20%ルールを機能させるために
2011-10-05 06:41
クリエイティビティを加速させるために就業時間の20%は好きな物を作っていい!とはよく聞くところ。そしてそれが全く機能しないのもいつものことだ。
じゃあどうすればいいのか?私の観察によれば結局は人の指向なのだと思う。
―― プロレタリアート的なものと、1人で前衛的なものを作ることは、割とニアリーイコールですよね。でもそれに反駁して、商業主義というか、みんなが喜ぶ娯楽を作りたいんだという方々が、虫プロに集まった。これは次元の高い/低いではなく、志向の問題ですね。
手塚先生はある種、前衛的なアートをやろうとしていたけれど、肝心のスタッフは前述の理由でわざわざ移籍してきた集団なので、「そんなこと言われても、僕たち困るよ」という反応になってしまう、と。
via: ASCII.jp:アニメ業界は手塚治虫から何を学べるか?|まつもとあつしの「メディア維新を行く」
手塚治虫は、虫プロで、そうした前衛的な個人製作を奨励したが、誰も作れなかったと。
ただ、間違いないのは、虫プロの設立に関わった人たちの多くが、東映動画に在籍していたわけです。その人たちは、非常に際立った特徴を持っていた。当時、東映で始まった組合活動が嫌でしょうがなくて移籍した人たちなんですよ。逆に、組合活動大好きなのが、宮崎駿さん、高畑勲さん、そして大塚康生さんだったりする
via: ASCII.jp:アニメ業界は手塚治虫から何を学べるか?|まつもとあつしの「メディア維新を行く」
そうした人たちは労働運動が大嫌いで逃げてきた人たち。逆に労働運動大好きだったのが今をときめく宮崎その他なのだそうな。
私は労働運動に何の関心もないが、物を作らないと窒息しそうになる。だからここのロジックには賛成できないが、言わんとしている点には同意だ。つまり20%ルールがあろうがなかろうが、作る人間は作るし、作らない人間は作らない。もしあなたが会社の管理職で
「なぜうちの社員は、20%ルールがあるのに新しく物を作らないんだろう」
と悩んでいるとすれば、多分物を作らない人間ばかり採用しているからだと思う。
そもそもこの「勝手な物を作る」というのは正しいサラリーマン像とは相容れないものだ。回りの意見に関わらず、
「これがいい」
と主張し、回りが集団で何かを作っているときに
「俺は之を作る」
と勝手に創りだす。ほら、いやなやつでしょ。採用したくなくなるでしょ。でもそういう人間でなければ勝手に新しい物なんかつくらないんだよ。
このように
「殺虫剤を巻きながら、"うちの庭にはスズムシやコオロギがこない"と嘆く」
姿勢というのはまあ会社のお約束なのだが、「制度」を作ればこうした「創造性が花開く」と思い込む姿勢にはいささか興味を覚える。