絵を描く人 修復をする人

2012-07-05 06:41

昨日面白い文章に出会った。

概算をする能力を持たない人が上司になると、部下の技量をレンガの積みかたで評価するようになる。

必要なのがビルであっても、上司には図面を読む能力がないものだから、上司はひたすらレンガをにらむ。「お前、ここに来てレンガを積んでみせろ。ほら1ミリもずれている。たるんでいる」なんて、図面を書ける部下を叱りつけたりする。こんな空気が連鎖すると、その組織からは図面が書ける人がいなくなる。

組織が持つ概算能力みたいなものは、恐らくはその組織が長く続くほどに、一方向的にどんどん落ちていく。かつてビルを作った職人集団は、10年すると家を立てるのがやっとになって、20年するとブロック塀を積める人だけが生き残る。ブロックの積みかたは精密を極め、誰もがレンガ積みの達人になった結果、その組織にビルを頼む人はいなくなる。

via: 大きな話ができる人 - medtoolzの本館

私は少し違う言い方をしてみよう。

「全体の絵を描く人」

「細部の仕上げ、修復をする人」

の間には深くて長い溝がある。いや、高くて超えられない壁がある、というべきか。
長年使われるシステムほど後者の人ばかりになる。そして引用した文章にある通り

「このレンガの積み方がなってない」

という指導ばかりが横行することになる。
こうした組織からは笑っちゃうような勢いで「全体の絵を書く能力」というのが失われていく。それは見事だ。

---------
具体例を述べよう。以前情報機器製造会社の子会社で働いていた。その会社には親会社から「優秀な若手」が何人も出向してきて

「組み込みのソフトを一から作り直す」

プロジェクトに取り組んでいた。私はそこに何も知らず採用されたプロパー社員第一号だったわけだ。

最初は親会社から来た人間のいうことを素直に聞いていた。しかしそのうち疑問が湧いてきた。そもそも我々は何を作っているのか。目標はなんなのか。新しい開発に取り組むと言うことを聞いていたが、それはどこまで取り入れるのか。なぜ仕様書がなく、メモ書きの断片が散らばっているだけなのか。

更に不思議なことは、親会社から来た人間は会議ばかりやっていて、誰一人(正確に言えば、一人だけ例外がいたが)絵を書こうとしなかった。代わりに

「外注さん」

に向かってあれこれ注文を出したり、その提出物にいちゃもんをつけたりしていた。彼らは自分では何もできなかったが、それを指摘すると

「提案してください」

と言われ、提案をすると

「これはイメージと違う」
「レンガがずれている」

といって却下した。そんなことを繰り返しているうち、そのプロジェクトはお取り潰しになった。それを冷静に見ていたのは、いろいろな会社でいろいろなプロジェクトを経験してきた「外注さん」だけだった。そして私もそのプロジェクトをスクラップにしたのは正しい判断だったと思う。

-----------
今から振り返ってわかることだが、あの会社で体験したことは典型的な

「設計能力が失われた会社」

だったのだ。今あるものの改修、改善、増築ばかりやっているうちに誰も描けなくなる。これを嘆くべきかどうか私には分からない。少なくとも今はそれで会社が、そして社会が回っているからだ。ただそうした認識を持つことは大事だと思う。正確に言えば、社員の9割はそうしたことを認識しないほうが幸せに暮らせるのだが、残りの1割は認識していないと困る。

その会社の「求人広告」を見ると、「こんな新しい製品に取り組んでます!」と誇らしげに語っている。私はぼんやりと「その"新しい製品"の全体像を作ったのは誰だったかな」と思う。優秀な人がたくさんいる会社だから、その問いに対する答えを持っている人が1割くらいはいると思う。