Listen to the music
2012-03-08 07:00
これまたうろ覚えで書くのだが、コンサルタントの秘密にこんな一節があったように思う。
「言葉が意味を成さないときは、音楽を聞いてみるの」
他人からわけがわからない非難を受けることはままある。そういう時に私のような人間はついロジックで対応しようとする。これはとても間違っている。B-29に竹槍を振りかざすくらい間違っている。
脳の働きについてわかってきた(らしい)事を知るたび、「意識」やら「ロジック」というものが後付なのではないかと考えることが多い。先日こんな記事を見つけた。
あらゆる感情はデータの要約、つまりわれわれが意識の上ではアクセスできないすべての情報処理を手早くまとめたようなものだ(ファム教授はこれを、感情は無意識の領域を覗き込むための「専用窓」のようなものだと表現している)。複雑な事象について予測を立てるときには、この余分な情報がしばしば重要になる。これが情報に基づく推測と、単なる偶然との違いだ。
via: 感情が「理性より賢い」とき « WIRED.jp 世界最強の「テクノ」ジャーナリズム
無意識したで行われている大量のデータ処理、それを無茶苦茶に要約したものが「感情」というわけだ。
「筋は通っている話なのに、この不快感はなんなのだ」
と思うことがある。今思い出せるのは採用面接でそう感じたことだ(複数回)もちろんそういうのは身を結ばない。しかしおろかにもこの「不快感」に注意を払わず、そこに(不完全な)ロジックで考え就職してしまったことがある。社名をNTTソフトウェアという。そこでどんな悲惨な目にあったかは、いつか書いたな。
この「感情」は言葉ではなく「音楽」として表れる。だから、何かわけのわからないことが起こった時には、ロジックではなく音楽に耳を澄まさなければならない。
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そう考えると「音楽」というものはつくづく面白いものだと思う。普通に考えれば生存やら生活に必要不可欠はものではない。ビタミンでも炭水化物でもないのだ。
それなのに「産業」としてちゃんと成り立っている。その「音楽」を聞くために大枚はたく人がたくさんいる。(もちろん音楽に従事している人にとっては、"大枚はたいてくれないぞ"ということなのかもしれないが)
歌詞のない音楽-それを聞いたときに何を受け取るかは受け取り手次第だ。しかしそこには大きな幅がある。それ故そうした音楽は飽きること無く、長い間「楽しめる」パートナーとなりうるのではなかろうか。
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先日フェルメールの絵を観てきた。同じ会場に展示されていた同時代の他の絵と比べるとフェルメール(のいくつかの作品)の特異性は明らかだ。何も語っていないのだが、見ている人間に何かを感じさせずにいられない。日常の一瞬を切り取りそのまま提示する。
これはどこか一部のクラシック音楽(バロックや古典派)と通じるものがあるやもしれん。それらの音楽は何も語っていないのだが、聞いているものに何かを感じさせる。
こうした境地は、瞑想というか坐禅と相通じるものがあるかもしれん、と話がとめどもなく発散したところで唐突に今日は終わるのである。