映画評

五郎の 入り口に戻る
日付:2008/4/1
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560 円-Part10(Part9へ | -1800円へ)

エクスペンダブルズ -THE EXPENDABLES(2010/10/17)

さて、今日の課題です。ものすごく豪華な出演者をポスターに並べ、かつ製作費を抑えるにはどうしたらいいでしょう?

ずらっと名前が並んでいるが、実質的に出演しているのは、スタローン、デスレースの 人、それにジェット・リーである。ミッキー・ロークはまあそれなりに出番があるが、ブルース・ウィルス、シュワちゃんは

”なるほど、こうやって名前を出したわけね”

という役柄。しかしシュワちゃん老けたなあ。

というわけで出演交渉が成立したところでこの映画は完成、だったのだろう。顔ぶれからして誰も話の内容に期待してはない。

だから950円かと思っていたのだが、途中からの無茶苦茶ぶりにはあきれてしまった。依頼されたターゲットの将軍は傀儡で、黒幕が別にいる。だが、 それを倒したところで、、とそもそもの正義をなくした設定はいいと思う。しかし結局ややこしいことはすっとばし

”やっぱり若い女の子まもらなくちゃ”

じゃあいかがなものかと思うのだ。”敵の兵士”は問答無用で皆殺しにされるが、あの中には真面目に純真に兵士をやっていた男もいるのだろうな、と考 えずに はいられない。


ナイト&デイ -Knight and Day(2010/10/10)

女房は亭主よりも四つばかり年嵩の女だ。中学校に居た時ウィッチと云う言葉を習った事があるがこの女房はまさにウィッチに似てい る。ウィッチだって 人の女房だから構わない。

夏目漱石-坊ちゃんより

映画を観ている間何度この文章が頭をよぎったことか。

調べてみればトム・クルーズ48歳、キャメロン・ディアス38歳。太陽光は大敵である。顔をしかめる関係上シワは強調され、しかも細かい凹凸まで白 日の元にさらされてしまう。話の都合上トムは太陽光の下で

”君は美しい”

とかキャメロンに言うわけだが、そのセリフに同意できる観客はいるのだろうか。

少しは気を使ったのかトムは何度かサングラスをかけて登場する。目の周りのシワを隠せば少しはマシに見える。その点素顔勝負のキャメロンの度胸は買うが、金を払った観客としては一言言いたくもなる。ビキニ姿をさらすのも勇気ある行為だが、チャーリーズ・エンジェルのキャメDダンスを思い返し、時の流 れに涙したのは私だけではあるまい。

二人ともどこかで決断すべきと思うのだ。老け役に徹するという決断を。しかし”まだ行ける”とどこかで考えているのだろうな。

脚本家はキャメロンの役柄をよく考え、彼女ならではの役を創り上げたと思う。この女性に錯乱され、自動小銃を乱射されては一服盛りたくなるのもわか る。あと自白剤をうたれての狂いっぷりとかなかなか見事。アクターズ・スタジオでのインタビューを観たことがあるが、映画の役から受ける印象そのまんまの 人であった。

というわけであらすじだが、、まあどうでもいいので省略。とはいえ109分の映画だが、体感時間2時間半はあったな。


食べて、祈って、恋をして -EAT PRAY LOVE(2010/9/26)

というわけであっさりネタを割ってしまうが

”自分探しの旅に出たジュリアロバーツは、しこたま食って、いい出会いをいっぱいして、明るい自分にうまれかわり、そしてチャーミングな旦那を捕ま えました”

もっと要約すると”女性の妄想映画”である。従って例によって疲れた中年男はノリについていけないわけだ。この映画がどれくらい真面目に作っている かというのは以下の 場面が代表していると思 う。ジュリアがイタリアでおいしそうなパスタを食べる。そこで流れているのはドイツ語で書かれたオペラ”魔笛”の”夜の女王のアリア2”。せめてイタリア 語で書かれたオペラにしろ、とは誰も考えなかったのだろう。

そうした歪んだ設定のとばっちりをうけたのは、ジュリアの最初の旦那。

”大学に戻って教育学を学びたい”

とつぶやいただけで、いきなり離婚を持ち出される。不要なシーンの後はあっさり”いい思い出”にされる。私には彼がなぜそんな扱いを受けるのかわか らないが、女性の妄想を成就させるためには犠牲が必要なのだ。

こんな筋ならキャメロン・ディアスでいいではないか、というほどアーパーな主人公でもない。一応バリ島で行きずりの男とくっつかないくらいの”理 性”は存在している。とはいえ、この内容で2時間20分もやるのは冗談であってほしい。なんの問題もなく90分にまとめられるはずだ、というのは”こだわ りどころ”のわからない男の感想なのだろうな。

観ている間に”こういうひねりのない女性の妄想全開映画って日本にあったっけ”と思い出す。(いや、邦画めったに見ないのだけど)どうせくだらな い映画を造るなら、素直に妄想を映像化するのも一興だと思うのだが、日本で映画、というと妙にかしこまるのかなあ、、とか想像しているうち、いつし か映画は終わる。早く感想かかないと全部忘れてしまいそうだ。あわててキーをうつ。


Tooth Fairy(2010/8/1)

かの国では、抜けた乳歯を枕の下においておくと妖精さんがやってきてお金に換えてくれるのだそうな、などと伝聞として語っている場合ではない。うち の子供にも同じことを言われた。

というわけで”シュワちゃんになろうと(無駄な)努力を続ける”Rock様の出番である。主人公はマイナーリーグに所属するアイスホッケーの選手。 強烈なアタリで相手の歯を吹き飛ばすことからTooth Fairyと呼ばれている。しかしある出来事がきっかっけで本当にTooth Fairyの仕事をさせられることになり。

株式会社Tooth Fairyの親分はかのジュリー・アンドリュース。とはいってもこの映画では歌わない。最初は彼女の指示に反発ばかりしているRock様はいろいろな出来 事を経て立派なTooth Fairyになりました。ぱちぱち。

なのだが

なんというか”子供向けだからまあこれくらいでいいだろう”という姿勢があちこちに垣間見える。例をあげよう。Rock様の恋人の子供は、学内演芸 コンテストでギターを弾きかっこいいところを見せたいと思っている。Rock様はドラムを叩き練習に付き合う。

さて本番。Rock様は客席から観ている。どうするのかと思えば、いきなり舞台袖からバックバンドが現れ、ギターにあわせてくれる。演奏が終わると バックバンドは音もなく消え去る。なんなんだ、あの青年たちは。

いや、そいういう些細なことには目をつぶろう。最大の問題は、Rock様が滑稽かつ愛嬌のあるキャラクターとは見えない点にある。時々”にやりと 笑ったいいお顔”をするのだが、そういう顔をしてしまう時点で、コメディアンとしては失格ではなかろうか。


恋するベーカリー- It's complicated(2010/7/26)

主人公たるメリル・ストリープは、3人の子供を持ち、ベーカリーを経営している。子供の卒業式がきっかけでわかれた旦那と再開。そしてなぜかよい雰 囲気になり,,,というお話。

想像するにこの映画は、40−50代女性が持ちうる一つの妄想ではないか。若いツバメにおっかけられる(恋愛適齢期)妄想もあろうが、この映画は別のパターン。主人公は社会人としても母 親としても立派に成功している。その上でかつて自分を捨てた男に

”あの若い女より、君のほうがいいんだ!”

と言わせた上で却下する以上の復讐があるだろうか。じゃあ結局ひとり?No Problem。あこがれのキッチンを実現する増築(これも女性の願望の一つではないかな)を依頼すれば、ハンサムかつ親切な建築士の恋人ができる。そん なあれやこれやについて女友達同士でわいわい盛り上がるのも実に楽しい。

問題は観ている私が40代の男性であるという点だ。つまりその妄想に共感できないし、ノリにもついていけない。中年女性が4人でキャーキャー言って いる場面は暑苦しいし、だらだら続く元旦那との関係にも飽き飽きする。

とはいえ良いところもある。こういう

”女性の妄想全開映画”

では男性が非人間的な扱いを受けることが多いが、この映画は少し良心的。あとメリルの子供たち+婚約者も話のじゃまにならない良い子達なのが良い。 しかし見所と言えばそれくらい。アレック・ボールドウィンは太りすぎだと思うし、その裸を見せられるのは勘弁である。


アイアンマン2- Iron man 2(2010/6/12)

思うにアイアンマンでも メカ同士の喧嘩シーンはいい加減だった。何がおもしろかったかといえば、やはりロバート・ダウニー・Jrその他の人間の演技。

2作目となる本作でもそれはある程度継承されている。グィネス・パルトロウとスカーレット・ヨハンソンが地味なドレスで並んで歩くところは それだけで目の保養になる。ミッキーロークも前半はよかったし、一見ヒーローとしてご機嫌な生活を送っているダウニー・Jrが鏡に向かい

”さて、どうする”

とつぶやく場面はよかった。

しかし後半そうした人間の興味深い顔が加速度的に失われていき、ただのチャチな映画になってしまった。ちなみに最初から駄目だったのが 今回の敵役。名前も忘れたがライバル兵器メーカーの人ね。

自棄になった社長が酔っ払ってスーツ姿(つまりアイアンマン姿)でくだまくところとか、誰が誰やらわからん空中戦とかだらだら続く。 ミッキー・ロークと敵役兵器メーカーの人の最後の言葉は完全に浮いているし。エンドロール後のショットを見る限り続編作る気満々のようだが、脚本は別の人 間に書かせたほうがい いので はなかろうか。


ドン・ジョヴァンニ 天才劇作家とモーツァルトの出会い- IO, DON GIOVANNI/I, DON GIOVANNI(2010/6/4)

映画が始まる。数分経ったところで話についていけなくなる。誰が誰の成長した姿で、一体何をしているのか。

そのうちそんなことはどうでもよくなる。そもそも話の筋がどうのこうのいう映画ではないのだ。ドン・ジョバンニを書いた劇作家ロレン ツォ・ダ・ポンテは、実生活でもドン・ジョバンニばりの”社交的な”男でした。以上

おそらく制作費があまりなかったのだろう。18世紀のウィーンの街並みはすべて布に書かれた絵で表現されている。劇中劇という作り方を 強調したものと好意的に考えるべきか。モーツァルトは

”イタリアから来たさえない留学生”

といった面持ち。ドン・ジョバンニを作曲しながら

”このオペラに殺される”

とかいって身を捩るシーンは、初めて食べた天ぷらにあたったようにしか見えない。大きな劇場も使えなかったのか、演奏はすべて小さな劇 場でなされる。皇帝がいるのに観客まばらだし。ダ・ポンテの彼女は静止画だと大変美しいが、口を開けない方がいいと思う。

印象としてはラフマニノフ ある愛の調べに近い。あまり映画ともいいたくないようなチャチな作りばかりが目に付く。かと思えば、ドン・ジョバンニが地獄に引きず り込まれるところではバックに溶岩の動画など流し、返って興冷めしてしまう。

うーん。この映画に1800円払うのなら、隣でやってたオー ケストラ!-をもう一回観た方が良かったかなあ。とはいえいいこともある。平日の昼間に観たのだが、観客がみな落ち着いた感じの方ば かりなのだ。映画より観客のほうが興味深い、、となるとやっぱり隣に行った方が(以下繰り返し)


Leap Year(2010/5/23)

今をさること13年前、私はある映画についてこう書い た。

映画の舞台はIreland。まるでIreland観光協会全面協力のようにIrelandの観光名所(なのだろう)のシーンがで てく る。米国の新 聞の批評は「またまたでてきた”都会の生活にあきた。田舎に行こう”映画。おっと言い忘れてた。今度の舞台はIrelandだよ。」私も同感である。

上記のフレーズはこの映画にもぴったり当てはまる。

主人公はBoston生まれのBoston育ち。仕事は順調、外科医でハンサムな彼とあこがれのマンションに入居したいと思っている。 ところがその 彼は4年もつきあってるのにプロポーズしてくれない。なんでもアイルランドには閏年の2/29に女性からプロポーズしてもいいという習慣があるそう だ。ちょうど彼は学会でアイルランドに行っている。これはいくしかない。ところが空港は雪で封鎖。ここからどうやって彼がいるダブリンまで行けばいいの。 かくして”たまたま知り合ったイケ面アイルランド男性”とふたりの珍道中が始まるのであった。

という筋はまあどうでもよい。言いたいことは前掲のフレーズで十分なのだから。この”女性がおいかけていく”パターンは映画だかドラマ でなんども観 た。新たな恋を成就させ田舎に落ち着くためには、最初の彼氏が悪いヤツにならざるを得ない。この映画ではその理由が浮気ではないのが唯一の新機軸。

登場人物がアイルランド観光名所を瞬間移動するのはお約束だからつっこまないが、途中のドタバタがチャチで長過ぎる。結果はわかってん だから早くしてくれと思っても、不幸にして早送り機能がない機体だったのでただ見続けるしかない。

こうした”都会生活を捨ててアイルランドに行こう!”映画って何年かおきに再生産されているのだろうか。途中からはそのことばかり考え ていた。


シャッターアイランド-Shutter Island(2010/5/4)

映画の宣伝担当にとって一番大事なことは、観客に劇場へと足を運んでもらうこと。代金さえいただいてしまえばあとは野となれ山となれ。 かくして 低評価&高収益の映画が一丁上がり。

今まで何度かこういう映画にひっかかった。宣伝が映画の内容となんの関係もなかったのかあ、と気がついても後の祭り。しかしこの映画の 担当者 はもう少し良心的だった。

映画の冒頭”この映画には謎があります。細かいしぐさとか視線とかに注意してください”と日本語で字幕がはいる。また”そのすごい謎を ばらさないでくださ い”とも。つまり足を運ばせ、金を払わせただけで終りとせず、”すごい謎があると思いこんでください”と言い張るくらいの良心があったというわけだ。

孤島にある精神病棟&刑務所で女性患者が行方不明になった。そこに派遣されたのがディカプリオ+もう一名。

最初は宣伝部の意図にそい

”ダマされないぞ。ミスディレクションはどこだ?”

と身構えてみているがそのうちどうでもよくなる。だって、誰がどう観たっ て一番狂ってるのは、、、ねえ。映画の公式サイトからたどれる”謎チェックシート”をみれば、それなりに伏線があったらしいのだが。(ここからネタバレ)

同じ趣向の謎としてユージュアルサスペクツの出来には遠く及ばない。シー クレット・ウィンド ウよりは少しましといったところであるか。同じコンビのディ パーテッドほど腹がたたないのは最初から大作を指向しなかったためか。

かくして謎がとかれたあとも映画はだらだら続く。最後にちょっとひねりがはいるが、まあどうでもよい。深読みしたい人はお好きなだけあ れこれ語れば よいが、堂々たるB級映画という雰囲気が残る。時代の背景を考えれば、”精神病”の治療方法に関する医師たちの葛藤とか興味深い事実を下敷きにしているは ずなのに。

過去に何を作ったかしらないが、スコセッシというのはこうした映画を作るのがお似合いではなかろうか。眉間にシワを寄せるしか取り柄の ないディカプリオとよいコンビと思う。


しあわせの隠れ場所-The Blind Side(2010/2/28)

私にとって地雷源と化しているサンドラ某だが、アカデミー賞主演女優賞の候補になったと聞いたので観に行った。

見終わっての感想は

”冗談だろ”

行き場所がなくさまよっていた高校生を、ある裕福な夫妻が迎え入れる。彼の勉強の面倒をみてやり、ようやくフットボールに入部が認めら れる。大活躍して大学からスカウトが山ほどくる。しかしDivision 1Aに入部するためにはまだ点数が足りない。必死に勉強してようやく合格したと思えば、、

という実話に基づくお話なのだそうな。コメディではないのだが、やっていることはいつものサンドラ某のラブコメと一緒。全く型通り。で あるからして、成功の途中でなにか”困難”が来るはずだと思う。あれこれ想像しながら身構えているとそれは、、どうでもいいものだった。そこからの”回 復”もあっさりと。

途中本物のCollege Footballのコーチが山ほど登場し、手馴れた”高校生へのスカウト”を演じる。流石に”演技慣れ”している人たちだが、こういう”素人出演の内輪受 け”を延々観させられても観客-特に日本 の観客-は退屈するだけだ。

また何が気持ち悪いといって、裕福な夫妻が完璧に”良い人”なのだな。それだけではたらず(これもサンドラ某にはいつものことだが)セ リフで”私は良い人なのだ”と宣言しなくては気が済まない。

”私が彼の人生を変えてるんじゃないの。彼が私の人生を変えてるの”

というセリフ自体はいいも のだと思うが、映画の中では完全に浮いている。世の中には自分のベッドを持ったことがない人がいることを知り、自分が行ったことのない治安の悪いエリアに 行くことがそんなにすごいことなのか。

ディ パーテッドが作品賞をとる世の中であるからして、この映画のサンドラ某が主演女優賞をとっても驚かない。しかしその背後に何があるか は知りたい気がする。とか書きながらノミネート一覧を見てみれば、、何?作品賞にもノミネート?

とはいえ

米国の大学でFootballをするということがどんなことが垣間見られるのは面白い。成績が一定以上じゃないと入部すらできない。 (”協力”をほのめかす場面もあるが)これは見習ってもいい部分ではないかと思うのだが。


The Invention of Lying(2010/2/20)

飛行機の中で鑑賞。たぶん日本で公開されないと思うので、あらすじをまじえながら。

舞台になるのは仮想の世界。そこは我々がいる世界そっくりだが一つだけ違うところが。そこには”嘘”というものが存在しない のだ。だから他人の赤ちゃんをみても

”ねずみみたいで変な顔ねえ”

となんのためらいもなく言ってしまう。

主人公はうだつのあがらない40男。結婚どころか彼女すらいない。加えて会社を首になる。家賃すら払えず、ホームレスになりそうに なったところですばらしいアイディアが閃く。

預金残高が$300だということを知っている。しかし”$800だ”と言ったらどうなるのだろう?

そこから彼の人生は一変する。嘘をつくことにによって富も名声も手に入る。ここらへんは、最近

”人生結局主観ではないだろうか”

と思っている私の興味を少し刺激する。そして臨終の時を迎える母を慰めるために”死んだらすばらしいところに行くんだよ”と”嘘”を告 げる。しかし周りの人には”嘘”という概念が存在しない。あの男はなぜ死後の事を知っているのか。そして彼は”十戒”を執筆するハメに陥る。

いや、ここまでは素晴らしかったのだ。私が神様に関して学んだ事はといえば

事実その1:神がいるかどうかは誰も知らない。

事実その2:仮にいたとしても、人に語りかけたことは一度もないし、特定の望みを叶えたこともない。

上記から導かれる結論:従って神の言葉を語る人間はすべて嘘つきである。

である。この映画はまさにそれを公言しようとしているではないか。書き上げた十戒をピザの箱にはるところからして、(まるで石版であ る)絶対それを意識 していたはずなのだ。

しかしここで製作者が日和見的態度に走ってしまう。残りの時間はだらだらした主人公の恋愛話になってしまうのだ。うーん残念。

かくして全体を通した評価はこの値段になってしまう。気軽に時間をつぶすときに悪い映画とは思わないけど。調べてみれば主演は英国では 有名なコメディアンなのだとか。今の彼は私のようなさえないおっさんだが、若い頃はビジュアル系のボーカリストだったのそうな。


ラブリーボーン:The Lovely Bones(2010/1/31)

みているうちに何度も思う

”どうした。何があった、ピータージャクソン”

これがあの” The lord of the ring"を作った人間の作品だろうか?

予告編を見る。いきなり少女の声で”私は14歳で殺された”と告げられる。ううむ、ということはきっとゴーストのようなお話に違いない。あの世から少女が 犯人を捕まえる手伝いをするのだ。

などと考えているうち映画が始まる。少女に不幸な運命が訪れることはわかっているのだが、前半はなかなか楽しい。しかし少女が憧れている上級生がどうし て、彼女に近づいてくるのかさっぱりわからない。どうもいやな予感がする。

などと考えていると、彼女に降りかかる運命がネチネチネチネチと描かれる。原作の小説はもっと細かいらしいが、こういう場面は見ているのがつらくなる。

さ てそこからは喪失感と戦う家族が描かれる。というか描こうとしたのだろう。あの世とこの世の間に行った女の子はあれこれやっているが、基本的に現世には何 も手がだせないらしい。妻は家出をし、残った兄弟は悲しみと戦いながらも暮らしていく、と文字にすることはできるのだが、どうにもこうにも中途半端。主人 公のエキセントリックな祖母がでてくるのだが、それに何の意味があるのか。父親と母親の狂気に満ちた感情も見ている側に感じられないし。

そうこうしているうち、第6感により家族は真犯人を突き止める。(以下ネタばれ満載)

妹は危険をおかしてその男の家に侵入する。ところが(お約束通り)そこに犯人が帰ってきた。またここがいやらしいほどネチネチネチである。証拠見つけたら とっとと逃げろよ。いやそこはまだいい。命からがら犯人の手から逃れ家に戻れば、母親がかえってきてほのぼのしている。

ど うしてもここだけは理解ができない。殺人犯の手をからくも逃れてきた女の子が家族の顔をみたら、まずHelp ! Call the Police !とさけぶでしょ?殺されそうになったんだよ?自分の姉がどうされたか知ってるんだよ?せっかく帰ってきた母親がどうのこうのとか遠慮している場合じゃな いじゃない。かくして犯人は悠々と逃げ去りまた別の女の子が犠牲になるのであった。

それは主人公にも言える。現世に手出しができないかと 思えば、なぜか最後だけゴースト張りの乗り移りをやる。そこで犯人をつかまえるかと思えば、彼女が望むことは、、まあ14歳の女の子だからねえ。。かくし て 犯人はまたもや悠々と逃げ去るのであった。最後にとってつけたような天罰が下るのだが、あんな天罰ならないほうがマシというもの。


かくして冒頭に述べたような感想が繰り返し頭をよぎる。唯一の見どころは、”全米人間の屑選手権ブッチギリ優勝中”、スタンリー・トゥイッチ演じる犯人 か。(いや、彼が演じているということは後で知ったのだが)


ウルヴァリン:X-MEN ZERO: X-MEN ORIGINS: WOLVERINE(2009/9/13)

調べてみればX-MENの一作目を観たのは9年前だ。というわけで細かいところは何も覚えていないが、これでお話はだいたいつながっ た、ということ なのだろうか。と思い調べてみれば、もう一作作るつもりなのね。さらに調べると、お兄さん一作目に出てきてたのか。ストライカーという人は2作目に出てき たようだが全然覚えていない。覚えているのは青いお姉さんと、白髪の黒人と、ファムケ様、って結局女性ばかりであるか。

予 告編をみて”どうでもいい映画だろう”と思って見に行ったらやっぱりどうでもいい映画であった。ヒュージャックマンは実は南北戦争にも参加していたからも のすごい年寄りなのだが、なぜか今の年齢で成長がストップしている。それから二つの大戦とベトナムにも行ったのだが、この事実はストーリーに全く関係がな い。

一 作目を観たとき”なんで体から金属がでてくるんだ”と思ったがこの映画はその理由を108分かけて説明してくれる。108秒で十分と思える内容を60倍に 引き延ばしているのだから、まあどうでもいい映画な訳だ。次作までひっぱろうと思ったら子供ミュータントの顔をもうちょっと見せてもよかったと思うけど。

と はいえ見所もいくつかある。ゼロという名前の超スナイパーがでてくるのだが、彼はアジア系俳優の中では一番かっこいいと思える。カナディアンロッキーの 風景は雄大。あとはスリーマイル・アイランドが本当に島という事実を知ったことくらいか。とはいっても、スリーマイル・アイランドが何故でてくるかはもう 私くらいの歳の人でないと分からないと思う。


G.I.ジョー- G.I. JOE: THE RISE OF COBRA(2009/8/22)

(注意!以下のあらすじにはネタバレが含まれています!)

G.I.ジョーというすごい兵隊さんたちはあちこちで悪い奴らと闘いました。とりあえず話はおさまりましたが、続編 を作るのに十分な” 歯切れの悪さ”は残してあります。

いや、夏休み用お子様向け映画ということは知っていたのだよ。でもそう思って見に行って”意外な満足感”を感じた事も何度かあったし、 もしかしたらと思ったのだが。

残念ながら”思った通り”の映画だった。なぜこんなに次から次へと超兵器がでてくるのかちょっと首をひねったが、キャラクター商品を量 産するためなのだな。もうおぼえちゃいないが、でてこなかったのは宇宙だけで、そのかわりに水中の闘いが入ります。

どっかで見た人の偽物のような人がうじゃうじゃでてくる。偽エディーマーフィーとか偽キアヌとか(これは言い過ぎか)偽新庄(元野球の 人)がいると思ったら韓国のスターなのね。

主人公の元彼女の人は何故か悪い奴らと一緒。その因縁を延々描くのだが、おこちゃま向けには無用に長過ぎませんかねえ。ちなみにこの元 彼女、ブロンド善人だったときより黒髪で悪い事してるときの方がかわいいのだが、そう思うのは私だけか?偽新庄とある良い者の因縁も無用に語られるが、こ ちらにはよくある

”勘違い日本”

がでてくる。その光景は私のような珍スポットマニアにとっては

”これがどこにあるか今すぐ教えろ”

と叫びたくなるようなものだ。

なんだかんだあった後、どうでもいいオチと続編にたっぷりの未練を残して映画は終わる。(原題を読んでみよう)しかしこの内容で2時間 の映画にするのはいかがなものか。いらんところすっぱすっぱと切って90分くらいにした方がが私にもおこちゃま達にもいい経験になったと思うのだが。

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注釈