オリンピック開会式に見る大英帝国の力
2012-07-31 07:08
この年になるとオリンピックの開会式を見ようなどとは思わない。どうせ毒にも薬にもならない演出だかスピーチが延々と続くのだ。
しかし
正直本放送を録画しなかったのは失敗だった。今回の開会式は面白かったのだ。そしてあの開会式ができるとすれば、大英帝国か、アメリカ帝国しかないなと思わせるものだった。
その感動を一言で言えば「余裕のなせる技」
「ああ、このような田舎の国でオリンピックを開催していただき、誠にありがとうございます。皆様に喜んでいただけるようせいいっぱいのおもてなしをご用意いたしました」
などといったところが微塵もない。
「ああ、近代文明といえば、全部大英帝国が生んだもんだよね。君たちも随分学んだようじゃないか。まあ楽しんでってくれ」
といったように見えた。
なんせ、世界的なコンテンツには事欠かない。ジェームス・ボンドに女王様にパンクロックにビートルズ、ハリー・ポッター、ベッカムにビーンにサイモン・ラトル。いいですか。ビーンとかけあいをやっていたあの金髪のおじさんは、世界のベルリン・フィルの主席指揮者ですよ?ものすごいオーケストラをまとめるというとんでもない仕事をしている人ですよ。
というか
オリンピックの開会式で堂々とギャグをかます、というのは信じられない大技だ。考えてみよう。まずそのギャグは誰にもわかるものでなければいけない。特定の文脈に依存してはだめなのだ。更に絶対に滑ってはいけない。ある程度上品でなければならない。
この制約の中でギャグを演出に取り入れられる国が世界にどれだけあるだろうか?
多くの人が考えたと思う。もし東京でオリンピックをやったらどうすればいいのだ。
日本が持っている世界的なコンテンツといえば、、ポケモンですか?でもそれだと任天堂のCMになるから却下されるだろう。
もうあれだ。宮崎駿に全権委任して、ヨーロッパともアジアともつかない不思議な演出をするのだ。スモウ・レスラー300人による集団土俵入りをするのだ。世界中の人に狐につままれたような顔をさせるくらいしかこの開会式に対抗する手段はないのではないか。間違っても寒いギャグなんかかましちゃだめですよ。大英帝国とはユーモアの伝統が違うのだから。
というか
日本人はおそらく未来永劫、オリンピックの開会式を宮崎駿に任せるような余裕は持てないのではないかと思う。それはそれで悪いことではないのだが、英国の余裕をみてうらやましく思うのも本当のところだ。
最後にポールが歌うところで
「あれ?音声が2重に聞こえる」
と思った。後で知ったことだが当初口パクの予定で録音を流していたのを、生で歌ってしまったと。顔はさすがに老人っぽくなったがロックの魂は失われていない。いや、感服いたしました。