CMMの夢

2012-03-13 06:38

というわけで、ほとんどの人は名前を聞いたことがないであろうCMMだ(最近はCMMIというらしい)

インドの企業にソフト開発を外注しようとしたとき、久しぶりにCMMという言葉を聞いた。

思うにこうした「ソフトウェア開発のお墨付き」というのはお役所的大企業、もしくはそれを相手に商売をしようという会社にとって意味があるのではないだろうか。今Google先生にお伺いをたててみると、何社かが誇らしげに

「CMMI レベル●取得」

とかリリースを出しているようだ。それも数年前の話であり、2011年にもなって誇らしげにリリースをだしているのは、NTTデータくらいのものだが。やはるこうした「偉業」が意味を持つ世界もある、ということだな。

もちろんスピードの早い業界で生きている人にとってCMMなど何の意味もない。

CMMIなんかで飯が食えるのはアプレイザーだけでしょうしね。

ま、個人的にはくだらんと思います。

GooleやApple、FacebookってCMMIやってるの?

ま、それがすべてを物語ってる気もしますね。。。

via: CMMIって意味あんの? まじで? たぶん、大多数が勘違いしてると思 - Mic_Kの思うところ

別のコメントを引用する。

CMMを正当化する最も強固な理由は、それが品質と生産性を向上させ、同時にリスクを低減するということである。 (中略) しかし、我々に衝撃を与えるのは、それよりずっと起こりそうな別の解釈があることだ。それは、組織が「成熟」するにつれて、次第にリスクを避けるようになる、ということだ。CMMのレベルが上がったことを証拠で示せ、との厳しい監視下にいる組織に、真の挑戦は期待できそうもない。

ピープルウェア p245


この本の日本語訳を行った人たちは、どうやらCMMにからんでいるらしく、訳者コメントのところでこの意見を「修正」しようとしているのが笑える。

しかしここで注意しなければならないのは、世の中には

「決して新しいことはやらない」

ことで仕事を貰っている会社がいくつもある、ということだ。挑戦というのはリスクがつきもの。リスクを疫病のようにおそれ、それを避けるためならなんでもする、という組織は多い。実際我々の生活に「リスクを伴う革新」がそうたくさん存在してもらっては困るのだ。日常はあくまでも平穏無事な日常。そこに少しの挑戦があるくらいで丁度いい。