優しさにつつまれながら

2012-02-27 06:43

先日こんな記事をみつけた。


「はい。みんな課題持って来ましたか?では、机の上に出して、紙の人はそのまま破り捨てなさい。立体物の人は壊してゴミ箱へ捨てなさい。」


via: 「傷つかない技術」を体験した授業 | 記事 | s-style-arts blog !!

3ヶ月のプロジェクトの結末がこれである。様々な反応を見せる学生達に先生はこう言う。

みんなプロのデザイナーとしてこの先の人生食っていこうと思っているなら、こんなことは日々起こること。これでショックを受けてやる気をなくしているなら、クリエイティブな職種に向かないから違う道に進んだほうがいい。クライアントの中にはアイデアや作品を見ることもなく破り捨てる人もいる。わたしもそんなこと毎日のように経験してるぞ。

via: 「傷つかない技術」を体験した授業 | 記事 | s-style-arts blog !!

さて、日本にははてなブックマークというものがある。そこではこの記事(本当はこの記事を引用した別の記事だが気にしないことにする)にこんなコメントがついている。

ゴミとして切り捨てるのは構わないけど、せめてどこがどうゴミなのか述べるなりするほうが発展的だと思う。駄目な部分を考えさせる意図で敢えて言わないのであれば、その旨をちゃんと伝えるべき。


via: はてなブックマーク - あなたの作ったものはゴミである、あるいはプロとアマの分岐点:プロジェクトマジック:ITmedia オルタナティブ・ブログ

「ゴミだね」という判断が正しいという保証はどこに?


via: はてなブックマーク - あなたの作ったものはゴミである、あるいはプロとアマの分岐点:プロジェクトマジック:ITmedia オルタナティブ・ブログ

上に立つ人が価値を見極められて、ゴミがゴミである理由をきちんと説明できる、という前提がないと、傷つけあうだけな気もする "「ゴミだね」への反論は、ゴミではないモノを作ることしか許されない"


via: はてなブックマーク - あなたの作ったものはゴミである、あるいはプロとアマの分岐点:プロジェクトマジック:ITmedia オルタナティブ・ブログ

これらは多数の「はてな民」の支持を受けたコメントだ。

思うにこういうコメントをしている人たちというのは、学生かあるいは何らかの理由によって

「どうか働いてください」

とお願いされる身分の人たちなのだと思う。というかやっぱり学生かな?「教師には自分を育てる義務がある」と考えている人たち。

「べき」論は大いに結構だが、理由も説明もなく突然殴られたり、ゴミ箱に放りこまれたりするのが「働く」ということだ。理想論は理想論として、現実は現実として存在する。

学校でも、世界の一流だとこんな「理想論」が入り込む隙はない。だいぶ昔に聞いた話でうろ覚えだがカルテックでは教授が学生にこう言うそうだ。

「学校として君を卒業させようとする理由はない」

この時期大学の先生達の発言を読むと

「ダメな学生をいかに卒業させるか」

に心を砕く人が多いようだ。そういう学校であれば「ゴミだなんて言い方はお互い傷つくだけだよ!」という叫びも意味を持つのだろうがカルテックでそんなことを言っても

Have a good life

と言われておしまいになるだろう。

そう言えば「敬愛なるベートーベン」にもこんなシーンがあった。

ダイアン・クルーガーの彼氏は建築家。がんばって橋のデザインに応募する模型を作ってきた。それを魅せられた彼女は「ええっと」と反応に困る。

そこにやってきたベートーベンは一撃の元、その模型を破壊する。いや、これが実に「ゴミ」なんだってば。この映画の最大の見所だったと思う。

提案を審査する側の立場にたってみよう。なぜ懇切丁寧に「君の模型には改善素べき点があるね」などと指導しなければならないのか?ゴミに付き合っている暇はない。

でもってクルーガーは後でベートーベンに向い「あなたの行動は正統だったわ」というのだ。

ちなみに同じ映画ではクルーガーの作った曲もベートーベンに同じような扱いを受ける。しかし

「一緒に良い曲にしよう」

とベートーベンに言わせてしまうあたりが、映画の甘いところだね。

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さて話しを元に戻す。

「どうかがんばって勉強して、良いものを製作してください」

と懇切丁寧な指導を求めるような人は所詮新しいものを作る職業には就くべきでない。新しいもの定義によって「拒否がデフォルト」なのだ。

先日書いた内容にも通じるが、「暇な時間があればつい作ってしまう」人でなければ、そして「ゴミ」と拒絶されても三日もすれば何か作っているひとでなければ「モノづくり」など志すべきではない。そういう意味において最初に引用した「授業」は実に良いところを付いていると思う。そうした必要不十分な資質にかけているにもかかわらず創作系を志す人は数多いのだろう。そうした人には早く引導を渡したほうが親切というものだ。世の中にはいろいろな職業がたくさんある。

そうした「現実」に向き合い、それでも創作をし続けてきたひとだからこそ、こうしたことを口にできるのだろう。

「凄く落ち込んだ時は公園に出かけて、その中でいちばん自分が好きな木を探すといい。木を見つけたらしばらくその木にHugするとだんだん気持ちが穏やかになって元気を取り戻せるよ。他人が見たら変人に思われるかもしれないけど気にするな。」

via: 「傷つかない技術」を体験した授業 | 記事 | s-style-arts blog !!