創造性よりも自宅で売れ

2011-11-16 07:25

iPhoneが発表された後、いろいろな予想が飛び交った(発表前にも予想は飛び交っていたが)
私はApple原理主義者なので、そのなかで「外れた」予想を読むと多少痛快に思うところがある。しかしよくよく読めばもっと多くのことを学べるのではないか。

例えばこの言葉。(2008年6月に記事になったもの)

 「iPhoneは形状もビジネスモデルも違う。既存の携帯電話とは棲み分けが起こり、『もう1台持とう』というようになるだろう」――NEC執行役員でモバイルターミナル事業本部長の山崎耕司氏は、アップルのiPhoneが日本市場に与える影響について、このように予想する。

 山崎氏から見ると、iPhoneは大きく2つの点でNECなど既存のメーカーが提供する携帯電話端末と異なる。1つはタッチパネル式の、両手が必要な操作性。そしてもう1つが、通信事業者が利用者の通信料の一部をアップルに支払うというビジネスモデルだ。

 タッチパネル式はさまざまな操作を可能にする一方で、片手で端末を持ちながら操作するのは難しい。電車の中で荷物を片手で持ちながらケータイをいじる、といった使い方がiPhoneでは難しいというわけだ。

 もう1つが通信料を携帯電話事業者とアップルが分け合うビジネスモデルだ。

中略

 山崎氏は「われわれは収益を分け合うモデルは考えていない」とiPhoneモデルに移行することには否定的で、iPhoneがNECと直接競合するような存在になるとは考えていない。

 iPhoneの弱点として、山崎氏がもっとも注目しているのが電池の持ち時間だ。(中略)かつてNTTドコモのFOMAがなかなか普及しなかった原因の1つが電池の持ち時間にあったことを考えると、iPhoneが乗り越えるべき課題となりそうだ。

via: 「iPhoneと携帯電話は棲み分ける」--NEC幹部 - CNET Japan

見事な論証である。そしてその背後にあるロジックは多くの場合正しい。

「今成功しているモデルと違うモデルを提案している。今成功しているモデルがすたるとは思わない。だから併存する」

「今ユーザが使っている機能を実現できない(片手で操作、電池の持続時間)だから今使われている機種を置き換えることにはならない」

起こったことを見れば、現実のほうがはるかに「非合理で非論理的」である。日本のユーザがこぞって歓迎していた、ワンセグ、おサイフケータイを搭載しないグロスマばかりが売れているのだ。電池が持たず、片手では操作できないスマートフォンばかりが。

なぜこんなことが起こるのだろう?いくつか理由をあげてみよう。

「今ある物がよく売れている」というのは「今売れているものが最適解である」と等値ではない。文字にすると当たり前だが、現実世界でこのロジックを押し通すのは難しい。だって、売れてるんだよ。なんで変えるの?

「今ある物」と「今ある物より劣る点と優れている点がある物」をユーザは比べることができない。それらを並べて提示されたとき、ユーザがどちらを選ぶかはそれが形になるまでわからない。

だからこうも言える。「今売れている物」をいくら分析しても無駄だ、ということだ。ガラケーがたどった運命を見てみれば良い。世界でも最先端のiモード、フルブラウザ、おサイフケータイにワンセグ。そして日本独自の絵文字文化。これらが日本のケータイが成功している理由ですと自画自賛している間に船は沈没していった。

もう一つあげよう。

日本独自のサービスが動作しないため、中高生を刺激出来ない電車の中を見てみたり、あるいはアルバイト先の塾で中学生~高校生が携帯電話をどんなことに使っているか見てみると、「メール」「ウェブ」「モバゲー」「ワンセグ」が主だったりする。で、iPhoneはそのどの機能に関しても、日本の携帯電話より貧弱、もしくは搭載していない。

中略

フルブラウザやYouTubeなどの諸機能は、そこまで魅力的ではない実際問題フルブラウザはあまり利用されていなかったりする。というのも、携帯電話はすでに携帯サイトという一つの文化圏を形成しており、わざわざPCサイトブラウザを利用してPC向けサイトを見る必要がないくらいすでにそれらは充実しているからである。

中略

個人的には、iPhoneはMacbook Airと同じく、初期はマニア・ファンが殺到し入手困難となるが、需要が緩和すると今度は余りまくるみたいな展開になる予感がしてならない。いやーなんというか、iPhoneって恋愛と同じで、要素要素にばらしてみるとそこまで強く購入を刺激するところってあんまりないんだよね。

Thirのノートより。原文は削除済み?

おそらくこの論証も「今売れているものが最適解である」罠にはまっている。携帯サイトは素晴らしい文化圏だよ。モバゲー、ワンセグ、みんな使ってるよ。

しかし

言いたいことは彼らが「間違っていた」ということではない。彼らの論証は全く正しいということだ。仮に組織内で議論をしたとして、私は彼らの論証を否定できる気がしない。そして結局のところ「今ある特徴を持った上で、ちょっと機能を追加&改善した」物を作り上げるだろう。ではどしたらいいか?

たとえば、「失敗する理由が見あたらない企画」を誰かが思いついて提案したとする。
しかし、失敗する理由が見あたらないということは、他社も失敗しないだろうと考えるということだから、結局競合が多くなるし、パクられやすくなるので、それ自体が失敗する確率を高めてしまう。

ビジネスにおいては、むしろ「説得力のある失敗する理由があるために、みな手を出さなかったのだけど、それをあえてやったサービスが成功した」ということはたくさんある。

このように、『「失敗する説得力のある理由」が指摘できるものほど成功しやすい側面がある』という複雑なゲーム構造をしているために、単純に「失敗する説得力のある理由を指摘できる」というだけで、そのプランの是非を簡単に判断できないところが、ビジネスの奥深さだ

via: できない理由を指摘する人よりできる方法を考える人が成功する理由 - fromdusktildawnの雑記帳

上記文章からもう一つ引用しよう。

この、プラン実行後の計画の「走りながらの修正」がキモなのだ。
ビジネスにおいては、
アイデア、戦略、計画などで重要なのは、「それ自体が正しいか間違っているか」ではなく、
それを実行した後、「走りながらの修正を繰り返した結果、成功するかどうか」だ。

via: できない理由を指摘する人よりできる方法を考える人が成功する理由 - fromdusktildawnの雑記帳

iPodの歴史は実に興味深い。最初はMac専用だった。インタフェースもFireWireだった。そのうちWindowsにもiTunesがのった。インタフェースはUSBに変わった。ハードディスク非搭載のnanoがでた。Shuffleもでた。Jobsが最初に「ボーナス」といっていた動画機能は必須になった。

iPodの成功とはまさに「走りながらの修正」を加えた結果ではないのか。そしてiPodがでたとき

「こんなもの売れるわけがない」

という論証はこれまた実に「正しかった」のだ。

今成功している要素をあえて否定する。その代わりに「圧倒的な」魅力を備えた製品を作る。最初売れなくても、次々に修正していく。こうした態度こそが

ビジネスにおいては、むしろ「説得力のある失敗する理由があるために、みな手を出さなかったのだけど、それをあえてやったサービスが成功した」ということはたくさんある。

このように、『「失敗する説得力のある理由」が指摘できるものほど成功しやすい側面がある』という複雑なゲーム構造をしているために、単純に「失敗する説得力のある理由を指摘できる」というだけで、そのプランの是非を簡単に判断できないところが、ビジネスの奥深さだ。

via: できない理由を指摘する人よりできる方法を考える人が成功する理由 - fromdusktildawnの雑記帳

ということなのだと思う。

-----
ちなみに上記で引用した文章では

ある程度歳をとってみて、周りを見渡してみると、
風通しの良いまっとうな会社では、
おもしろい仕事と良い年収を得ている人たちに、
「まっさきに、できない理由を指摘するタイプ」
ってほとんどいない。

おもしろい仕事と良い年収を得てる人たちの多くは、
「まずは、できる方法を考えてみるタイプ」の人だ。

若い頃、あんなに圧倒的に正しかった
「まっさきに、できない理由を指摘する人たち」は
結局どうなったかというと、
歳をとっても会社では下っ端のままで、
つまらない仕事ばかりをやらされ、
軽んじられてる。

via: できない理由を指摘する人よりできる方法を考える人が成功する理由 - fromdusktildawnの雑記帳

とあるのだが.....