題名:映画評

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日付:2000/12/30

1800円 | 1080円 | 950円 | 560円 | -1800円 | 題名一覧 |


560円-Part3

ムーラン・ルージュ-Moulin Rouge(2001/11/25)

ただし、ニコールキッドマンといくかの歌+踊りの場面(すべてではない)を除けば-1800円。

見る前からあれこれの映画評を見て

「あれ、なんでこんなに評価が低いんだ?」

と思ってはいた。なんでもミュージカルだとか。しかしそれがどうしたというのか。予告編にでてくるニコールキッドマンは十分美しいではないか。

見始めるとまずここで言われている「ミュージカル」というのは半ば「漫画」のようなものだ、ということに気がつく。それはやたらとバタバタしていて目障り。しかし20世紀初頭にあったはずのないいくつかの音楽に乗せて踊りが映し出されるところはなかなか快い。ラップやロックは群舞のシーンに似合っている。特に「世紀末」の退廃と狂気がいりまじったような雰囲気には。

しかしよかったのはそこまでだった。後半中学生が書くようなラブストーリーになるとテンポと景気の良さはどこかへ行ってしまい、べたべたの台詞だけが延々と続く。そのうちユアン・マクレガーの顔がだんだん巨人の原辰則監督のように見えてくる。つまり同じくらいの知能程度に見えてくる、ということだが。

最後ヒロインが死ぬシーンではマクレガーは耳障りな鳴き声を延々とあげ続ける。これも意識的なギャグなのか、あるいは本気でやっているか判断に迷う。そしてエンドクレジットが流れ始めるとほっとした気になって席を立ったというのは本当のところだが。

 

エボリューション-Evolution(2001/11/4)

隕石とともに飛来した宇宙生命体が急激に進化して人間を襲い出しました。さてどうしましょう。

みている途中からなんとなく制作者は

「2001年版ゴーストバスターズを目指したのではなかろうか」

と思い出した。(ダン・エイクロイドは州知事役で登場している)それとともにこうした映画のおきまりのパターンが気になりだす。

・新しい生命を研究しようとする科学者と敵として戦おうとする軍人・政治家のいざこざ

・そのうち軍人が主導権を握り、科学者は部外者にされる。

・軍人の正当な攻撃は功を奏さず(それどころか事態を悪化させることもある)、今やアウトサイダーとされた科学者のあっと驚く解決策が絶大な効果を発揮する。

・敵はやっつけられめでたしめでたし。

別にこういうパターンが悪いと言うわけではない。Independence Dayなどほぼこの通りだが大変おもしろかった。しかしこの映画は妙なギャグはあちこちにあるだけでどうにも平板だ。部外者グループとして登場する人間は「落ちこぼれ」の笑えないステレオタイプのよう。肥満児の兄弟。消防士試験に落第するちょっと頭の切れかかった男。ジュリアン・ムーアは美しい科学者を演じるが意味もなくけっつまずき続ける。

結局盛り上がるべきシーンでも勇壮な音楽がやたら耳障りに響くだけになってしまうのは本当のところだ。私が愛するアリゾナの砂漠地帯が写ったのがうれしかったというのは他の人と共有できる喜びとは思えないし。

余談だが、主人公の科学者は昔作成したワクチンを兵士たちに接種したところ副作用を生じ、軍から追放されたという過去を持っている。そしてそのワクチンは(字幕にはでてこないが、私の聞き間違いでなければ)「炭そ菌」に対するものなのだ。近い将来このくだりを読み返したときに

「何?炭そ菌がどうした」

と思えるようになってほしいなどと願ったりするのだが。

 

キャッツ&ドッグス-Cats & Dogs(2001/10/21)

予告編が大変よくできていた。ああ、なんて馬鹿馬鹿しいんだ。けらけらけら。そして半ば予想したことと言いながら本編はそれよりも面白くなかった。

地球支配を目指す猫とそれを阻止しようとする犬。彼らの戦いということで、昨今の映画をいくつかパロディにしたようなシーンがおりまぜられる。機械仕掛けだかCGだか知らないが特に猫はあれこれのアクションを見せてくれる。しかしそれが何だというのだ。

実家のノータリン犬あいちゃんをかわいがるこの頃であれば犬の仕草にあれこれ感心してもいいはずなのだが、全般的に感じるこのだるさはなんなのか。私が久しぶりに見た「日本語吹き替え版」だから、というのが理由ではないと思うのだが。

 

コレリ大尉のマンドリン-Captain Corelli's Mandolin(2001/10/14)

映画を観ながら考える。ちょっと話の進め方に強引なところがあるが、基本的には大変真面目に作られていると思う。Attractiveな主演女優。彼女と二人の男の関係。美しいギリシャの風景。マンドリンの音色、戦争と地震、それを乗り越えて生きる人間達の姿。なのに観ている私がこれだけ平静でいられるのはどうしてか。

予告編で、ギリシャに進駐したと思われるイタリア軍が行進していくところが映される。その先頭に立つ将校がいきなり

「2時方向に美人発見。敬礼」

ああ、イタ公やってくれるぜ。この映画の中で銃を一度も打ったことのないイタリア軍は酒飲んでオペラを歌って姉ちゃんと戯れご機嫌だ。私は常々日独が同盟したのはわからんでもないが、イタリアまではいってしまったのは何かの悪い冗談ではないかと思っていたのだがこの映像を見るとその感が新たになる。

しかし本来この映画はこんな事を書きたかった物ではないと思うのだ。エンドクレジットからすると、おそらくは史実をなぞって作られた物語なのだろう。事実がもつ重み、そうしたものがあっても良いのに心は動かずましてや涙など流すこともなく。

従って見終わった後しばらくたって、頭に残っているのはヒロインが踊る見事なタンゴ(?)というのは意外だが事実でもある。この映画の監督はあのShakespeare in love を撮った監督だというのに。

 

トゥームレイダー - LARA CROFT: TOMB RAIDER (2001/10/1)

私はほとんどパソコン上でゲームをしない人だが、この映画があるゲームに基づいて作られたことは知っている。ゲームの主人公とおぼしき胸部がロケット状に垂直隆起した女性の絵柄を何度か観たことがある。

その映画化となれば

「きれいな姉ちゃんが、元気に飛び跳ねばんばん銃を撃ちまくって大活躍。ストーリーは期待しちゃだめよ」

とは思うところ。しかしたまには頭を使わず景気の良い映画をみたくなる時もある。

そう思ってみれば、予想通り映画は淡々と進んでいく。どんなに敵が居ようが絶対主人公がやられるわけはないのだから気楽なものだ。をを。雑魚をやっつけたら、ボスキャラがでてきたぞ。それにばしばし拳銃を撃ち込むところがゲーム原作というところなのか。

等と平和に進行するのだが、最後の数十分はほとんどその場の思いつきで作っているのではなかろうか。いくらストーリーに期待しないとはいえ、ナイフをさされて死にかかっていた男がいきなり派手な格闘を演じたあげく、やっぱり「ぱたっ」と死ぬのはあんまりではあるまいか。

また通して観たとき変な事に気がつく。この主人公のお姉さんを突き動かしているのは亡き父親を慕う感情なのだ。つまり彼女は極端なファザコンなのである。男も何人かでてくるのだが、男女間のあれこれというのは一切描かれない。従って物理的になかなかAttractiveな女性なのに何の色気も感じない、という不思議な映画となっている。

最後はお約束通り崩壊する宮殿から間一髪脱出する。(この脱出シーンもなかなか妙なのだが)映画なら必ず助かるが現実にビルが崩壊したときはそんなに都合良く行かなかったのだろうな等と考えてしまうのはやはりテロの後遺症か。

 

猿の惑星-Planet of the apes(2001/7/23)

ここに書くのは「リメイク」の方を観ての感想である。リメイクということは初代(というか原作)があるわけだ。それを観た当時の私は小学生か中学生。それでも緊迫した展開と驚愕のラストは鮮明に覚えているが。

さて、その名作のリメイクであるからさぞかし作りにくかろう。どうするのだろうか、と思うと冒頭からストーリーはテンポよく進んでいく。土星を回る宇宙ステーションが舞台。船長、前方に磁気嵐があります。よし。まず猿をポッドに乗せて送れ。行方不明になりました。ここで主人公はいきなり自らポッドに乗って磁気嵐に突進だ。無茶苦茶である。

この映画は最後までこうしたノリで進んでいく。時の流れは遙かにリアルな猿の顔を作り上げる事を可能とした。ただそれだけである。追っ手から逃げる途中、次々と描かれる猿の家庭風景を観ているとどう考えても真面目に作っているとは思えない。しかし名作に正面から挑む事をせず、半ばギャグのような映画を作るのもありかな、と思いながら気楽に観ることができる。スクリーンの中では全ての人間(しゃべれるのは主人公だけではないのだ)それに猿が仲良く見事なAmerican Englishをしゃべっている。まあこういうのも良いかな。

そうこうしている間に「驚愕のラスト」は近づいてくる。このラストを観た瞬間「この映画に払ってもいいと思う値段」は950円から560円に落ちた。それは

「無理矢理落ちをつけてみました」

というだけのもので、理屈も何もあったものではない。デタラメである。オリジナルのラストのような素晴らしさを求めはしないが、ノリだけで作った映画にも三分の理位はあってほしいものだが。

 

スターリングラード-Enemy at the gates(2001/5/5)

私はこの映画を観るべきかどうか迷っていた。時間からして観るのはこれしかないのは解っている。しかしこの題名から感じる重さはどうだ。想像しただけで気が滅入りそうだ。しかしもう私は列に並んでしまっている。ええいしょうがない。

見終わってみればこれは杞憂という奴だった。気が重くなることもなく、泣くこともなく、感動することもなく淡々と映画は終わった。冒頭のシーン、砲弾、それに銃撃がうずまく川を到着したばかりの兵隊達が渡る。船の上では政治将校が怒鳴りまくっている。二人に一丁だけ銃が支給され、ただ前進することを要求され、そして退却する者には味方の機銃掃射が待っている。ここだけは何かを考えさせられる。スラブ人を救いがたい2流民族、被征服民族と見なしていたヒトラー、そしてソ連人を殺した数ならそのヒトラーにひけを取らないスターリン。当時のソ連人には何が出来たというのか。政治的な小話でうさをはらすことしかできなかったのか。

しかしこの冒頭シーンですら、Saving Private Ryanなどと比べるとどうにも緊張感に欠ける。そして話は伝説に祭り上げられた狙撃手へと移る。恋人ができたの。ああよかったね。嫉妬に狂った男がいるの。そうかもね。あら、いきなりこの人改心しちゃった。そうですか。ところでさっき書いていた上司への手紙はどうなったんですか。過酷な戦闘、対決する狙撃手そして3角関係、なのにこの平坦さはどうしたことか。

映画が終わりに近づくにつれ、必要な人物は必要な場所に自由自在に現れるようになる。敵の狙撃手と相対しているところで、彼女といちゃついていびきをかいて寝ていていいのでしょうか。いいんです。これは映画ですから。かくして映画は平和に結末を迎える。ベルリン映画祭でオープニングを飾ったが全く話題にならなかったというのが頷ける。結局一番印象に残ったのがざこね状態の主人公と愛を交わすヒロインの白い臀部だったのは本当のところだが。

 

ギター弾きの恋-Sweet and Lowdown(2001/4/15)

これもいわば「評価不能」の映画かもしれない。

1930年代に活躍したという設定の架空のジャズギタリストを描いていくのだが、まず面食らうのはWoody Allen, あるいはジャズの研究家などのコメントが入るところだ。それは普通考える映画というよりは、NHKで放映されているようなドキュメンタリー番組に近い。

語られているのは日本の言葉で言えば昔ながらの「芸の為なら女房も泣かす」の芸人の物語。女房を泣かせればいい芸ができると勘違いしている人、というのはたくさんいるそうなのだが、このおじさんは見事なギターを奏でる。その調べをちりばめストーリーは古典的なパターン通り淡々と流れていく。

この映画において彼の人生には二人の女性が登場する。一人はMuteの女性、もう一人は物理的にAttractiveであり、自分が思っている1/5くらいの知性を持っている女性。見終わってからしばらく考えて気がつくのだが、この二人の女性はなかなか丁寧に描かれ好演していると思う。周りの観客からは見終わった後に「あのMuteの子かわいかった」という声が聞かれたが、物理的にAttractiveな女性もいいキャラクターだと思う。彼女を観ていると自分が自分でない何者かになり得ると思い、似合わない役に挑戦し続けるキャメロン・ディアズを思い出す。

しかしながら映画が終わり場内が明るくなったとき私の脳裏に浮かんだ感情に変わりはない。つまり

「何だこれは」

アカデミー賞に二人がノミネートされているらしいのだが、アカデミー賞関係者の投票やらウッディアレン流など私の知ったことではない。なんなんだこれは。

 

マーズ・アタック!-Mars Attack(2001/2/10)

私にしては珍しくビデオで見た。友達の家で「これは映画館で見たら怒り出すような映画だよ」と言われて馬鹿話傍らちらちらと見たのだが。

いきなりジャック・ニコルソンが大統領役で出てくるところからして正常な神経で造った映画とは思えない。その他私でも知っている顔が目白押しである。007のおじさんは妙な教授役ででてくるが、「おっさん。いいのかこんな役をやって。イメージを壊さないか」と余分な心配までしてしまうのだが。

その友達は「Hot Shotののり」と言ったが、そうした笑い転げるパロディ映画ではない。人は結構シリアスにばたばた死んでいく。ではシリアス映画かと思えば、最後にアメリカ国家を演奏するのがメキシカンの楽団であるところとかゴジラがのっしのっし歩くところなどはとても真面目にやっているとは思えない。

一体これは何なのだろう?と途方に暮れたので、他の映画評を見てみた。すると「「50年代の特撮映画」を再現しようとしている映画」という言葉がある。なるほど。確かに子供の頃日曜の午後にTVでやっていたような古き特撮映画の趣がある。しかし次に解らないのが「そんなことをして何が面白いのか」ということであって、これにはどうも答えがでそうにない。

といわけで本音を言えば「値付け不能」としたいのだが、まあ最後まで見たので560円にすることにした。あるいは50年代の特撮をリアルタイムで沢山見た人であれば、全く別の感慨を受けるのかもしれないが。

 

シックス・デイ-The Sixth Day(2000/12/30)

正月映画の季節である。シュワちゃんである。それ以上何を期待し、何を書けというのか。

去年の「エンド・オブ・デイズ」に比べれば格段によいことは確かだが、それ以上特に変わったところがあるわけではない。去年のお題は千年紀だったが今年のお題はクローン人間。星新一のエッセイに

「核爆弾を開発した科学者達はまさかそれがスパイ映画の小道具に使われるとは思っても見なかっただろう」

というのがあった。クローンを開発する人間がどの程度問題意識を持っているかしらないが、今後間違いなく議論になるクローン技術もシュワちゃんの映画のネタとなれば平和なものである。

こうした映画では、「悪の組織」や「悪の技術開発研究所」は一カ所に固まっているからどっかんと吹っ飛べば平和な日常に戻るところがいいところ。現実の世の中ではそうはいかない。ペーネミュンデを爆撃すればナチスドイツの長距離ミサイル開発を阻止はできるが、いつしか極東の小さな国まで長距離ミサイルを保有するようになるのだ。そして開発をやめてほしければ金をよこせ、などとおおっぴらに主張したりする。

しかし映画の中ならシュワちゃんの活躍で2時間以内にかたがつく。こうした平和なアクション映画は正月にぽけたんと観るのにはぴったり。そういえば去年のと「家族を守る父親」というところが共通だ。来年はこの縛りの中でどのようなお題になるのか。いや、別に日本の正月に併せてシュワちゃん映画が作成されるわけではないのだが。

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注釈

当時:それが公開された頃と思うがビデオデッキなるものが初めて家庭用に売り出され、こんな広告が新聞に載っていた。

「何故家庭にビデオデッキか?こんなものが録画したいから」

というコピーの後にいくつかの項目が並んでおり、その中にこんなのがあった。

「猿の惑星で猿同士がキスするシーン」

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