人工知能学会全国大会にいってきたよ(その1)
2012-06-18 07:25
というわけで、山口県山口市で開催された人工知能学会全国大会にいってきた。人工知能という仰々しい名前がついているが、その内容は
「なんでもあり」
である。こちらでは美大の先生が熱弁を奮っており、となりではごりごりした理論の話がなされている。というか最近●●学会の●●にあまり意味がなくなってきているのではないかと思うがどうだろう。データベースだろうが、人口知能だろうが、ヒューマンインタフェースだろうが差異は以前より少なくなっているのではなかろうか。
というわけで、本日はその感想第一回。「研究におけるMe factorについて」
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Me Factorとは何か?以下引用する。
特に高度に発達した先進国において一番稀少なものは何かというと、それは各個人の持つ興味であり、その興味があることに費やす時間であるといえるそうだ。つまり自分の興味とそれに掛ける時間こそが一番の稀少リソースであり、それこそが価値判断を行い、意思決定を下すときの一番のクライテリオンになるのだ。そしてそのクライテリオンを"Me Factor"という言葉で表現する。Me Factorにより鑑賞するべきファインアート、読むべき本、そして聴くべき音楽を選別することが、先進国において経済合理的に振る舞う個人の行為であるとするのだ。
via: wrong, rogue and log : Me Factor
つまるところ「自分がどう考えるか、感じるか」に重きをおこう、と言ってもいいのかもしれない。このあと本文は「時間に関しては、Me Factorをよく考える必要がある」と説く。つまり好きでもない話に延々付き合わされる必要はない、ということだ。
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なぜこんなことを言い出したか?次の2つの発表を聞いてそのMe Factorの強烈さに驚いたからだ。
2P1-OS-9b-3 生活者と環境が生み出すインタラクティブな音への意識開拓の提案 著者 浦上 咲恵(慶応義塾大学環境情報学部) 諏訪 正樹(慶應義塾大学環境情報学部)題目 2P1-OS-9b-4 生活の場に応じて音楽をコーディネートする試み
著者 原 野枝(慶應義塾大学環境情報学部)
諏訪 正樹(慶應義塾大学環境情報学部)
この発表はすごかった。最初のは「自分がたてている音は使える!」という主張であり、2番目のは「環境に流れる音をコーディネートしましょう」というもの。この2文で要約できてしまう内容を、時間制限一杯までとうとうと語り続ける。そこには発表者達の意欲がうかがえる。
問題は
その意欲がこちらに伝わってこないことだ。特に2番目の発表に対してある人が指摘したことだが
「環境の提案をしながら、その提案した環境を示さないのはどういうことか」
言葉でとうとうと語るより、一つのデモ、一つの提示がどれほど有効かは誰もが知っている。しかし彼女たちはひたすら語り続けた。
この発表はどういうことか、と思っていたのだが、その後に共著者の方の発表があり、そのQ&Aで疑問が解けた。(ような気がした)
Q:このような試みの「効果の評価」はどのように行うのか?
A:「浅はかな効果の評価」は行わない。そうした「評価」を行なってもやろうとしていることの上澄みを掬うだけで意味は無い。それよりも、個人が感じた、考えた事についてこのように発表を行い、それが広まることにより、「振り返るとこのような効果があったのではないか」と考えられるのが正しい姿ではないか。
なるほど。確かに「やっている本人がどう感じるか」はとても重要な要素だ。感動は伝染する。逆に言えば、やっている人間がいいと思っていなければ、その感動は誰にも伝わらない。
それを論文の査読を通すため無理やり定量化して評価する、というのはよくある図式だ。それが無駄な事についてはあまり異論はないと思う。
それ故、その人は指導している学生さんたちは、Me Factor満載の発表を行った、ということなのだろう。
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しかしそれはあくまでも話しの半分だと思う。人前で発表するからには
「聞いた側がどのように感じるか」
についても考えなくてはならない。とってつけたような「定量評価」が誰も動かさない(論文の査読プロセスは除く)のと同様に
「あたしはこう思ったのよ!」
と言い続けて伝わるのは「何かを言おうとしている熱意」だけだ。自分の熱意と、それを他人がどう思うか、という客観視と。このふたつを意識してバランスをとることが、「大人の判断」というものなのだろうな。
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こうしたことを書くとき、Steve Jobsは「成長」の過程でそうしたことを学んだのではないかと思う。初代Macintoshはすばらしい製品だった。しかしそれはJobsが考えたほど売れなかった。アラン・ケイによればそれは
発表されたばかりのMacintoshを見て「1/4ガロンのガソリンタンクしか持たないホンダ」と発言しスティーブ・ジョブズを怒らせたこともよく知られている話しである。
via: 久しぶりに再読したアラン・ケイの論文 - Macテクノロジー研究所
製品の細部に対する異常なこだわりは、それから数十年たって発表されたiPhoneでもかわらなかった。
しかしiPhoneは大成功を収めた。彼は数十年の間に
「自分の感動の大切さ、とそれを客観視することの重要性」
のバランスを取ることを学んだのではなかろうか。ホンダの車は確かにすばらしい。しかし
ガソリンを1/4ガロンしか積めないのでは誰も買わない、という客観的事実を。
というところから、夏目漱石の言葉を思い出したり、とかあれこれ話は続くのだが、今日はこのへん。