Normanという人

2012-02-10 07:03

Don Normanという人がいる。この人の面白いところは、主張をちゃんと現実に即して変えていくところだな。

最近はこんなことをいっているらしい。

  • 携帯電話も同じだ。昔はそのサイズや見た目は千差万別だったが、機能や使い方はどれもほぼ同じだった。しかしスマートフォン全盛時代を迎えた今、おもなOS提供者はGoogle、Apple、Microsoftの3社だけになってしまった。iPhoneとiPadは言語設定を変えられる点を除けば万国共通だが、世界中で大人気だ。AndroidやWindows Phoneの端末メーカーは、ヨーロッパにもアジアにも北米にもあり、やはり文化に依存してはいない。
  • 文化は、果たして製品デザインに影響を及ぼすのだろうか? 上記の例を見る限り、大量生産品の世界、つまり工業デザインの世界では、文化の意義は我々の予想をはるかに下回るように思える。本当だろうか? もしその通りなら、それは良いことか悪いことか、どっちだろう?
  • via: ドン・ノーマンの「活動中心デザイン(ACD)」をめぐって « IA Spectrum

    とまあこうした主張に対して山のような反論が来たという。

    反論の多くはデザインリサーチのコミュニティから上がって来た。文化人類学に傾倒している彼らには、文化の違いを理解し尊重することがきわめて重要だという信念がある。人の活動は文化によって決まるところが大きいから、似たような製品を使う場合でもその利用体験はかなり異なるし、使い方は人それぞれで、誰もが自分自身のニーズに見合うようにその製品をアレンジして使っているというのが彼らの持論だ。利用できる製品をユーザが実際にどう使っているか、そこに目を向けるべきだということを、デザイナーがそのメーカー企業に納得させることができれば、真のニーズに一段と見合った製品を生み出せるだろうというわけだ。

    via: ドン・ノーマンの「活動中心デザイン(ACD)」をめぐって « IA Spectrum

    文化人類学を愛し、「個々にカスタマイズされた製品」を信奉する人間には、是非iPhoneの異常な販売台数を説明して欲しいものだ。たった一種類の製品で、世界中いろいろな文化圏で使用されているiPhoneの売上を。個々にフィットした製品を!大量生産の時代は終わりだ!とか声高に叫ぶ人は多いが、問題が一つある。現実に合致しないのだ。

    ノーマンの言説の常として「指摘は大変面白いのだが、ではどうすればよいのか、という段になるとわからなくなる」というものがある(少なくとも私にとってはそうだ)

    ---------------
    というわけで私のようなチンピラは別の所に考えを向ける。

    「HCDだの、User Experienceだのユニバーサルデザインなどバズワードを振り回す人間は気持ち悪い」

    彼らと彼女たちが気持ち悪いのは、その主張がどこか現実から遊離しているにも関わらず、それらを絶対視し「この方法論さえ使えば大丈夫!」と心のどこかで信じているフシがあるからだ。これは宗教の狂信者と共通する態度である。

    -------------
    前にも書いたが、誰かviが死滅するどころかますます普及しているという現実を踏まえた上で、ユーザビリティとかを論じてもらえんだろうか。そうした

    「ユーザビリティの常識では無茶苦茶なインタフェース」

    が存在し、普及しているというところから出発する議論ならきっと面白いと思うのだけど。