裸の王様とそれを生む「KATA」
2012-07-26 06:42
楽天市場というECサイトがある。仮に検索で面白そうな商品が見つかっても極力避ける。Amazonで同じ商品を探し、どうしてもみつからなければ、、購入を諦める。
楽天はITベンチャーとして大変成功しているが、その「下品」さには多くの人が辟易するところだと思う。
さて、その楽天がkoboという電子書籍リーダーを発売した。こういう新製品というのは、発売直後にいくつかのメディアにレビューが載る。どういう裏事情があるか知らないが、概ね「問題もあるけど好意的」な評価が乗るのが常だ。
しかしこの製品に関してはその図式が成り立っていない。
現時点での楽天Koboに対する評価を追加表記させていただきたい。
率直にいえば、欧米における「もっとも使いやすい電子書籍リーダー」という評判と、現状の日本語版の評価の間では、かなり大きな隔たりがあり、すでに動いている他の電子書籍ストア・サービスに比べ、体験として至らない部分が多い、と言わざるを得ない。
via: 【西田宗千佳のRandomTracking】楽天Koboスタート。三木谷社長単独インタビュー -AV Watch
こうした状況下でユーザーがすべきことは「今後に期待して」本製品にいますぐ投資することではなく、現在起こっている不具合の解消を見届け、また事前にぶち上げられた「毎日1,000タイトルの増加」、「年内に20万冊のラインナップ」といったロードマップが本当に実現するのかを見極め、それによって投資するか否かを決定することだろう。事前に大風呂敷を広げた結果がこれだった以上、ユーザー側としてもそれくらいの慎重さはあってよいはずだ。
via: 【PC Watch】 楽天「kobo Touch」試用レポート(後編) ~電子書籍の購入プロセスと自炊ビューアとしての使い勝手をチェック
発売直後にこうした評価を受ける製品は珍しい。さらに悪いことに楽天の教祖、三木谷氏が体をはって、この製品をアピールしていたわけだ。
<電子書籍端末koboをアピールする三木谷社長>
via: 三木谷社長/電子書籍端末koboをPR | 流通ニュース
今楽天社内で何が起きているかは想像するのも恐ろしい。しかしこうした問題はまだ「小さい」ものだ。今までハードを作ったことのなかった会社の第一作。大目に見よう、という議論もなり立つかもしれない。あるいは楽天の標語「スピード!!スピード!!スピード!! 」が行き過ぎただけ。これから熟成すればよい、という意見もあろう。
しかしこの騒ぎではそれとは全く性質の異なる問題が存在している。
今回の騒ぎで初めて知ったのだが、楽天レビューというものがあるのだそうな。楽天の製品やショップに関するレビューを自由に投稿できるとのこと。そこにkobo touchもあるのだが、いまそのレビュー欄が閲覧できないようになっている。なぜか?楽天の当事者の口から直接理由を聞こう。
kobo Touchをきちんとした状況でご提供しない中で生まれた混乱は100%われわれの責任ですが、さまざまなレビューが書かれました。「期待を裏切られた」というお怒りの声もいただいており、レビューがレビューとして機能しなくなっていました。良いこと、悪いこと含め、あるべき姿を参考にしていただくのがレビューですが、不完全な状態からスタートしたkobo Touchのレビューの場合、かえって誤解を招くのではないかと判断しました。
混乱を避けるため、いったん状況を正常化させていただいてから、レビューを再開したいと考えています。レビューを非表示にしたのは緊急の一時的な措置で、投稿されたレビューの削除は考えていません。kobo Touchは大変インパクトの大きい商品。そのインパクトの大きさから特例中の特例として、今回はやむを得ず、非表示にしました。レビューを非表示にしたのは、楽天史上初です。
via: 「大きなミスを犯してしまった」――楽天koboに何が起きたのか (2/3) - ITmedia ニュース
「レビューを非表示にしたのは楽天史上初」この言葉をどんな意味で使ったのかわからないが、これこそ楽天という会社が「顧客第一主義」に一体化しているのではなく「偉大なる楽天帝国」に一体化してしまっていることの証左だ。
どういうことか?多分この楽天レビューというものにはこれまでもいろいろな批判が合ったのだと思う。「言われない誹謗中傷」を受けたショップもあっただろう。しかしそれでもレビュー欄は閉じなかった、と。しかし自分たちの製品が「悪いことばかり」になったとき「それはレビューではない」という珍妙な理論を振りかざし閲覧不可にしたのだ。
あるいは中国高速鉄道で事故が起こった際に、車両を埋めようとしていた中国当局の姿を思い出す人もいるだろう。蓋をすれば問題は消えるさ、ということを堂々と公言しているのだ。
なぜこうした無神経な発言ができるかといえば、「自分たちは特別な存在である」という概念が存在するからだと思う。他のショップや製品は知らないが、自分たちが作り上げた素晴らしい製品に文句をつけることは許さない。こうして文字にすると頭がオカシイとしか思えないが、大きな企業にはこうしたメンタリティの人がたくさんいる。完全に「偉大な企業」と一体化しており、少しでも悪口を言われると、あたかも個人が攻撃されたかのように感情的な行動を取る人たちだ。自分たちの存在は「絶対化」されており、自分と他人は相対的にみれば同じように尊重されるべきだ、とはみじんも考えない。
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こうした点を見ると、楽天も立派な日本の大企業になったのだなと感慨深くなる。そして今回のkoboが示すように、そうした大企業化が進むと、ゴミのような製品を量産するようになり経営が傾く。
もちろんこうした現象は我が国特有のものではなく、世界中に普遍的に見られるものだろう。しかし日本のそうした現象には日本文化に特徴的な「KATA」が関係しているのではないかと思う。
企業が様々な試練をくぐり抜け成長し、ある程度の評価を受けた瞬間から、その企業は「KATA」の固まりになるのだ。そして「KATA」どおりか否かが評価の基準となる。ある元ソニー社員は、
「新しい提案を持って行くと"それはSONYの四文字にふさわしいか?"と却下されてばかりいた」
と愚痴を言っていた。つまりSONYは独創性と柔軟性を意味する言葉ではなく「尊重すべきKATA」になっていたということだ。そしてその結果はご覧の通り。
ではどうすればいいのか?
それについてはもっといろいろな考察があってほしいものだと願っている。今私が知っているのはこの言葉だけだ。
こうした「組織への一体化」にともなう問題を解決する方法はあるのだろうか?何かへの一体化がさけられないとすれば、どうすればいいのか。論文では こう主張されている。
via: 失敗の本質の一部産物ではなく、プロセスに同一化すること、そして単に保持・所有するプロセスにではなく大胆に選択し、適応するプロセスに同一化することは、こ れまで集団的に実現することが難しかった。
共和国初期のローマ人、15世紀末から16世紀初頭のイタリア人、エリザベス女王時代のイギリス人は目的にとって有益だと判断された過去の遺産 の大部分を 保全しつつ、新しい機会を捉えることに非常に長けていたように思える。
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ちなみに、引用したITmediaの記事は岡田氏が書いているのだな。岡田氏の記事は指摘が的確でいつも非常に参考になる。どういう形でか知らないが、ITmediaで氏の記事が読めるのは大変うれしい。
----------(以下追記)------------
2chで知ったのだが、ITmediaのインタビューにでていた人の「前歴」がわかった。
今回はソニー株式会社のコーポレートディベロップメント部ネットメディア開発室チーフプロデューサー、本間毅さんにソニーが動画投稿共有サービスに参入した理由、そして大手電機メーカーであるソニーだからこそのハードとの連携、さらに今後の戦略について伺ってきました。
ソニーが独自で動画投稿サービスを開始した理由
via: ソニーeyeVioが目指す動画共有サービスとは - [インターネットサービス] - All About
eyevioの戦略について語る本間毅氏
ソニーですか。。やっぱり。。。