五郎の
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日付:2008/4/1
1800円|1080円|950
円|560円|-1800円|値段別題名一覧 | Title Index
まず本年度の”最優秀邦題賞”の候補にあげておこう。それにこの豪華な出演者はどうしたことか。レイチェルにベン・アフレックにMac。というわけで半ば地雷映画という事を覚悟しつつみることにした。
映画が始まり5分たったところで登場人物を全員射殺したくなる。やはり地雷映画だったか。というわけでその後は”どうしたらこの映画を面白くできるか”を考えながら過ごした。
ベ ンアフレックはいつもどおり、ハンサムかつ良い男を演じる。それはレイチェルこのアニストンの妄想のような男。彼と彼女はあまりに普通の物語を描くので、し わ寄せが他の人に行く。この映画の作者はブロンドでセクシーな女性に何か敵意でもあるのだろうか。スカーレット・ヨハンソンは”自分探しのためインドに 旅立つ頭カラッポのブロンド”を演じさせられる。その女性と浮気する男はまあまじめなのだが、妻がジェニファー・コネリー似の老けた女性、、、と思ったら 本人だった。ああ、あんなに奇麗だったのに。
とはいえこの映画で唯一面白い演技をしていたのは彼女である。(一シーンだけだが)自分の旦那が浮気をしていたことを涙ながらに友達に告げる。しかし次の瞬間手にしている改装用のタイルが小さすぎると文句を言い出すのだ。
彼 女が何よりも気にしているのは自分の家の改装、それに夫が喫煙していない事。この女性と結婚してしまった男はたしかに気の毒だが、若き日の美しいコネリーに”結婚するか別れるか”と迫ら れればそりゃたしかに結婚するわな。嗚呼
こうしたコネリーの狂気を存分 に膨らませれ怪作ができたかもしれぬ。そう考えれば、
”どうして彼から電話がこないの?”女
にもそ うした面を持たせるべきではなかったか。いつもそうやって騒いでいるが、間もなく別の男が現れる。また別の男が現れる。。画面から消えたそれらの男は、皆 女性が住んでいるアパートの地下室に埋められていたのだった。その事実が明かされた瞬間、ただのパープリンと思えていた女性が、狂気の殺人鬼として観客に提示される。画面では最初と変わらない笑顔で
”どうして彼から電話がこないの?”
とコネリーに愚痴っている。
こんな作品だたったら1080円くらいつけたかもしれないが、如何せん普通のラブコメである。おまけにやたらと長い。内容ないんだから、90分くらいにおさめてくれたら、、、まあやっぱりこの値段だったろうな。
まず本年度の”最優秀予告編賞”の候補にあげておこう。予告編を観ると、有名な俳優がそろって間抜けなことをやり続けるドタバタコメ ディと思う。実際の映画にそうした要素がないとは言わないが。
離婚しかかっている二組の夫婦。それに全身整形費用を捻出しようと苦闘する女性+ブラピが誤解に誤解を重ねあれこれやる、という話。こ う書くとなんだか面白そうな話にも思えるが、観ていると”ふーん”と思う。
ブ ラピは間抜けな男を熱演。それ以上に印象的なのがジョージ・クルーニー。彼の情けない顔連発というのは初めてみたかもしれん。大々的にCMで使っているク ライアントが激怒するほど見事な”半泣き顔”を見せる。この二人ってOcean's シリーズでも競演していたけど仲がいいのかしらね。
そ れ以外に観るべき点はほとんどない。特に中心たる全身整形女性が私をいらつかせる。衝動と己の欲望のままに行動し、巻き込まれた気の毒な男性達を災いに追 いやる。しかし最後に彼女が一番”得をする”のは、まあ世の中そういうものかもしれん、とも思う。あるいは彼にかなわぬ思いを寄せる男の情けない演技は涙 を誘うが。
見終わってみれば笑えたのはブラピの鼻血顔くらい。CIAの偉いさんが最後に言う
”我々は何を学んだのか?”
”わかりません”
”登場人物は全員死んでしまえ”とは思わないし、長いとも思わないがこれを書いている時点でほぼ記憶から消えているのも確かだ。
会社勤めをしているとよくあることだが、どうしようもなく無能な上司が無茶苦茶な命令を下す。さて、どうしよう。逆らえば”反抗的な社 員”として粛清される。同意すれば自分を含め数人の仲間が無駄な事をさせられたあげくより酷い状況に直面することになる。
その度に”まあこれで人が死んだり、決定的に不幸になるわけじゃないんだから”と自分に言い聞かせる。しかし第二次大戦中のドイツに あってはこの矛盾はそう片付けられるものではなかった。かくしてヒトラー暗殺が計画されるのであった。
秘 密裏に仲間を集め、計画を練り、爆弾をしかける。その後どのようにベルリンを掌握するのか。誰もが結末を知っているとはいえ、映画として見せる要素は満 載。さて問題です。これだけ興味深い題材を扱いながらなぜこうも退屈な映画ができあがるのでしょう。観ている間中その事を考え続ける。
暗殺計画に加担した人たちの志は良しとしよう。しかしそこにはどうしようもない杜撰さもあったはず。そこを丁寧に描いたほうがよかった のか。トム・クルーズは主人公の遺族から酷評されたとおり、固い顔で”かっこいい役”を演じ続ける。その単調さがまずかったか。
あるいは
”これは生きて使命を完遂しろという神の声だ”(うろ覚え)
というヒトラーの恐ろしい言明を強調すれば、世の中で”奇跡がある故神は存在する”などと言っている人間に冷や水を浴びせることになっ たかもしれぬ。
などといろいろ考えるがあくびは止まらない。クライマックスで隣にいた人の携帯がのんきな演歌を奏でる。みなちょっと眉をひそめただけ で、”映画が台無しだ。金返せ”とは思わない。もうとっくの昔に払った金と時間は台無しになっていたのだ。
悪い映画ではなかったと思うのだが、完全な子供向けだし、特に印象にも残らなかったのでこの値段にするわけだ。
ピーターパンにでてくる妖精ティンカーベル。彼女が誕生し、ロンドンに行くまでの姿が描かれる。出だしでちょっと意表をつかれるのが
”ティンカーベルは実は工学部産業機械工学科卒業でした”
という設定。もちろん彼女は作業服をきて引っぱり強度の試験をしたい、などとは思っていない。てんとう虫に色を塗ったり、夕焼けの光を 捕まえたいのだ。
というわけであれこれあるのだが、ティンカーベルの活躍により話は丸く収まる、と内容はそれだけである。これが日本製であれば
”昨今の理系離れを反映したものか”
と言うところだが、そういうわけでもなかろう。というわけで映画の内容を離れ勝手な妄想が膨らむ訳だ。以下ネタばれ含む。
ティンカーベルが巻き起こした”産業革命”により、それまで数ヶ月を要していた春の準備はたった一晩で可能になる。映画の範疇では”め でたしめでたし”なのだが来年からはどうするのか。それまでせっせこと働いてた妖精達は
”一日でできるんでしょ?”
といい、昼間から酒を飲んだり、遊び回ったりするようになったのだった。町には失業者があふれ、とりあえず騒ぎを起こしたいマスメディ アは”これは現政権の失政によるものである”とかき立てる。女王様はその釈明におわれ、妖精の世界がぎすぎすしだす。
このように様々な弊害が起こるのだが、いつしか妖精達はその環境に順応する。そして歴史の試験で”産業革命を起こした人の名前を書きな さい”という問題に取り組むことになるのだった。
いい加減に
「ネットに接続できさえすれば、すべての電子機器を自由にコントロールできる」
という映画のお約束はやめてもらえないだろうか。
主人公が家に帰ってみると、なぜか爆発物やら銃器やら偽造パスポートやらが山のように届いている。謎の電話の声に「もしもし?とか言っ ているとFBI に踏み込まれ、テロリストの容疑をかけられる。
こ の予告編はよくできていたと思う。謎の声はどこまでも追いかけてくる。なぜなら監視カメラという監視カメラの映像は相手によって把握されているからだ。指 示は携帯電話で送られてくる。観ながらいろんなことを考える。何丁目何番地に行け、と一度言われただけでちゃんと記憶できる人はどれくらいいるのか。道を 間違えて
「間抜け。そっちじゃなくこっちだ」
と言われたり、途中でパンクしたり、自分で事故ったりとかまあそんなことは映画だから起こらないのだけど。他の機器だっ て、ネットを通じて指示だしてもバグって誤動作したりとか、そんなことが起こるに決まっているのだ。
と いうわけで以下ネタバレなのだが、つまるところは「60年代に作られたかの有名作品」の焼き直しである。21世紀という言葉が何の意味も持たなくなった頃 にこのネタをやるとはなあ。
コ ンピュータが独自の意思をもって反乱を起こすなんてのは未だ夢の夢だ。現在の最高性能のコンピュータとソフトウェアを用いても、人間の声をそれとわからな いくらい自然に合成することすらできはしない。これが 60年代に「次の世紀には」と言われれば信じる気にもなったけどね。
いや、きっとこの映画の制作者の中には、「あの映画」のオタクがいるに 違いない。妙に重なる場面とか台詞とかは存在する。しかしその情熱は映画をいいものにしよう、という方面には向かわず、途中から話についていけなくなる。 なんで主人公は急に声に従順になるのか。説明しようとしたのはわかるけど、意味わかんないし。
結末のつき方はじつにいい加減。あのー、トランペットの菅の中にそんなものつめたら、吹いている人間は一発でわかるん ですけど、、とか突っ込む気力もなくなった頃に映画は平和な結末を迎える。 主演はトランスフォーマー やインディ・ジョーンズ/クリスタル・スカ ルの王国の人。回を重ねるにつれ、いい役者さんだということはわかる。相手役の女性は、、、まあ普通の人。
ゲット・スマート- Get Smart(2008/10/12)
「それ行けスマート」というTV番組は名前だけ知っている。というわけで元TVもこんなお話だったのかな、と思うお馬鹿なスパイ主演の コメディである。
主 演男優は滅多に笑顔を見せず、いつも難しい顔をしている。そのしかめっ面ぶりはなかなか見事。ヒロインは私にとっての要注意女優アン・ハサウェイ。この映 画をみて「やたらとスタイルがよい」ということを知った。あまり演技力も要求されないし、はまり役とは言えるだろう。とはいえ強烈なパンダ顔は年があがっ て くるとなかなかつらいのではなかろうか。
観ているうちに"Naked Gun"シリーズを思い出す。おばかな主人公が何かの事件に取り組む。ヒロインがおり、黒人がいる。Naked GunでのO.J.シンプソンにあたるのが、元Rock様(最近は名前で呼べと言ってるらしいが)しかしその「おばか映画への情熱」という点に関しては Naked Gunシリーズに遠く及ばない。
とはいえ途中まではもうワンランク上だと思っていたのだよね。テンポも悪くないし、時々笑える から。しかし最後に評価ががたっと落ちる。話の都合とはいえ、ベートーベンの第9にピアノ持ってきちゃいかんだろう。そして最後の大落ちで評価はここまで 落ちる。お約束をやるのはかまわないが、もう少しひねれよ。
この映画には、プロペラ推進の軍用機がたくさんでてくる。それらは色々な軍用機のかっこいいところを切って貼ったような。 確かに見栄えはよい。しかし所詮それらは妄想の産物である。どうにも薄っぺらい。そして所詮切り貼りだから驚きはどこにもない。
この映画全般にもそんなイメージを持つ。映画の冒頭から、断片的な会話が飛び交い、観ている私は考え続ける。キルドレという言葉は何を 意味するのか。この子供っぽいパイロット達は誰と戦っているのか。
映 画を見終わってしばらく考える。永遠に続けられるべき戦争に従事している彼らと彼女達は、年を取らず空戦以外で死ぬ事もない。記憶は次第にぼんやりしてい き、自分がいつからこんなことを繰り返しているのかもわからなくなり、その日その日をただ消費し続けるようになる。それは「老い」という変化がまだ 自分とは無縁のものと思っていた10代〜20代の私の姿にも重なる。
しかし同じように繰り返される毎日、などということは決してなく、自らの姿勢によって、、とか制作者は言いたいのかもしれない。その テーマ自体は共感できそうなものだが、特に斬新とは言えない。そしてその提示の仕方があまりにも稚拙なように思うのだ。
映画の後半私の目には涙が浮かんでいた。あくびがとまらなかったからだ。凝ったわりに迫力のないCG。断片的言葉の応酬が延々続いたか と思うといきなり説明的な演説でストーリーが説明される。その唐突さに唖然とすると、また断片的な言葉が飛び交いだす。
後から考えてみれば、私が考えるところの「この映画で言いたい事」はすべて台詞でペラペラと語られていた。残りは何かと言えば持って 回ったやりとりと中学二年生が喜びそうなメカ、思わせぶりな人物、設定だけ。印象としては「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序 」に一番近いが、あれより退屈でありながら、不思議な事に腹が立たない。
だから-1800円にはしない。しかし観ていて何かを感じたとか、面白かったとも思えない。だから0円の部を新設したいくらいだ。
いや、もともと期待していなかったから、、ではなぜこの映画を観たかと言えば、またもや「ダークナイト」に嫌われたからである。観られ るかなぁ。
ハムナプトラである。前作ハ ムナプトラ2の実績から期待値は0である。ではなぜみているかと言えば、「ダークナイト」は最前列しか空いていません、と言われたか らである。
いやなに。心の準備さえしておけば大丈夫。今調べてみれば前作は2001年だったか。どうみてもインディ・ジョー ンズの亜流なのだが、3作目まで作られるというのはそれなりにすごいことかもしれない。
というわけで本家インディ・ジョーンズの新作とぶつける本作では、こちらにも探検家の子供が生まれている。しかしど うみても親子と思えるほど年齢が離れていない。ちなみに子供は
「ハンサムだが特徴がなくて売れないプロレスラー」
のような男。よくもまあこれだけ特徴のないハンサム顔を見つけてきたものだ、と感心してしまう。
エジプトのミイラシリーズはネタ切れということで、今回のミイラはオリンピックの国、始皇帝と兵馬俑の兵士達である。映画の冒頭、採掘 現場で ダイナマイト 使って墓の入り口をこじ開けている。そんなことしたら貴重な遺跡が、とか言うべきではない。これはハムナプトラなのだ。そのあとよみがえった始皇帝とあれ これやって最後にはめでたく平和がくるわけだ。まあストーリーはどうでもいいでしょう。
とはいえ前作よりはましな印象を持った。ヒロインの 女の子がそれなりにかわいいのも一因。あと皇帝を復活させようとする軍人とその部下もすごい。ものすごい雪崩に巻き込まれようが、飛行機から投下され た爆弾で車をふっとばされようが、顔に擦り傷つけただけでちゃんと出てくる。その割には最後にあっさりとやられてしまうのも脇役としてポイントが高い。
とまあ最初から期待値を下げておけばこの映画からも楽しみを見つけられる、ということを知るのであった。
なぜ邦題が「マッハGoGoGo」でないかといえば、私より若い人はそもそも「マッハ ごーごー」といっても何のことか分からないから なのだろう。
と
はいえ、私の頭の中では主題歌のサビ部分がちゃんと鳴り響いているし、Los
Angelsに行ったとき「なぜマッハ号を書いたTシャツを売っているのだろう」と思ったのも事実である。というわけで、マトリックスの製作者たちによる
「マッハGoGoGo」の映画化なのであった。
こ
れは想像だが、かの国にもきっと「夏休みお子様向け映画」なるジャンルが存在しているのだろう。この映画がどれくらいお子様向けかといえば、主人公
が彼女にキスするところで、「この後はどうのこうの」と但し書きが入るくらいお子様向けである。
しかしそんなことは、本物の車は一台たりとも使われていない予告編を見たときから承知している。したがってつじつまがどうだとか人物描写がど
うだとかいうつもりはない。しかしなんでこんなに長いのか。2時間15分は普通の映画としては問題なくても、お子様向け映画としてはどうしようも
なく長い。
その割には、話についていくのに苦労する。吹き替え版だからかもしれないが、肝心な情報が抜けているのだ。どっかのぼ
んぼんを優勝させねばならないレースがあるのだが、そのレースがチームで走行するものだと分からなかったので途中かなり「???」となった。レー
スでがんばっても結局株価操作に使われるだけなのさ、というのはいいとして、真田某の会社がでてくる意味あったのか。私が「あれ、どういう仕組みだっけ」
と混乱するということは、小さなお友達置き去りということでもある。そもそもお子様は「株価」なんて知らんだろうし。といっても同じカテゴリーにはいるで
あろう「サンダーバード」よ
りははるかにましなことは確かだが。
というわけで、腹はたたないのだが、思いっきり期待を下げていても楽しく見るわけにはいかない。唯一印象に残ったのはやたら目がでかいヒロイン。出演作を
調べてみれば「モンスター」でシャー
リーズセロンの相手役をしていた人であったか。えっ、この人って27−8なの?
映画の最後に字幕がでる
「これは芸術的創作であり、史実とは異なる描写をしているところもあります」(とかなんとか)
ちょっと待て。これが「芸術」?
い や、全く得るところがなかったかと言えば、そうではない。ラフマニノフといえばピアノ交響曲2番。のだめカンタービレで千秋先輩+Aオケ+シュトレーゼマ ンが演奏した曲だ。その作曲者が、ピアノ奏者でもあったこと。20世紀にも生きていた人だということは初めて知った。家に帰ったらWikipediaをみ てみよう、と固く心に誓う。(ちなみに映画の中で「リストは作曲家としては凡庸」とか言っているがいいのか)
もう一つ面白かったこと。場面の半分くらいはアメリカを舞台としており、ある程度アメリカロケも行っているようなのだが、全く「アメリ カ」に見えないのだ。登場人物が全員ロシア語をしゃべっていることばかりがその理由とも思えない。
などと考えながら観ているうち、懐かしい気持ちになった。ここ10年みていない「日本のエロ映画」にタッチが似ているのだ。あるいは高 校の文化祭でみた8mm映画とか。つまりすべてが安っぽいのだが、邦画やアメリカ映画の安っぽさとはまた違うような。
一 つ例を挙げよう。史実でも評論家に酷評されたという「交響曲第一番」の初演。指揮者がいまいちだったのは本当らしいのだが、映画の中ではいきなり楽譜を落 とし、そこから指揮がでたらめになりオケが不協和音を奏でる。いや、演出というのはわかるけどこれはあんまりでは、などと考えているうち「ラフマニノフの 生涯を1880-1920まで平易に描こう」はおしまいとなる。芸に生きる人間なので、日常生活ではすさまじい「駄目人間」なのだが、まあそれはお約束で あり、特に印象に残るわけでもない。プーチンからエラをとったような主人公の顔は写真で見るラフマニノフに似ているのだが、それがどうした。ラストシーン は「へ?なんすか?」というもので、エンドロールが流れ出すとあぜんとする。
考えてみれば「ロシア映画」をみたのは遠い昔のデルス・ウザーラとレニングラード攻防戦以来か。いや、「ソ連映画」と一緒にすると怒ら れるのだろうか。映画の中でも「ロシア革命」は結構批判的に描かれていたし。
一作目は別として、2作目、3作目のランボーは「アメリカの敵ソ連、およびその同盟国」をやっつけるのが仕事であった。
そのスタイ ルをつらぬくならば、今度は「イスラム教を信奉するテロリスト」を殺しまくらなければならない。しかしさすがにそれはいかがなものか、ということになった のだろう。今回の敵役はアメリカとあんまり直接の利害関係がないミャンマー軍事政権、、とは言えずその一部隊である。
というわけで、今ひと つ大義名分にかける戦いとなってしまったからでもないだろうが、この映画にはストーリーがない。いや、もちろんランボーに深い意味など期待していないのだ が、それでもこんなに筋のない映画は久しぶりにみた。アメリカ人の教会関係者が、ミャンマーで迫害されている民族に薬とキリスト教の教えを届けにいく。で もって彼らと彼女が捕らえられたので、ランボー+傭兵達が悪逆非道な敵部隊を殺しまくりまし た。以上。
冗 談抜きに話はそれだけである。驚くのはランボーが大して強そうにも見えないところ。弓矢だけで車両を破壊しまくったりしていた男はどこに行った。ランボー 以外の登場人物はみな「誰だっけ」というほど印象に残らない。準主役たる女性すらも。この女性の言うことだけはランボーが犬のように聞く訳だが、それがな ぜかは観客にさっぱり伝わってこない。
というわけでこの映画にあるのはCGによる「迫撃砲や重機関銃で吹き飛ばされる人間」の描写だけである。でもそんなもの見せられてもね え。この映画なんのために作ったのやら。邦題にある「最後の」という言葉を信じればシリーズにケリはつくはずだが。
最初のシーケンスが終わったところでつぶやく。
「もっとまじめにやれ」
なぜこの映画をみたかと言えば「ミスト」の 後遺症で、とにかく明るく楽しい映画を見たかったからだ。だから細かいことを言うつもりはない。何度か笑わせて もらえればそれでいいんだ。
なのにその期待は最初のシーケンスで打ち砕かれる。主人公が、二つの結婚式をかけもちして、タクシーで往復し続ける。しかしそこで笑い もおこらなければ 「ああ、主人公ってこういう人なんだ」というのが伝わってもこない。ただばたばたしているだけだ。
人に頼まれるとNoと言えない主人公。彼女の職業は「New York在住の雑誌編集者」この仕事って映画にやたらたくさんでてくるような気がするが、そんなに「しゃれた職業」だと思われてるのか?職場の上司に惚れ てるけど、その 相手はなぜか自分の妹と付き合い始める。
この「ほれている上司が妹とつきあい始めるところ」は こんな風だ。パーティ会場に妹が入ってくる。それにいきなり上司が歩み寄り、言葉もそこそこにベタベタし始める。いや、別に難しいことをしろとは言わない けど、もう少しなん とかならない?この妹というのが、ブロンド、つり上がった顔のパーツ、空っぽの脳みそ、と3拍子そろった女性。そういうケバい女性に一目惚れする上司がど んな男かと言えば、、、よくわかりません。あとお約束の「主人公がドレスをとっかえひっかえ」のシーンもあるのだが、あまりにも唐突にそれが始まるため、 みている方は戸惑うばかりだ。
というわけで途中から
「霧が現れて、こいつらがみんな食われてしまえばいいのに」
とか
「クローバーフィールドの 怪獣がでてこないかな」
とか考え始める。な のにあんなに暴れていた怪獣たちはなぜかこの映画にはでてきてくれない。
というわけでどうでもよい映画はどうでもよいエンディングを迎える。唯一よいところと言えば、主人公の容貌。特徴がないようで、どんな 格好をしてもそれなり にかわいい。でもそれだけみるために2時間座って、、をを今日は1日だから1000円か。そう考えれば少しは気が安らかになるような。
チャーリーとチョコレート工場で の演技が光っていたフレディ・ハイモアが一人で双子の役を演じる。でもってこのうちの一人が話をリード するのだが、彼のポリシーは
「とにかく禁じられている事を行う」
である。物語の鍵となる妖精図鑑には「読むな」と書いてあるが、ちゃんと読む。その本を「結界の外に持ち出しては駄目」と言われるのだ が、きっちり持ち出す。その度、情勢が悪化していく。もちろん映画だから平和に日々が過ぎては話にならないわけなのだが、こうもトラブルを故意に引き起こ さ れると観ていてイライラする。
でもってお話というのは、その図鑑をねらって悪い妖精がわらわらくるのでそれと戦いました、というもの。この図鑑を取られると妖精から 人類から何もかも駄 目になってしまうらしいのだが、そうした壮大な想定のわりにお話は森の中の一軒家を離れることがないし、全般的に悪者が全然強そうでないのである。という わけで
「まあ、どうやってケリがつくか観ておこうか」と思いながら座席に座り続ける事になる。
するとものすごく脱力するケリがつく。いや、こんなんでやっつけられるのだったら何も大騒ぎしなくても、って確かにあまり大きな騒ぎに はなってないか。(米軍も出動しないし)
ちなみに主人公の家族もおおむね人をイライラさせるのが得意な人ばかり。(主人公も言っているが)旦那様が女つくって出て行くのも当然 と思えてくる。唯一笑った台詞は、主人公から
「これで身をまもって」
と言われ、包丁を2本渡された母親が「New York みたいだわ」とつぶやくところか。
つまるところこれ作った人って「フレディ・ハイモアの一人二役」と「妖精ファンタジー」って事しか頭になかったんだろうなあ。