マネジャーとしての目標
2012-01-10 07:46
ちなみに私は今はマネージャーではないよ。昨日こんな記事を見つけた。
結果を出せるマネージャーは、ある意味で、結果を出せるプレイヤーとは正反対です。マネージャーは、自分の知識、能力、経験に確信を持つというよりは、部下の知識、経験、能力、スキルに興味を持ってほしい。「この人にはどんな知識、経験、スキルがあって、この人は何を求めていて、その求めていることを会社の業績にどんなふうにして生かせるだろうか」と好奇心を持ってほしいのです。
プレイヤーが「自分は正しい」という確信を持つのに対して、マネージャーは「この人は正しい」という確信を持ってほしいですね。「まだヘンな企画書を書いたりするけれど、この人の持ち味はきっとあって、これが何かに生かせるに違いない。どうやって生かせるんだろう。答えはこの人の中にある」という確信を持ってほしい。
via: 今さら聞けないマネジメント&コーチングの基本:第2回 プレイヤーとマネージャーの違い (1/5) - ITmedia Biz.ID
肩書きはどうであれ、自分がマネージャー的ポジションにいるとき、このことは何度も実感させられた。というか
「こいつは使い道がない」
などと思っていた相手が、短期間で見違えるような成果を出すことを体感した。それは自分のおかげなどではなく、多くの場合私の下を離れてからの成果だ。つまり私はその人の可能性を引き出すどころか殺していたわけだ。
これは次の文章にも通じる内容だ。
かつてネトゲで数十人を率いていたという妻「相手が欲していることは何で、どうやったらモチベーションを高く持ってくれるかを必死に考え抜くの。そうしたら勝手にみんなが動いてくれる。それがマネジメントだよ。やってないから帰りが遅いんじゃないの?」...代わりに会社に行ってもらえませんか?
via: かつてネトゲで数十人を率いた妻の「マネジメント論」 - chocontaの日記
などと何度か痛い目にあい、かつこうした文章を目にしてからは「この人は何を欲しているのだろう」という事を考えることが多くなった。「もしドラ」はかなり異様な内容とのことだが、マネージャーを「高校野球のマネージャー」とした観点は秀逸である。石原莞爾が看破した通り
「兵は神様。将校は神主」
神様たる兵に気持よく働いていもらえるよう、踊ったり祝詞をあげるのが将校の役割であると思う。しかしそれは容易ではない。私の祖父が言ったとおり
「人間ほど変わったものはない」
のだ。何を欲していて、何がその人のモチベーションを高めるか見抜くのは容易なことではない。
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さて、そろそろ新年度の足音が聞こえてくる。大企業の方には
「子会社への片道飛行」
が迫ってきている人も多かろう。でもってそういう人というのは子会社に赴任したとたん例外なく
「子会社の人間は皆どうしようもない馬鹿である」
と考える。そうして親会社に残ったものと酒を飲み、自分がどんな馬鹿に囲まれているかを愚痴るのだ。
そうやって余生を送るのもいいが、ここで引用した言葉を少し考えてみると「陰鬱な子会社生活」が少しは創造的なものに変わるかもしれんよ。そもそもそんな立場の人がここを読んでいるわけはどないのだけど。
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などと綺麗事を言っても、「どうにもならない場合」も存在する。こうしたビジネス文書を読むとき、そうした事実は触れられないことが多いが、私は
「どんな人間も誠意を持って話せば分かってもらえる」
と思うほど若くはない。人間の中に存在しうる闇は、想像よりずっと深いのだ。そうした場合にはそもそもその人間を採用してしまったことについて何が間違っていたのかよく考える必要があると思う。ちなみにそうした「反省」を見る機会が少ないことにも少し驚いているのだが。