Not a matter of spec

2012-08-21 07:25

ニコニコ学会の合宿に参加してきた。

他の場所では聞くことができない面白い話がいくつか聞けたのが収穫であった。こうした新しい試みは混沌としているところが面白いところだと思う。

そう思ってみてみると一見ふわふわしたような理念を語っていながら、足がちゃんと地についている人と、足までふわふわした人がいたことに気がつく。

「電脳メガネにはあと何が足りない?」というセッションに参加していた時のことだ。

まずプレゼンターが「電脳メガネには何が足りないのだろう?」という問題定期をする。なんでもメガネの産地鯖江ではシンポジウムとかそういう集まりがあったのだそうな。

そこでは「どうやって鯖江の技術を使って電脳メガネを軽くつくるか」とか「アプリがいるよね」という話は議論されていたが、入力装置をどうするか、OSをどうするかという話がなかったのだそうな。

元々の議題は「単機能の"身に付けるコンピュータ"は増えてきたが、汎用コンピュータは身につけられていない」というものだったように記憶する。

さて、というところで議論である。ここである人が

「産総研では脳波を使った入力装置がでてきたはずだ」

と言う。プレゼンターが一般の人には手にはいらないのではないか、というと別の人が

「いや、たしか2万くらいで売っているのがあると思う」

と言う。さっき発言した人が「モニターの解像度が問題ではないか。アイコンを並べてクリックできるのか」という。

私は正直こうしたやり時を聞いてうんざりしていた。ユーザインタフェース開発失敗パターンの「こんなすごいデバイス作っちゃいました!」そのものだ。やれモニターの解像度がどうの、やれ脳波がどうの。

しかしこれで終わらないのが、この合宿のいいところだったと思う。ある人が

「ちょっと話の流れ変えたいんですけど」といって発言をはじめる。GoogleがGlassのプロモーションビデオを発表した。最初のものはAR(Augmented Reality)だったが、あとの2つは「両手がふさがっていても画像が取得できる」つまりつけっぱなしのカメラのような用途にしていた。

ということはGoogleはARをあまりヤル気がないのではないか。彼らがやりたいのは、人間が観たものをかたっぱしからログに残すことではないか。ということを考えると「何がしたいのか」「これが普及すると世の中はどう変わるのか」を議論すべきではないか。

ここから議論は発展的な方向に進み始めた、、、が時間切れで私は別の部屋にうつったので詳細は知らない。しかしこの「そもそも何がしたいのか」を忘れ「解像度がどうの、バッテリーがどうの脳波がどうの」という出口のない議論を延々続けるのはとてもよくハマる穴であり、失敗パターンとして登録したいくらいだ。

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漫画蒼天航路で曹操がこう語る。

「国の主は、まず頭の中で観たこともないすごいごちそうの姿を描くんだよ。そしていろいろな材料を集めそれを実現していく。

すごいごちそうの姿を生み出せない主に人はついていかないのだ」

これは「正しい方向に向かう」ための一つの方法だと思う。曹操の比喩で言えば脳波がどうの、というのは「ごちそうの材料がどうの」といっているようなものだ。それを集めた先がどうなるのか。むかっているのはどんなすごいごちそうなのか、それが問題だし、難しいところだ。

ここに別の陥りがちな穴がある。

「すごいごちそうの姿」

を描くのではなく

「すごいごちそうがほしいなあ」

という願望を列挙してしまうこと。これをやるとふわふわした言葉のリストができあがるが、そこからどこへも進まない。頭の中でもいいが「すごいごちそうの姿」を描かなくてはならない。

そしてあまり言葉にされることはないが、この「すごいごちそうの姿」を描くことができる人間の数というのはそれほど多くはない。それ故実はこの「すごいごちそう」がとんでもないものであっても、人間はついていってしまったりする。ヒトラーのように。

私の考えでは「すごいごちそうがほしい」といっているのは「ふわふわした人」で「すごいごちそうの姿」を頭の中に持っている人は「ふわふわしているように見えるかもしれないが、足が地についた人」だ。今回の合宿ではこの「足が地についた人」を何人か拝見してとても刺激を受けた。

ちょっ追記。

こんなTweetを見つけた。

学者になるべきか悩んでいる子羊に羊飼いが言った言葉。「学者」とは、研究内容が何の役に立つのか、研究意義をきちんと答えられる研究者。「野生の研究者」は研究意義は語れなくても問題ない。

via: Fumi (Fumi)さんはTwitterを使っています

これをみて私はちょっと複雑な感慨に浸っている。「答えられる」のはいいが、それが「答え」だと認めてくれるのは誰なのか?語るだけなら私でもできる。

産総研のヒューマノイドロボットの話しを少し聞いた。そして「この人達は"すごいごちそう"の絵をちゃんと描いているのだろうか」とかなり疑問に思った。ただ我が国では彼らは「研究意義をちゃんと答えた」ことになるのだよね。