日付:2003/3/16
1800円 | 1080円 | 950円 | 560円 | -1800円 | 題名一覧 |
560円-Part5マッチスティックメン-Matchstick men(2003/11/5)
前半は潔癖性の詐欺師といきなり現れた娘と称する女性の姿が延々と描かれる。時計をみる、まだ一時間。もう一度時計をみる。まだ30分もあるのか。ところでこれは何の映画だったっけ。予告編によれば観客がだまされるはず。まさか「詐欺師が娘とふれあうことにより足を洗いました、メデタシ」という映画のわけはないし。
しかしなあこの男潔癖性なのにタバコをすいまくってくる。これって矛盾してないだろうか。まあ私も無用な心配はとても得意だが、肝心な配慮はいつも抜けている。人間そうしたものかもしれん。自分も脅迫神経症の気があるからかしらんがこの二人みているといらいらするな。いきなりこの二人が撃ち殺され、全然違う話にならんものか。
などと考えているとさあおまちかねのどんでん返しだ。話のテンポがでたらめに早まり、作りがとっても安っぽくなる。それはまるで「ビューティフル・マインド」の妄想のように。でもって種明かしとともにそれが虚構であったことが明かされるのだが「やられた」とはみじんも感じない。だって、この設定でだまされているとすればこの人しかないもんね。そして最後もHappy endがだらだらと続く。
などと書いていると悪口ばかりになるが、それでも最後まで席を立たず、-1800円にもせず観られたのは、ニコラス・ケイジの演技のなせる技か、あるいはリドリー・スコットの技量か。私が強迫神経症の演技にいらいらしなければ、もっと面白く観られたのかな。
リーグ・オブ・レジェンド 時空を超えた戦い-THE LEAGUE OF EXTRAORDINARY GENTLEMEN (2003/10/24)
ショーンコネリー演じる冒険家が透明人間やらジキル/ハイド氏やら率いて謎の悪者に立ち向かう、、、などという筋立てから想像する通りの映画。冒頭はなかなかテンポ良く観ることができた。しかし後半は作っているほうも投げやりになっているような気がする。
この映画で良かったところは二つ。ショーン・コネリーいくつになったか知らないけど元気だな、と吸血鬼のお姉さんがちょっとジョディー・フォスターを思わせる顔立ちで私の好み。元々あまり期待していなかったが、予想を超えて遙かに悪かったのが撮影。いや、私は撮影方法などというものに関しては何も知らないのだけど、それでも格闘シーンでカメラが滅茶苦茶振り回され何が起こっているかわからないのは問題ではなかろうか。おまけにピントがぼけていたような気もするし。
お約束の「どっかん一発ハッピーエンド」のストーリーに文句をつけるのは筋違いだろうけど、それでもハイド君がノーチラス号を救ったところだけはどうにも納得がいかん。海中で潜水艦の板はがしたら普通状況は悪化するよ。というかこの映画やたらとノーチラス号のアップが多いような気もするのだが、なにか制作者に思い入れでもあるのだろうか。
眠たくはならないし腹も立たない。しかし面白くないし感動もしない。
伝説の男がSWATに復帰し、自分のチームを作る。一方たまたま捕まえた凶悪犯人が「俺を逃がせば1億$やるぞ」とTVに向かってわめく。かくしててんやわんやが始まる。をを、そうか。確かに1億$目当てだったら凶悪犯の側に立とうという人間は多いかもしれない。特にL.A.であることだし。かくして「精鋭かつ少数のSWAT対無数のクズ共」の戦いが始まるのであった。L.A.と生身の人間を扱いながら画面はいつの間にかゾンビ映画。
宣伝ポスターからはこんな想像をしてしまったが、映画で敵に回る人間はそれほど多くない。(きっちりロケット砲まで持ち出してくれるが)どうせならそれくらいやってほしかったなあ、などと映画を観ながら考える。だって緊張感ないんだもん。全てのエピソードは見事なまでにばらばら。一つだけ例を挙げると、映画が始まってすぐ主人公の元から女が去っていく。彼女は同じチームにいる男の妹なのだがそれがその後何の意味も持たない。予告編にあった台詞-"The best of the bestだからThe worst of the worstと戦うことを期待される"だったか-が気に入っていたが映画にはでてこない。一件落着の後は投げ出したような脚本になる。
なるほどなあ。この映画だったら「中学一年生は無料入場」などと言い出したくなるのもわかる気がする。どうせなら40歳以上も無料入場にしていただけませんかねえ。
シモーヌ-Simone S1m0ne (2003/9/20)
始まって間もなく売れない映画監督が離婚した妻と延々言い争いをしながら背景の説明をやる。そこで隣の女性が音をたてポップコーンを食べだした。私には彼女を非難する気は毛頭無い。
時計を観る。まだ1時間しかたっていない。まだ半分あるのか。
時計を観る。あれからまだ15分しかたっていない。
コンピューター内部で作り上げられた女優が大人気となりました。さあ、どうしましょう。たぶんそれだけ考えついて制作者は力つきたに違いない。この映画には映画関係者にしかわからないギャグやあてこすりが一杯あるのかな。作っている人は面白いかもしれないが観ている方は退屈なだけである。コンピューター女優はモデルさんらしく確かにきれいだが、長い間観ると飽きてくる。全ては台詞で説明されるから目を開けていても居なくても大差はない。
この映画には見所が2カ所だけある。コンピューター女優はコンサートをやる。薄いホログラムを出すだけで、本物の人間がいないとは誰にもばれません。何故でしょう。大きなスタジアムでのコンサートでは、観客はスクリーンに映しだされた姿しか観ていないからです。うんうん。確かにそうだ。もう一つは監督が使うコンピュータ。今の若い人は知らないだろう5インチフロッピがついている。ハードディスクもドライバー無しで簡単にはめられます。
いや、コンピューターに関するすさまじいでたらめはこの際無視しよう。そこがちゃんとしていても映画全体のできにあまり関係ないし。直すんだったら、、、、生身の人間であるアル・パシーノは虚像のシモーヌに乗っ取られ、いつしか人格が分裂していく。今やシモーヌはアル・パシーノのもう一つの人格として「存在」しているのだった。そしてモーテルで謎の殺人事件が起こる、、なんてだめですか。途中こんな展開を思わせる部分もあったのだけど。
予告編から予想した通りの内容だった。全編これ「決め」場面の連続といった趣。作っている方は「ほーらこんなにすごいだろう」と言いたいのかもしれないが、見ている方は最初の20分でいやになる。登場人物はそれぞれ一種類の表情しか見せないし全ては台詞で説明される。だから二人の女性が涙を流そうが慟哭の叫びをあげようがそれが観客の心に届くことはない。
秦王とジェット・リーの会話を軸に映像が展開する。ジェット・リーがどうやって3人の刺客を倒したか、という回想が少しずつ変化しながら3回語られる。その間観客は同じメンツのチャンバラを3度見せられることになる。ワイヤーアクションも結構だが動きの流れを止めてしまうのはいかがなものでしょうか。固定したポーズと表情で空中をのんびり平行移動されると思わず笑いたくなってしまう。最後にはチャンバラの始まる気配がすると「いいかげんにしてくれよ」と言いたくなる。
でもって結論は例によって例のごとく「今の価値観を昔に持ち込もう」だ。簡単に書けば
「ひろーい心で征服してあげてね。あんまり人はこ・ろ・さ・ず・に」
史記を読んで考えたことがある。彼らが守ろうとした国とはなんだったのか。秦に抗うことにどのような意味があったのか。しかしそれは結果を知っている我々が今だから言えることではないか。それともなんですか。中国がチベットや台湾を(こっちはまだか)占領するのは「平和のため」とでもいいたいのでしょうか。
などと書いているとどうにも気が滅入ってくるが、始皇帝暗殺に比べればましだったことは間違いない。「都合に応じて時空を移動」も一回しかないし。無数の矢が空に放たれる映像は新しかったし。(予告編で満腹になってしまったが)ちなみにパール・ハーバーにあった「落下する爆弾と一緒に移動する視点」と同じような「放たれた矢と一緒に移動する視点」がでてきます。でもなんとなく滑稽なのはなぜでしょう。
しかし刺客列伝を後付の都合良さを持ち込まずに、かつ現代の鑑賞に堪えうるようにアレンジして映画化する、ってのは無理なのでしょうかねえ。。Shakespeare in loveみたいに。。
「やっぱり人類滅亡物っていいよね。だけど宇宙へ行くってのはあまりにもありふれてるし。。
そうだ。上に行くのがだめなら地球に潜るってのはどうだろう。これは新しいよ。行けるよ。恒例の世界観光名所壊滅は、、目をつぶって地図帳を開いて。。はい、決定。ローマに、San Fransisco,それにパリだ。
(かたかたキーを叩く)
おっと残念。予算足りない。パリまでは壊せ無いなあ。。まっいいか。あとは適当に作っておいて。いや、地中に潜るってのはきっとあたるぞ」
観ている間こんなことばかり考えておりました。しかしなんですね。宇宙と違って地中というのは暑苦しく重々しくていけない。マントルの底でのんびり外に出て「きれいだ」などといっている輩は死んでしまって当然なのです。
冒頭「エンドクレジットの後になんとかが表示されます。お見逃し無く」と映し出される。こうでも書いておかないと皆最後まで観ないほどひどい映画と言うことか、と思ったがそれは半ば当たっていた。脚本を書いた人間は地球に潜ろうと考えたところで力はつき、その後に何をするか考える余力はなかったか。
こういう映画にまじめなつっこみを入れるのは不毛なことだと承知していますが、爆弾の隣に核燃料置くだけで核爆弾の威力増大、というのはあまりにあまりではないでしょうか。いままさに閉じようとしている扉の向こうに忘れ物を取りに行き結局閉じこめられる、というのはせめて一回だけにしていただけませんでしょうか。それが無理ならせめて
「観ているだけで幸せになれる」
ような美人を出演させてもらうとか。いや、別に台詞はいいですから。
一言で言えばランボーである。ベトナムではなく、コソボの戦いで心に傷を負った軍人が「やむ終えない理由」から人を殺しまくる。
ポスターには「アカデミー賞受賞3人のコラボレーション」という文字が並ぶ。ランボーがトラフィックのベニチオ・デル・トロ。この人はいい役者なのかもしれないが、雰囲気が重すぎ救いがない。ランボーこと追跡役の元教官にトミーリージョーンズ。かなりの年だと思うけど一生懸命動いています。
話の筋は「ランボーが人を殺す」→「FBIもしくは政府機関がへまをやって逃がす」→「トミリージョーンズ追う」→「ランボーまた人を殺す」→「追い続ける」→「また逃がす」の繰り返し。FBIはトミーリージョーンズのいるところどこにでもついてくるが、必ずランボーを逃がしてくれる。そうしたシーンを通じ主役の二人に感情を重ねることができるか、といえばそれは難しい。話は単調でトミーリージョーンズの目の下にあるたるみだけが記憶に残る。FBI捜査官と母娘家庭の母親の二人の女性に至っては何のためにでてきたのかわからないような役柄。
途中「まだ終わらないのかな」と時計を見たら60分しかたっていなかった。9X分の映画だというのになぜこうも長い。最後にはあっけなく勝負がつき、とってつけたようなエンディングのシーンが続く。クレジットが流れ出したところで迷わず席を立つ。
戦場のピアニスト- The Pianist(2003/3/15)
とても重い主題をとてもまじめに撮ったのはわかる。しかし映画としてこれ以上の値段をつけることはできない。
前半は「ナチスのユダヤ人虐待ストーリー」。平和に暮らしていた家族がユダヤ人というだけで全てを奪われ、最後には命を奪われる過程をこれでもか、これでもか、と描く。その内容はいろいろな事を考えさせる物だがこの映画はナチス残虐物語のドキュメンタリーではないはずだ。
そして途中からはピアニストがひたすら逃げ続け、いくつかの幸運に恵まれ生き延びる姿が描かれる。助けてくれる人、食い物にする男。彼らと彼女たちはでては消え印象にも残らない。しかし生き残った人からみれば確かにそんなものかもしれない。その場、その人を生き残ることだけに必死で。彼のピアノを聞き「あと数週間の我慢だよ」というナチスの将校。こんなことが起こるのも現実というものなのかもしれない。ああ、そうかもしれない。
そして映画は「感動的な演奏」とともに静かに終わる。主人公は最初から最後まで基本的に同じ顔しか見せない。思い返してみれば登場人物は誰も印象に残っていない。彼の家族でさえも。やたらヒステリックな弟、何人かの姉妹達、それがどうしたというのだ。
唯一印象に残ったシーンは、いきなり指名され地面に伏せろと命じられ、ドイツ兵に射殺される男が一瞬「助かったのか?」と顔を上げるシーン。でもこの映画の制作者が見せたかったのはこれではないと思う。この映画が「ユダヤ人迫害の真実」という題名だったら1080円の値段を付けたかもしれないが。
しかしこれがアカデミーにノミネートされるというのは「ナチスによるユダヤ人迫害」というキーワードで60点アップというのは本当かも知れ無いなあ。。