「インターネットで人間が馬鹿になる」説への根拠薄弱な反論
2012-01-17 07:27
さて、誰にも理解してもらえなかったようだが、このような事を人前で主張した私としてはこの記事を黙って見過ごすわけにはいかない。
sweeping generalizations」という言葉を耳にしたことがあるでしょうか? これは「一般的すぎてほとんど意味をなさない論理」という意味です。これと同じように、広すぎる対象範囲から一つの結論が出ているものは間違いだと言っていいでしょう。ステレオタイプはこういうところから生まれるのです。インターネットが私たちを愚かにするという主張は、ある特定の場面では正しいのかもしれませんが、一般論とすることは間違いです。今のところ、これを裏付けるようなリサーチは発表されていません。
この迷信を私たちが簡単に信じてしまう理由は、インターネットによって人が他力本願になりつつあるからです。どこへ行けばいいのかはGPSデバイスが教えてくれるし、なんでもググればいいので、あまり記憶もしなくなりました。しかし、これが「私たちは愚かになった」につながるとは言えません。心理学者のDaniel Wagner氏によると、私たちは「transactive memory(交換記憶)」に頼るようになったのだそうです。交換記憶は実は便利なもので、全体を記憶するのではなく、名前やキーワードだけを覚えるようにできているので、小さい容量にたくさんの情報を保存できます。あとで全貌を知りたかったら、そのキーワードで検索をかければいいわけです。
このように、私たちは全体を思い出せないことで、自分がインターネットのせいで愚かになったと思い込んでしまっています。インターネットのアクセスがない状況に陥ると、私たちはバラバラの情報のかけらをつなげることができず、途方に暮れてしまうわけです。しかし、科学的な根拠は現段階ではないのですから、「インターネットによって愚かになる」というのはカルチャーとして言われているだけだということになります。
via: 科学的に偽りであることが証明された脳に関する9つの迷信 : ライフハッカー[日本版]
まず「科学的な根拠が現段階ではない」ことと、「科学的に偽りであることが証明された」は等価ではない。例えば「ガニメデに生命が存在する」根拠は現時点では存在しない。しかしそれは「ガンメデに生命が存在することが科学的に誤りであることが証明された」とは言えない。
この記事で主張していることは「インターネットの利用で、一般的に言って人間が馬鹿になった、という主張を裏付ける根拠はない」ということだけである。そもそも「一般的に人間が馬鹿になる」などという主張は、何によってもただしくない。私がその昔DetroitのRadioで聞いたとおり
"Generalization is always wrong"
なのだ。
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さて、私はチンピラサラリーマンなので、科学的に証明されていない命題についてもう少し考えてみよう。
GoogleとEvernoteにたよりきった人間の頭はザルと化しているのではなかろうか、と私は主張した。頭の中にはGoogleとEvernoteへのポインタだけが存在しており、なんでも「検索すればわかる」
と考えている状態だ。
私の発表中、チャットでこのような指摘があったと聴く。
「ザルじゃだめですか」
私は自信を持ってそれに応える。(何の根拠もなしに)
「ダメです。あなたの頭がザルになろうが私には何の関係もないが、私の頭がザルになっている状態は許容できない」
なぜそう考えるか?
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問題は「検索すればわかる」というのは問題があり、それに対する答えが既にどこか(インターネットもしくはEvernoteの中に)存在している場合には機能するが、そうでない場合には機能しないからだ。
いや、もちろんこれはものすごく便利なのだよ。iPhoneアプリにGPS機能をつけたいと思う。例えば20年前だったらどうしただろう。まずiPhoneアプリ構築に関する本を何冊か購入し、そこからコードを探して「写経」する。しかしそれは古いバージョンに基づいたものだったらしくエラーが生じる。ええい、どうやればいいのだ、と途方にくれて一日が終わる。
しかし今やGoogle先生にお伺いを立てればものの数分でこれに対する「最新かつ正しい情報」を得ることができる。これは無茶苦茶便利だ。
しかしながら
問題はこうした「情報の検索方法」に依存している限り、問題に対する新し解法、あるいは問題そのものを見つけることはできない、ということにある。多くの人が経験していることと思うが、最良のアイディアは
「仕事に疲れ、もう今日は帰ろうと思い、電車に乗った(あるいは車に乗った)瞬間」に訪れる事が多い。つまりその時点では、頭に必要な情報が存在している必要があるのだ。
つまり
「新しい方法、問題」について考えようと思えば、材料は頭の中に存在していなければならない。それらが自分でも説明できないような結びつきを持つ瞬間に「新しい方法、問題」を思いつくと私は考えているのだけどどうですかね。
こうした点において、情報が脳の外部に存在し、それを検索している状態と、頭の中に情報が存在し、それが得体も知れぬ結びつきを持っている状態は大きく違う、と主張したい。そして私は
「ググればわかる問題」
だけを解いて一生を終えるつもりはない。再度引用するが
インターネットのアクセスがない状況に陥ると、私たちはバラバラの情報のかけらをつなげることができず、途方に暮れてしまうわけです。
via: 科学的に偽りであることが証明された脳に関する9つの迷信 : ライフハッカー[日本版]
バラバラの情報のカケラを前に呆然と佇んで、しかも
「私は愚かではない」
と主張するのは私が望む姿ではない。,,,というかこの文書書いた人(あるいは訳した人か?)ってこれ書いていて自分でも変だと思わなかったのだろうかね。