プレゼンのビジュアルエイドとは

2012-08-22 07:27

というわけで、毎年恒例「これから投稿しようとする論文のネタバレ」シリーズである。

先日こんな記事を見つけた。

VPたちがプロダクトを説明するときPowerPointを使わせずホワイトボードに図や言葉を書かせる(Jeff Bezos - Jeffにプレゼンするときは平文で書け)。

via: Yahoo新CEOの最初の30日-フリーランチ, "What is Yahoo?"を禁句に

MayerはYahooでこのような変革をもたらしたのだそうな。そしてここから引用されているが、AmazonでもPowerPoint禁止だそうである。Amazonではもう何年も禁止されているのだそうな。

私が考えるに、これらはいくつかの理由から正しいことだと思う。そもそも説明者は自分が何を言おうとしているのかソラで言えるべきだ。そうでなければ他人の時間を奪う権利はない。

次に「できあがってしまった」図を最初から見せるPowerPoint(これはKeynoteを使おうが同じ事だが)は聞いている方にとっては退屈そのものだ。その場でホワイトボードに書け。それで上手に説明できないようであれば、そもそも他人の時間(以下略)

しかし私自身に適応しようと思うと、これには一つ問題がある。私のHand Writingはとても汚く、相手が読めるように書けないのだ。ではどうするか?

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ちなみに少し前のソニー(今ほど凋落が明らかでなかったころ)では社内に「パワーポッター」が増殖していたのそうな。いかに綺麗で、かっこよく見えるパワーポイントをつくるかが重要だったのだとさ。

世界的企業のAmazonと、今や部品メーカーとかしたSonyの差はこんなところにも存在する。これはソニーは「KATAを重んじる日本文化」の罠にハマったためではないか、と最近考え始めている、、ということはいつかまた別の機会に。

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話はだんだんずれていく。来週日本感性工学会の全国大会の招待講演にこういう人がくるのだそうな。

特別講演:きのう・きょう・そしてこれから 落合 良 氏(三木稔応援・結の会代表/元ソニー勤務)

via: 第14回日本感性工学会大会 -予稿集-

肩書きにはおそらく誇らしげに「元ソニー勤務」という事を書いている。しかし今の凋落したソニーを生み出したのはこういう世代の人たちなんだよね。もちろん直接聞けば「いや、私が離れた後から凋落が始まった」とか答えるのかもしれないけど。

かつて繁栄したが凋落した企業というのはいわばイス取りゲームのようなものだ。繁栄を極めた時、というのは凋落の種がしっかりとまかれた時期と一致する。しかしその時期に離れた人は

「私はあの世界的大企業で大活躍した人間でございます」

という意識を持ったまま一生を過ごす。気の毒なのはその次に椅子に座らされた人間だ。もちろんその人の責任もあるだろうけど。
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話はいきなり元に戻る。最初に引用した文章からリンクされている「AmazonでJeff Bezosにプレゼンする話」はとてもおもしろい。極端に賢く、あっというまにプレゼン資料の中身を理解してしまう人間を飽きさせないためにはどうすればよいか?話はまたずれる。最近あれこれ本を読んでいると

「あまりに当たり前のことがだらだら書いてあり、数ページに1行読めばいいもの」

「簡潔な文章の中に深い意味が込められており、一字一句読む価値のあるもの」

があることに(今更ながら)気がつく。ドラッカーとかG.M.ワインバーグの本は後者だ。プレゼンにも同じようなことが言えるのではないか?