国民投票とバザール
2012-02-08 06:46
似て非なるもの、ということで。
民主主義が好きな人は多い。多数決で決めよう。私は大嫌いだ。前にも書いたと思うが
「最近感動したことを発表し合いましょう」
という謎の集会が前に勤めていた会社で行われた。そして年に数回「みんながもっとも多く手を挙げたエピソード」に表彰状と賞金が出る。すごいでしょ?
さて、菅直人が「原発存続の是非を問う国民投票」をやらなかった理由についてはよくわからない。彼の責任感、能力を考えれば当然やりそうなことだからだ。そして「国民投票」が一度提起されたら、それに理論的に反論するのはなかなか難しい。民主主義は常に正しい。
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でもってよく知られていることだが、会社という組織においてはこの民主主義というものが機能しない。じゃあ何が機能するのか?
最近本でよく見かけるのが「集合知」だ。会社の秘蔵データを全てオープンにしてしまい、みんなの提案を募りましょう。これにも成功するパターンとそうでないものがあるようだ。
しかしこの「集合知」というのは必ずしも「多数決」と重なっていはいない。今朝こんな記事を読んだ。
●しかもある集団のパフォーマンスは、その集団のサイズが大きくなるにつれて低下するという。
via: 地政学を英国で学んだ : 創造性を上げるには「孤独」になれ
●心理学者エイドリアン・ファーンハムは、「科学的な証拠が示しているのは、ブレインストーミングを使うビジネス業界の人は正気ではない。ということです。才能があってやる気のある人材を抱えていて、彼らに創造性と効率を第一に求めるのなら、彼らを一人で仕事させるように仕向けるべきです」と書いているくらいだ。
●「ブレーンストーミング」に効果がない理由は他にもある。エモリー大学のグレゴリー・バーンズによれば、人間は集団の中で別の立場を取ろうとすると、脳の中にある扁桃体が反応し、拒否される恐怖を感じるという。これを彼は「独立の痛み」と読んでいる。
●ところがこれを感じない「ブレーンストーミング」がある。それはネットなどを使う「エレクトロニック・ブレーンストーミング」だ。これだと集団は個人のパフォーマンスを越える。
●インターネットから集団的にすばらしい創造が生まれて来た理由はここにある。なぜならインターネットだと、一人一人が孤独でいるのにもかかわらず、集団で作業できるからだ。
つまりみんなで考え、みんなで決めてはダメ。しかし個人の考え方をゆるく、かつ多く束ねることには効果がある、ということらしい。ここらへんの違いはかなり微妙なので、よくよく考える必要がある。
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でもってオープンソースプロジェクトである。私のような人間がうかつなことを言っても多分間違いだろうが、今朝ふとこんなことを考えた。
オープンソースプロジェクトに参加する熱意はどこから湧いてくるのか。自分が作りたいと思うものを作る、あるいはコミュニティから尊敬の念を受けるとかそういうことらしい。
でもって今が盛りのソーシャルゲームである。全くやったことはないし、近寄りたくもないが、聴くところによると「ゲームでできた仲間からの尊敬の念を集めるため、金を大量に使う」のだそうな。
不思議なことだが、この両極端なコミュニティをドライブしているのは両方共「仲間からの尊敬の念」ということにならんだろうか。そうでありながら、なぜこうもやっていることに差が出るのか。
つまるところ
「付き合う人は慎重に選びなさい」
ということなのだろうか。