題 名:映画評

五 郎の 入り口に戻る

日付:2004/11/28

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トランスフォー マー - Transformers(2007/9/1)

見 始めてすぐカタールの米軍基地が何者かによって壊滅させられる。いったい何が起こったのだろう、と観客に興味と怖さを感じさせよう、なん てことは制作者の 頭にはなかったのだろう。ヘリコプターがみんなが見ている前で堂々とロボットに変身する。画面がやたらぶれるので、何が起こっているかわ からない間に皆や られたことになっている。

この最初のシーンだけで「ああ、この映画には謎も驚きも怖さもないのね」とわかり脱力する。しょうがないなあ。 950円か560円かと思っているとそこから状況は悪化する。主人公たるべきダメ高校生はまあ期待しないとして、ヒロインがどうみても美 人でも可愛くもな いのにさらに失望する。おまけに出てくる人間がすべて

「人をイライラさせる」

ことにだけに集中しているかのようだ。(ちなみに登場人物は見たことがない人ばかり。公式サイトを見ても、国防長官を除いてだいたい TV関係者のようだが)

い や、人はどうでもよい。アクションとかCGは、、と思っているとやたらと細かいところまで作りこんだロボットがやたらと動き回るので何が 起こっているかわ からない。しかし、途中から気にならなくなる。どうでもよくなるからだ。良いロボットと悪いロボットがけんかしてるみたいだけど、どちら が良い側でどちら が悪い側かなんて分からなくてもどうでもいいじゃないか。

脚本という点でこの映画に比較すべきはチキン・リトルであ ろうし、CGを無駄遣いした駄作という点においてはGodzillaに肩を 並べると思う。というかあるインタビューでスピルバーグが「手一杯だからマイケル・ベイに監督をまかせた」と言っていたのを思い出す。 きっとマイケル・ベイはそこらへんの専門学校一年生に

「夏休み公開だから小学生向けにつくっといて」

と仕事を丸投げしたのではなかろうか。

唯一感心したのはこの映画を使ってあの予告編を作り上げた才能である。をを、これは恐ろしい機械軍団の侵略が、、と想像しているうちが 花だったなあ。まさか適当にでっちあげた戦隊物とは。。


シュレック 3-Shrek 3(2007/7/8)

えーっ、シュレックの3作るんっすかぁ?そんなこと少しも聞いてな、、脚本の締め切りはいまから30分後っすか!何大ジョうぶっす よ。楽勝っすよ!

ってな感じで作られたのがこの映画ではないかと思うのだ。例えば小学生が作ったとしか思えない「ナチョ・リブレ」とかいう作品もあるわけだが、このシュレック3を 観ていると「つまらない」だけではなくなんだか腹が立ってくる。これは明らかに大人が30分で書き上げた脚本に思えるからだ。

「シュレックに負けて王国を追い出された男が復讐を企てる。そして国王の座を 継ぎたくないシュレックはもう一人の王位継承者(そんなのがいきなりでてくる)を探しにいくのだった」

という設定から想像できるイベントが想像できる順番で発生する。情けない高校生がなぜ王位をつぐことにしたのか。父親になる事実を受け 入れられなかったシュレックがどう変わっていくのか。そこらへんは

「いや、そうなるでしょ。話の都合上」

ぐらいにしか描かれない。というが観ていると

「そんなに作るのがいやだったら、別につくらなくてもいいんだよ」

と制作者に声をかけたくなる。

いや、シュレックは子供向けだから、というのならば映画館に「小さなお友達」の笑い声が響いたのは3回くらい、しかも相当控えめであっ たことを書いておこう。つぶらな子猫の騎士がなにかやるところだが。

と いうわけで「今度は面白い」という前評判を聞かない限り今後シュレックは観ないぞ、と決意して映画館を後にする。最初から最後まで半分寝 ているような状態 で観ていたのでもはや筋などほとんど覚えていない。唯一意識が覚醒したのは「米国における高校生生活」の描き方くらいかな。。


スパイダーマン 3-Spiderman 3 (2007/5/20)
某 サイトより引用
ルーカス監督は「スパイダーマン3」に関して

「くだらない(silly)映画だ。内容がないし、バラバラ。たいしたストー リーもない」とバッサリ。これに対してネット上ではスパイダーマンファンが「スパイダーマンはスターウォーズより100万倍面白 い」といったバトルを繰り広げている。

私はこの「スパイダーマンはスターウォーズより100万倍面白い」には概ね賛成だ。(100万倍ではなく100倍くらいだと思うが)し かしそれはスパイダーマン3が払った金に値する、という事にはならない。つまりルーカスの意見にも概ね賛成する。というか

「いったい何があったんだ。悩みがあるなら聞こうじゃないか」

と制作者に言いたいくらいスパイダーマンスパイダーマン2との差異が激しい。

敵は概ね3人。1から引きずっている元親友との因縁、砂男、それにスパイダーマンにとりつく黒いなにか。でもってその間にMJの挫折と かあれこれある。なのだが、途中から

「これはスパイダーマンのパロディではないか」

と 思えてくる。それくらい形はスパイダーマンでも「身が入っていない」ように感じるのだ。例えば戦いのシーン。やたらとぴょんぴょんし ているのだが、何が起こっているかさっぱりわからない。敵役がぺらぺらで都合良くいきなり改心したり悪くなったりするし、ドラマ部分で観 客が「ああ、悪い ことが起こるぞ」と予想がつく場面を長々とやるのは悪趣味ではなかろうか。(MJとトビーマグワイアのシーンだが)「悪いトビー・マグワ イア」が町を闊歩 するところなど真面目にやっているのかギャグでやっているのか理解に苦しむ。でもって私が考えるところのダメ映画の特徴である「延々続く 意味 のないいちゃつきシーン」もきっちりと押さえてある。

しかしいくつか見るべきところはある。人間調子がよくて上向きの時にいかに傲 慢かつ無神経になるか、また「仕返し」に黒い情熱を傾けることがいかに醜い物であるかを思い出させてくれ、日頃の行いに対する反省材料に なる。つまりト ビー・マグワイアはちゃんと演技をしているように思うのだ。とらえどころのない容貌の役者だが、こういった感情表現の使い分けは見事。そ れに私が好きだった「向かい側のドアに住む管理人のエキセントリックな娘」が結構でてくれる。

し かしそれ以外はいかんともしがたい。映画の終わりにはだらだらとシーンが切り替わりつつ連続される。それはあたかも制作者が「どうにも結末の つけようがな い」と苦心惨憺しているかのような。こんな脚本、映画を作りあげてしまったことの背後には何があったのだろう、と考えることくらいが観客とし て払った金を 取り戻すためにできることなのだが。


バベル -Babel(2007/5/12)
人間はたいてい愚かなので、まずい状況に陥ると、多くの場合もっともとるべき行動でない行動Best 3の中から選んで行動をしてしまう。その結果「悪気は無くても」状況はさらにまずいことになる。
そ んな事は四〇余年も生きていれば身にしみて分かっている訳なのだが、この映画を作った人間はそれを二時間以上にわたって延々と観客に見せ続け る。つまりこれは「悪気はないへま」の羅列なのである。そんなものを金払ってまでみたいとは 思わないのだが。
冒頭ブラピはある出来事のためうまくいかなかった夫婦仲を修復しようと妻と一緒にモロッコにくる。この妻というのがモロッコの 野性味あふれる片田舎で「コークじゃなくてダイエットコークはないの?何かがはいってるかわからないから氷は捨てて!」というような潔癖性 だ。この女をこんな場所につ れてきて二人の仲を修復って、何考えてるんだ。
起こることは全編こんなのばかりである。不法移民に子供の世話-三度の食事も含めて-を押しつけてい るが、肝心な時だけ母親顔する女にケイト・ブランシェット。日本でのエピソードもでてくるが、話としてはほとんど独立している。都心の高層マ ンションに住み、モロッコにハンティングに行く金持ちが役所広司。短いシーンだがこの男の嫁なら確かに自殺したくもなるよなあ思わせてくれる。その娘は菊池某。彼女が 演じる高校生の映像はとにかく暗い。素晴らしい演技とあいまって画面から目を背けたくなるシーン(残虐とかそういう意味じゃないよ)がずーっと続く。

他に「悪気はないけど」愚かな事をやり続けるモロッコ人の兄弟(特に弟)とか不法移民乳母の関係者とかとにかく見ている間いやな気持ちは続く。救いはあれだ け大騒ぎになりな がら死ぬのが脇役一人(もう一人?)だけであること。しかしそうした「比較的ましな結末」もとってつけたかのように感じるほど全編どうし ようもない雰囲気に満ちている。

もちろんこの映画を絶賛する人もいるのだろう。

「監督のこの深いメッセージが分からない人は気の毒だねえ」

という声が聞こえてきそうだ。しかし不幸にして私はそうした感性を共有していない。気の毒な人で結構である。途中何度か退出しようと 思った映画は久しぶりだ。


ホリデイ-The Holiday(2007/4/9)

時計を見る。まだ一時間もある。ああ、なぜこうも時間の進みがのろい のか。というわけで妄想が広 がり続ける。

あ らすじ:手ひどい失恋から立ち直るため、ケイト・ウィンスレットはHome Exchange programを使って英国からL.A.に来る。そこで隣に住む”かつては有名な脚本家だった男”と知り合いになる。この一見奇妙な関係 は二人にとって実 りの多い物となる。そして一人の世界に閉じこもっていた”有名な脚本家だった男”は久しぶりに業界のパーティに参加し、すばらしいスピー チ をするのだった。いつしか楽しく有意義だった滞在期間は終わりとなり、再開を約束した彼女は再び英国に戻っていく。米国に来たときとは うってかわったすば らしい笑顔ととも に。

ところがこのあらすじを見た誰か(X氏)が文句をつける。Home Exchangeってことは、L.A.から英国に行ったヤンキー娘もいるはずだ。なぜそちらを主役にしない。当世ヤンキー娘と言えばキャ メロン・ディア ズ。彼女を魅力的に取り上げるのが当たり前だろう。主役は彼女。相手役に最近のヒューグラントじゃ画面が美しくないからジュード・ロウ だ。とにかくキャメ ロン・ディアズを画面に出ずっぱりにしろ。彼女のキュートな顔をアップにし続け、彼女のすばらしい演技を写し続ければ大当たりするぞ。

きっ とこんなやりとりがあったのではなかろうかねえ。と想像したくなるほどキャメロン・ディアズが画面に大写しになり、何かしゃべり続ける。これ は映画という より朗読劇に近いのではなかろうか。昔のMy Best Friend's Wedding だったらかわいかったディアズも最近、、だもんな。おまけにこの人の演技を見ていると「空っぽ」という言葉し か頭に思い浮かばない。その特質を生かしてチャー リーズエンジェル のような作品を作り上げるのはいいと思うのだけど、こういうハートウォーミングなコメ ディはちと荷が重いのではなかろうか。
具体例をあげよう。彼女が「子供たち」に好かれる場面がでてくる。話の筋から行けばそこで観客が 「なるほど、これなら子供達がなついて当然だ」と思わねばならぬのだが、子供達が彼女の何にひかれるのかさっぱり伝わってこない。。ジュード ロウが「君は僕が出会った中で一番興味深い女性だよ」というが、 そのせりふが浮いている。

対 照的にケイト・ウィンスレットと老脚本家のエピソード部分だけは金を払う価値があるかな、と思わせる。しかしそれをぶちこわしてくれるのが ジャック・ブ ラックだ。この男「俺さまには音楽的才能があるんだぞ」と主張せねば気がすまないのだろうか。スクール・オブ・ロック で味をしめたのかなんだか知らないが、妙に「いい人ぶった」演技は正直言って気持ち悪い。
いや、そんな「些細な事」を忘れてもいいかな、と思ったのだ。老脚本家がスピーチをはじめたところ まではちょっと感動した。しかしそこでウィンスレットとブラックはスピーチも聞かずにいちゃつき始めるのだ。人の話を聞け!そしてスピーチは しりきれとん ぼで打ち切られる。

ああ、まだ残り時間はたくさんある。退出し たいけど、せっかく金払ったんだから最後まで見よう。この二組の遠距離恋愛にどうやってけりをつけるのかと思っていたら(例によってディアズ がうんざり するほど台詞を読み上げた後で)「とりあえず今楽しいからいいじゃない」で終わった。ああ、今日がメンズデーで1000円しか払わずにすんだ ことを感謝し なくては。

ディパーテッド -The Departed(2007/1/21)

レ オナルド・ディカプリオ、マット・デイモンそれにジャック・ニコルソン。これだけの豪華な顔をそろえるのは大変だっただろう。そして不幸 にしてキャストを そろえるために体力を消耗した制作者は映画を1/3作ったところで力尽きてしまったようだ。

最初はなかなか快調で ある。ヤクザの親分がニコルソン。その子分だが警官になって情報を流し続けるのがデイモン、逆にチンピラの家系に生まれながら警官になっ て、ヤクザ組織へ の潜入を命じられるのがディカプリオ。ご機嫌に見ていたがそのうち不安に襲われる。

「ひょっとしてこれはつまらない映画ではないのか?」

その不安が確信につながるのが最近ダメ映画の特徴の一つであると気づいた

「意味なく延々と続くラブシーン」

を見たところである。

途中で何度か退出しよ うかと思ったが、すでに金払っているし、まあ最後だけ見ておくかと座席に座り続ける。とりあえずニコルソンの最後と二人の決着がどうなる か知りたいし。すると後半1/3は恐ろしいことになる。

あるいはここらへん緊迫感を持たせる映像のつもりだったかもしれない。しかし演出が悪いのかデイモンとディカプリオの演技力がそれに耐えられないのかしらないが、結果は悲惨。

これは想像だが、映画制作者はここらへんを作っている時に「何もかもいやになった」に違いない。筋とか脈絡とか感動とかどうでもいい。みん な死んでしまえば いいんだ。こうつぶやいた制作者はとにかく登場人物を殺しまくる。「?」マークが浮かんでいる観客なんかどうでもいいじゃないか。伏線とか辻褄とかくだら ないことだよ。みんな死んでしまえばいいんだ、というわけでラスト間際の殺し合いシーンでは場内に失笑が漏れる。

そ んなに厭世的になったのなら、自分の頭に銃を向けるか、映画を放り出して遠くに行ってくれれば観客の金と時間を無駄にせずにすんだのに、と言ったところでしょう がない。きっと彼 にもそうはできない大人の事情があったのだろう。上映時間は2時間半らしいが、感覚的には3時間半を超える超大作でした。

と か思っていたら米国人に馬鹿受け?アカデミー賞ノミネート?


ブラック・ダリア-The Black Dahlia (2006/10/14)

映画館に張ってあるポスターからはすさまじいまでの「どうしようもない感」が漂ってくる。でもなあ、ヒラリースワンクだしスカーレットヨハン ソンだし、今 日時間があうのこれしかないし、と思って座席に座る。
冒頭ヨハンソンが出てくるのだが、、あれ、この人ってこんなに下手だっけ。美しいことは美しいのだが、まるで日本のTVドラマの出演者を見て いるような。 しかしこの映画の持つ「駄目パワー」はそんなものではなかった。アカデミー賞2度受賞のヒラリースワンクもこの映画のではただの眼と鼻がとんがった変な女 でしかない。

主役はあのパー ル・ハーバの ジョシュ・ハートネット。この顔を見るだけでどうしようもない感は2倍になる。かれともう一人の警官コンビとヨハンソンは3人で仲良くし ていました。ある 日殺人事件に遭遇します。奇怪な形で殺された女の謎は、、というのが大筋。途中までは560円かと思ったが話は進むにつれて無茶苦茶に なっていく。相棒の 警官が異常にこの事件に入れ込むのだが、その理由がわからない。というか全般的によくわからないのだ。名前があれこれ呼ばれるが、それと登場人物が結びつ かない。小説を読むとき、「あれ、これ誰だっけ」と何度も表紙裏の説明を見返すことがある。不幸にして映画ではそれができない。というわ けで話はさっぱり わからないのだが、まあ気にならない。思うに結構こった筋の小説を、あまり考えずに映画に押し込める、という「原作がある場合の駄目映画 パターン」に見事 にはまっているのではなかろうか。やたらと仰々しい音楽聞いてるだけで眼をつぶっていても何が起こっているかはだいたいわかるし。あとラ ブシーン(こうい う映画だから冒頭だけだが)を異常なまでに執着して見せるのは何か理由があるのあろうか。

最後には長々とした 台詞で”意外な真実”発覚が連続して起こる。でもって最後に黒をバックに

The End

という文字がでる。そういえばここしばらくこんな字幕みたことなかったなあ。しかしデタラメになった映画を終わらせるためにはこの字幕 を出すしかなかったのだろう。


レディ・イ ン・ザ・ウォーター-Lady in the water(2006/9/30)

シャマランの作品にはいつも謎が込められている。この映画での最大の謎は

「シャマランはわかるとして(理由は後述)この映画を公開しようとした人 間は、これが観客に受けると思ったわけだ。それはいったいどこなのだ」

である。

公式サイトを読めば、シャマランが子供に話して聞かせた即興おとぎ話がベースなのだそうな。確かに子供にぺらぺら聞かせるには妥当な話だと 思うが、今時小学校の学芸会でももう少しましな話を作るのではなかろうか。(最近の小学校の学芸会みたことないけど)

しがない アパートの管理人はある時不思議な女性に出会う(この出会い方というのがまたどうしようもないのだが)聞けば水の精だとか。彼女はある 「重要人物」にメッセージを伝え、そして自分の国に帰らなくてはならない。そのためにみんなが協力してあれこれするのだが。

この 「重要人物」をシャマラン自身が演じている。というわけで彼がこの映画を作る理由の一端が理解できるわけだ。そりゃかっこいい重要人物を 演 じることができるってのは夢でしょう。幼稚だけどね。誰も他人が自己満足に浸ってる姿なんか金払ってみたいと思わないんだよ。映画全体 のテンポもどうし ようもなく単調。途中で昼寝でもしようかと思っているとようやく「クライマックス」が。

このクライマックスが これまたどうしようもなく支離滅裂なのだ。たとえば室内にいるバンドに「演奏を開始しろ」と伝えるシーンがある。ところが 通じない。なぜだ?トランシーバーの電池が切れてました。困った。これはどうしたことだ、何かがおかしいのではないか、と皆が真剣に悩み 始める。って見えている距離だから歩いていって「演奏しろ」と言えば三十秒で解決できる問題じゃないか。などと考えているうちに話はさらに「学芸会 以下」になっていく。いきなり都合のよいキャラクターが登場して大活躍しはじめるやら(それも一人ではない)今時適当に作られた子供向けアニメでもみ ないような展開が てんこもりである。やったことはないけど安物のRole Playing Gameってこんなノリなのだろうか。

というわけで冒頭述べたような「謎」が残されるわけだ。これまでシャマランの作品には「ああ、こうしたかったわけね。つまんないけど」とい う 「謎」があった。しかしこの映画のどこがおもしろいと思ったんでしょうか。などという人は平和ぼけした日本で感性が枯れてしまっている人なんだな。哀れに 思うよ、と言い捨てることで満足感を得られる人にしかお勧めしません。というかシャマラン、次回作はあるのかな。


M:i:III (2006/7/1) 
アクションあり、愛あり、感動有りの娯楽大作-と思っているのだろう。作った人間だけは。
これも想像だが、この映画を作ったのはこの映画のような男ではなかろうか。ごてごてと上辺の飾りがうるさく中身が何もないような。
ある映画評に「ミッ シヨン・インポッシブル2の2倍よい」とあった。その点に関しては私も同意する。それでなおー1800円というのは前作がひ どすぎた というだけの事。
今回のトム・クルーズは私情交えまくり。妹のようなエージェントを殺され逆上する。危険な仕事と知りながら彼女と結婚する。このフィアンセ-奥様といちゃ つくシーンがだらだらしてうんざりする。このシリーズの伝統に従い、出てくる女性は確かにキレイなのだが、一人の人間も描かれていない。 やたらいちゃつい た り、トム・クルーズに涙を流させれば観客が感動するとでも思ってるのか?というわけでクルーズの行動に思い入れることができないから彼の

「半分口を空いた阿呆面」

ばかりが印象に残る。こいつにはあまり喋らせてはいけないのでは ないだろうか。「コラテラル」 のようにすれば格好良かったのに。

でもってアクションシーンではカメラがやたら動き回るから何のことだかさっ ぱりわからない。正直言えば最初のミッションだけはちょっとどきどきしながら観 たのだが、途中「冒頭シーンのリフレイン」のあたりから話は無茶苦茶になっていく。こちらもあきれ果ててるからどうでもよいのが救い。
時計を何度か観た頃幸いにもラストシーンと思しき場面が訪れる、、が(例によって)だらだら長い。その割には悪い者はあっさりとやっつけ られる。ちなみに 唯一観ら れる演技をしていたのが、この悪役ことフィリップ・シーモア・ホフマン。血も涙もない「悪役」を短い登場場面で演じきるのは流石。他の登 場人物はもはや記 憶から消え去ろうとしている。任務指示のテープのようにエ ンドクレジットが流れ始めてから5秒後に筋を言える観客はいないのではなかろうか。


SPIRIT(2006/3/18)

今日の決意:中国産映画はよっぽど評判が良くない限り観ないことにします。

PROMISEで懲りていたにもかかわら ず何故観たか、と言えば例によって時間が合うのはこれだけだったことと、あと宣伝にあった

「史上初の異種格闘技戦」

という言葉に惹かれたからだ(私は高校時代新日本プロレスを欠かさず観ていたのである)なんかすごい格闘シーンでも見せてもらえる のかな、と。

その意味でこの映画を宣伝した人間は良い仕事をしたと言えるのだろうが、例によってそれは中身とは関係ない。映画の冒頭いきなりそ の「異種格闘技戦」のシーンが始まり、4試合のうち3試合はあっというまに終わる。それは面白くもスリリングでもない。やたらぴゅんぴゅん飛んだり手 足を振り回すだ け。

マッハ!を 100回観て出なおせ」

と毒づいていると、いきなり話が昔に戻る。しばらくして気が付いたのだが、この映画はつまるところ「カンフー達人の一代記」なので あった。主人公は強いが頭の中身は今ひとつ。天津一を目指し試合をしていたが挫折し、農村で「大事な物をみつめなおす」でもってこの農村シーンがやた らと長いわけだ。 無駄なスローモーション多用とかね。

とは言ったもののここらへんで既に半分寝ながら観ているのであった。上海に行った主人公は西洋人の格闘家をぶちのめしてみたり、新しい団体を作ったりいろいろする。ここまできてようやく最初の「異種格闘技戦」に戻る。ラスト・サムライで「日本一の憎まれ 役」を演じた原田も出てくるが、全くその力を発揮させてもらえない。でもって最後は「感動的なラスト」を迎えるのだが、この映画を作った 人間はこんなシー ンで感動できるのか。

というわけで冒頭の誓いに戻るわけだ。私は失敗を繰り返す人間だが、いい加減中国産映画 との相性が悪い事にきがつくべきだ。


無 極 PROMISE -The Promise(2006/2/19)

端的に言え ば映画とも呼びたくない代物である。では2時間4分の間何を見せられたかと言えば、大仰な衣装とセット,意味不明の台詞,こけおどしの音楽,それらの寄せ集めである。

映画の冒頭設定を説明する字幕が流れる。それが とても覚えきれないような長さ。なんだこれは、と思っているうち最初の戦闘シーン。 私は中国の京劇なるものを真面目に観たことはない。しかしその衣装の派手さは知っている。あの衣装を作った人間に金を渡し、おもちゃとしてCGを使わ せるとこんな映像を作るのかな、とぼんやり思う。荒い漫画のような画面からは迫力も伝わってこないし、話のつながりもなにもあったものではない。印象に残 るのはけばけばし い衣装だが、10分もすると見慣れる。あと美しい風景も不必要に沢山でてくる。お花畑が何度か出てきたような気がするのだが、やはりあれは作った人間の頭 の中を表しているのだろうか。

しばらくして気が遠くなり、ふと我に返る。なんだか女1人に男3人があれこれ しゃべっている。字幕を読んでも何の事かわらぬし、それで何の問題もない。なんだかそのうちエンドクレジットが流れ出した。予告編を観たときから、

「これはHEROグ リーン・デスティニと同じ感覚だ。あまり観たくないなあ」

と思っていた。しかしこれに比 べればそれらの映画はまるで「重厚な文学作品」のように思える。つまらなくても一応筋あるし。

というわけで席 に座ったまま「これに比類する経験は、、」と考え続ける。その昔映画が2本立てだったころ、何かのおまけで観た「ジ パング(林海 象監督)」ってこれくらいだったかな、、。よくこんなものを映画として公開する気になったなあ。真田某の名前だけでうかつに金を払ってし まう私のような人 間がいるからかなあ。


チキン・リトル-Chicken Little (2005/12/29)

ディズニーはこ んな映画でピクサーと張り合うつもりなのか。

映画は出だしから快調につまづいてくれる。過去のディズニー映画 のオープニングを並べ「これじゃだめだ。これは飽きた」誰もそんな こと聞きたいとは思ってないんだよ。

空のかけらがおちてきた、と言って非常用の鐘をならし町中を大騒ぎさせた チキン・リトルはいつまでたってもそのことで笑い物。お父さんだって味 方になってくれない。そんなときまた空のかけらがが落ちてきた。おまけにエイリアンのロボットまで出てきました。さあどうしましょう。

かなり空いた映画館ではあったが上映中一度の笑い声もおこらなかった。途中まではありきたりなストーリーにそって3DCG(登場キャラクターで はなくて)が動き回る「ただのつまらない映画」。それがクライマックスにさしかかるあたりから無茶苦茶になっていき段々腹が立ってくる。 ここで前の方で見 ていたと思しき小さなお友達が

「もう帰ろうよー」

と言った。う ん。おじさんは君の意見に賛成だ。でもね、一応最後まで見ようと思うんだよ。

などと考えている間にも無意味な ドタバタが続く。さっさと置いて逃げれば良いじゃないか、と突っ込むのも疲れてくる。最後は「ハリ ウッド映画のパロディ」を延々とやってHappy End。

メンズデーで料金1000円でなければ暴れ出した ところだ。思うに彼らは「ディズニー」という言葉に過剰なまでの自意識を持ってい るのではなかろうか。途中にもプリティ・プ リンセスの「キスで足がぴょこん」を入れてみたりと。そんなこたぁだれも気にしてないんだよ。一度落ちるところまで落ちて ディズニー という名前を捨てられたら復活できるかもしれん、とそんなことを考えながら映画館を後にしました。


ドミノ -Domino (2005/11/2)

俳優の娘が大学入学まではまあ普通に暮ら していたのが、いきなり賞金かせぎ(バウンティ・ハンターとかいう名前で、仮保釈されたけ ど逃げようとしている人間を見つけるとお金になるのだそうな)になる。でもってあれこれトラブルに巻き込まれる。

こ の映画を作った人間は

「いやー。Super Coolな映画つくっちゃったよー」

と思っているのだろうが不幸 な事に私にはそのCoolさが解らない。タランティーノの劣化コピーのような演出が延々と続き話は途中 から無茶苦茶になる。まあどうでもいい話なので腹もたたない。

しかし途中で不安に襲われる。

「ひょっとするとこの映画は本当にSuper Coolで、私がついていけないだけではないか」

その不安を払拭 してくれるのが、クライマックス(だと思うのだ)のシーン。マタイ受難曲がとってつけたように流れる。こういう音楽 の使い方って他の映画でもあったような。。キャシャーンだ。

見終わってみれば印象に残ったのはキーラ・ナイトレイの裸くらいか。ミッキー・ローク、クリストファー・ウォーケン、ルシー・ リューと私でも知っている俳優をずらりとそろえたものの誰一人印象に残っていない。というか人間は一人も描かれていなかったのだ。

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注釈