが本人のインタビューでは「いや。。セリフを読んでいるだけだから別に難しいことなんかないよ。それよりもインディジョーンズのシリーズをやりたいね」だそうだったが。
ベトナムで戦った経験のある大統領がAir Force Oneをハイジャックした犯人との戦いに決然と立ち向かう。いかにもアメリカ人が喜びそうな映画。1997年はアメリカでずいぶんたくさん映画をみたのだが、最後まで見ずにでてきてしまった唯一の映画がこれだった。理由はとても雰囲気が暗いからだ。人質が一人一人殺されていくシーンなど(私にとっては)雰囲気がとても暗い。とても耐えられず、、、おまけに結末はだいたいわかっているので帰ってしまった。そして今にいたるもそれを後悔したことはない。
1997年から1998年にかけて有名になった英国のコメディアンBeanの劇場版。
正直言って私は彼のギャグのタイプはどうもあわないようである。レスリーニールセンタイプの方が性に合うようだ。おまけにところどころでてくる「グロい」ギャグはとても好きではない。(飛行機の中で紙袋を破裂させるところなんか。。。ああ。こうやって書いていてもなんだか胃が気持ち悪くなる)
しかしながらこの映画の中で、一カ所だけ感心したところがある。彼は「レオナルド・ダ・ビンチはNBAの選手か?」と聞かれると"Yes"と答えるような「美術に関する知識」の持ち主で、おまけに大抵の場合長いセンテンスはしゃべらないのだが、、その彼はある絵画の一般公開に際して20分のスピーチをしなくてはならないのである。
このスピーチの場面は上出来だ。それまでの映画の中での彼の言動と全く矛盾を生じさせず、かつ見事なスピーチを披露する。シナリオを書いた人に賞賛の念をささげたい。
それ以外は特におもしろい場面もない。日本でこの映画をみたら、きっと暴れ出していただろうが、アメリカで安い時間帯にみればあまり腹もたたない。
There is something about Mary メリーに首ったけ(1999/1/31)
この映画は、日本で宣伝を担当した人間の作戦勝ち、という感じである。
日本での宣伝はは「あのことばかりを考えたお馬鹿ムービー」「笑いすぎていっちゃいます」などという言葉が並び、「あのことばかり」を考えたちょっとおかしな人間が山のようにでてくるかのように写真が配置されている。
しかしながら多少下品なギャグや場面はあるものの、基本的には普通の片手で作ったようなラブコメディだ。私は全く頭を使わない超お馬鹿映画かと思って見に行って「やられた」と思った。だから途中で帰ってしまったので結末は知らない。まあだいたい想像はつくが。
だいたい主演のCameron Diazの弟は知的にChallengeされた人、という設定なのだ。そんな設定の映画が「あのことばかりを考えたお馬鹿映画」であるわけがない。
映画自体はまあ560円位の価値だろう。私はこの映画に1800円も払ってしまったわけだが、日本の映画の広告は信用するな、という教訓を得られたのだからまあいいとせねばならない。
この映画はTVで見た。劇場公開は当初もっと早い予定だったがいろいろな事情があって遅れた、と聞いている。ようやく公開されたときに「見に行こうか」と一瞬思ったがTVで見てみて「1800円払わなくて良かった」と心から思った。
北朝鮮制作の怪獣映画。このプルサガリの中に入った人が帰国後本をだしたりしてあれこれ話題にはことかかなかったのだが。。ゴジラに角をはやしたような怪獣が民衆の為にあれこれ戦ってくれる。かの有名な共産主義を標榜している神聖国家の映画だから、「人民を搾取する富農階級に正義の鉄槌を」式の愉快なセリフでもあるかと期待して見ていたが、残念ながら最後までそうしたものにはお目にかかれなかった。
悪い皇帝をやっつけたところで農民達のお祭りがある。そこで話が終わらないところがちょっとひねってある。人民を救ってくれたプルサガリはその後人民のお荷物になるのだ。そのほかは「はあ」という感じ。特殊撮影は観ていて「どうやって撮影したか」がなんとなくわかってしまうようなものでほのぼのしている。昔のゴジラ映画ともちょっと手法が違うようだが。
多少の無理や矛盾:目をつぶるわけだから、本文中ではなくここに書いておく。何故わざわざ書いてしまうかと言えば、私がオタクだからである。
・X-2(と呼ばれる実験機)は二人のパイロットが妙に視界のよい風防の中で操縦している。そしてすごい低高度から一直線に上昇していく。
・トラブルが起きたシーンではどう見ても無重量状態とは思えない普通の動きをしている。
・適当な方向に向かってミサイル6機分のロケットなんか吹かしたって、低軌道から月に行くわけがない。
・月までとどいたとして、それが原型をとどめた形で残るわけがあるか。
繰りかえしになるが、こうしたことがあるから、この映画の評価が低いわけではない。本文に戻る