子どもと公園にいく
2012-05-25 07:12
子供がサッカーの練習がしたいという。じゃあ一緒に公園にいこう。
子供は公園までの最短距離を通ったりしない。あちらにいき、こちらにいき。寄り道し、道端に怪しげなキノコが生えているのを見つけて大騒ぎする。
頭が仕事モードのままの時は、「さっさと行こう」といいたくなる。しかし楽しそうな子供を見ていて、これは考え方が全く違うのだ、と気がついた。
仕事モードの父親にとって、公園までの道のりというのは「コスト」でしかない。であればそれを最小化するのが正しい。最短距離を最短時間で移動する。目的は「公園で行うサッカーの練習」なのだ。
しかし子供にとってみれば、(願わくば)「父親と歩いてあれこれすること」自体が楽しいことであり、目的の一部なのだ。そこにふと気がつけば、子どもと一緒に「なんだ、このへんなキノコは」ということで騒いだほうが楽しい。別に忙しい一日じゃないし。
あるいはあなたは小学生の登校風景を観たことがあるだろうか。特に1年生の男どもは、なかなか前に進まない。ふざけあい、時には逆方向に進みながらいつまでも遊びつつ歩いて行く。時間に余裕があるのだからそれでも問題はない。死んだ魚のような目をしながら下を向いて会社に向かうお父さんとは大違いだ。
なぜこんなことを言い出したかといえば、この文章を読んだから。
基本的に大人がやる行為には「目的」があって、そのために手段がある。はさみを使うのは、切って何かをつくるのが「目的」だし、お風呂でお湯を汲むのは、体を流すのが「目的」。けれど子供がやることの多くは、大人にとっての手段自体が目的だったりする。ただ、はさみで紙を切る。楽しいから。お風呂で、延々とお湯を汲んでは流し、流しては汲む。楽しいから。目的はないので、どこにも行き着かず、終わりもない。大人はそれらを「遊び」と読んでいるらしい。
via: こどもは手段が目的 - kobeniの日記
子供にとっては、この世のあらゆる体験が初めてのことに近く、新鮮に感じられるはずだ。だから、はさみを動かしたら紙が切れた!積み木を縦に積み上げられた!自転車に自分ひとりで乗れた!そういう一つひとつの「手段」を習得した時、その喜びのあまり、手段自体を繰り返し楽しんでしまうのだと思う。
この「プロセスをコストとみるか、目的とみるか」というのはなかなか深いものがある。最近よく聞くのが
「下手に報酬を与えてしまうと、それがコストになる」
という図柄だ。楽天レシピに投稿するとカネになる。じゃあ金をかせぐために、レシピをどんどん投稿しよう!そして死んだ魚のような目をしてレシピを投稿し続ける。この場合最小コストで最大数のレシピを投稿するのが「正しい行為」になるわけだ。
じゃあ子供っぽく「プロセスを楽しめればいいや!」というわけにもいかない。
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しかし、今回はむしろ炎上して良かったんじゃないですかね。これが綺麗にそのまんま終わったら、発案者の好きな女性へのプレゼント企画にみんなの奨学寄付がまんまと流用されたという事態になっていたわけですから。
via: 僕秩ヨシナガさん、自身が想いを寄せる女性への寄付を募る目的でStudygiftを立ち上げたということでFA: やまもといちろうBLOG(ブログ)
この一件を企画した人たちはみな「プロセスを楽しんでいる」と思う。結果を、自分たちが何をやっているか考えず、徹夜してがんばったことを誇りに思う。そして
まじで嬉しい。坂口さんもスタッフも喜んでます。まだまだこれからだけど。最初のケースとして出てくれた坂口さん、支援いただいた皆さんには頭があがりません。応援、意見してくれたみんな、徹夜で対応してくれたスタッフのみんな。本当にありがとう。そして、ごめんこれだけは言わせて...ざまーみろ!
via: Twitter / hbkr: まじで嬉しい。
そうだねえ。子供だったら余計な「ざまーみろ!」を言っちゃうよねえ。親がいればたしなめたり、代わりに謝ってくれたりするけどね。
この一件で更に驚くのは、集まった寄付だか支援の件数と金額である。いろいろな背景が明らかになる前でも
「あきらかにおかしいだろう」
という呼びかけに195人が応募し、総額は975,000円にもなっているのだ。これには正直驚いた。世の中から「振り込め詐欺」が消えないわけだ。というか私が反社会的な仕事をしている人だったら、絶対この線での商売を企画すると思う。
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まあしかし私のような人間がどう考えようが、関係者が幸せそうなことは確かだ。こうした神経は率直に羨ましいと思う。よく目にすることだが、どんな批判を受けようが、どんな結果をまねこうが
「本人が認識しなければどうということはない」
のである。皇帝もこう言っている。
*自分は損害を受けたという被害者意識を取り除くとよい。そうすればその損害というものも消滅するから。
via: 文藝散歩47 「自省録」
皇帝はこう自分に言い聞かせている。つまり言い聞かせなければならなかった、ということだ。家入氏のように「自然にできている」のとは次元が違う。しかし目指しているところ(家入氏にとっては到達している場所)はおなじである。
そしてつまるところ
そもそも、人生の目的って何なんでしょうね。
via: こどもは手段が目的 - kobeniの日記
人生って手段なのかなあ。
とか書いて、めいっぱいお茶を濁しつつ、終わり。うちの猫にも聞いてみます。
ということなのだ。人生について深く考えた皇帝もこう言っている。
それゆえ、なんらかの瞬間を人生の目的と考えてはならない。過ぎ去った巨大な深淵のごとき時を振り返り、無限に続く未来に思いを馳せるとき、人生が三日しか続かなかろうが、三世代にわたって続こうが、少しも差はないと知るだろう。
運命によってわれわれに割り当てられたこれらの瞬間、瞬間を正しく認識し、満足をもって世界を眺めよう。熟したオリーブの実が枝から自然に離れて地に落ちるときのように、われわれを育んだ土壌を、木を讃えようではないか。
-マルクス・アウレウス・アントニヌス 自省録
via: スティーブ・ジョブズの逝去に関するApple取締役会の声明
追記:
かの人物からはいろいろな発言がでているようだが、5/25時点で、Google+のプロファイルがこのようになっている時点で、すべての「弁解」は無意味ではないか。というか「子供だまし」という言葉以外私には思いつかない。