背景をトレースすること/研究をすること
2011-12-09 06:50
というわけで、こんな文章を見つけた。
昨日まで、新作画スタッフの面接と実技試験(?)を行なってたんですよ。どんなことをするかちょっとお見せしようかな?
via: 漫画家・佐藤秀峰氏のアシスタント試験 - Togetter
私も少し読んだことがある「ブラックジャックによろしく」の人である。12時間かけて、写真をトレースしてもらいそれを背景画として仕上げてもらったのだそうな。ここで取り上げられているのは4人の作品である。
私のような素人が見ても、4人の作品がとても異なっていることに気がつく。佐藤氏のようなプロが見るとそれだけではない、いろいろなことを読み取ることができるようだ。
倉庫のシャッターなど部分的に描き込まれていますが、とりあえず、気になった部分、できそうな部分に手を入れています。つまり、描き込み方が、常に部分的なので、絵をしてトータルなバランスが見れていません。
中略
つまり、Aさんは総合的な判断を保留し、部分的な描写に逃げてしまったため、絵を完成できませんでした。
via: 漫画家・佐藤秀峰氏のアシスタント試験 - Togetter
総合的な判断を保留し、部分的な細部に逃げる。これは仕事でも研究でもよくみかける態度だ。
「そもそも何が言いたいのか。肝心なところは何か」
についての判断を保留し、力いっぱいの実装に逃げる。学生の研究によるあるパターンだ。そうした研究を見ると私は力一杯の残念感を感じる。あともう少し考えればずっとよくなる、というところで「徹夜しての実装作業」に逃げてしまうわけだ。
もう一人例をあげよう。
線を入れるので精一杯になってしまっています。恐らく、じっくりと物を観察して絵を描いた経験のない方でしょうね。完成形がイメージできないまま手なりで描いています。
漫画的な記号や処理で、絵を構成しようとしているので、実物にはいくら手を加えても近づかない絵ですね。漫画を見て漫画を描いてきた人だと思います。絵を描こうという意識が弱い。
via: 漫画家・佐藤秀峰氏のアシスタント試験 - Togetter
私が興味を持っている「ヒューマンインタラクション」の研究に言えることだが、あくまでも主体は人間であり、それが生きている社会にある。そこに何が提供できるかに私は興味を持つ。
しかし
「漫画を見て漫画を描いてきた人」と同じように「研究をみて研究をしてきた人」というのも存在する。先行研究の調査ばっちりです。それと比較しての新規性、有効性の主張にもぬかりはありません。しかし「どれだけ手を加えても」現実の世界には何の関係も持ち得ない。
インタラクション2011でみた以下の研究はまさにその例だった。
幼児向け折り紙作品の創作支援システム1枚の正方形の紙を折ることで形を作りだす「折り紙」は,日本に古くから伝わる遊びであり,我々の多くが幼少期に体験するものである.近年では,折り紙の数理に関する研究の成果により,複雑な折り紙作品を創作するための技術が発達してきている.しかし,まだ手指を正確に動かす能力が十分に発達していない幼児らを対象とした,少ない手順で簡単に折れる折り紙作品の創作については,これまでに十分な研究がされてこなかった.そこで本稿では,4回以下の折り操作で作ることができる単純な折り紙作品を,新しく創作するためのシステムを提案する.
via: インタラクション2011
この作者に質問したとき「いや、"幼児向け"というのは枕詞のようなものですから」と言い切っていた。彼こそは「研究をみて研究をする」人だと思う。もちろんそれで食べていくこともできる。いつまでも現実には近づかないが、そもそもインタラクションの研究で現実に近づく物などめったに無いのだ。
他にもいくつかこのカテゴリーに収まりそうなものもあるが、確信を持ち得ないので判断は保留する。
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絵を効率よく完成させるためには、完成形を具体的にイメージできるようになること。完成のイメージから逆算して、ムダを省くこと。腕立てして筋力をアップしても、絵は早く描けるようになりません。
via: 漫画家・佐藤秀峰氏のアシスタント試験 - Togetter
この言葉も多くの場面に当てはまることだと思う。しかし不幸にして我々は「完成形を具体的にイメージすることの重要性」より「徹夜をするガッツ」の方を評価しがちだ。