インタラクション-インタフェースが重要なわけ

2013-02-18 06:37

苦戦が伝えられる任天堂だが、先日こんな記事を読んだ。

任天堂 岩田社長による煽り文句は、『(...) 体験したことのあるサービスも、出力デバイスが変わり、インターフェイスが変わるとずいぶん印象が変わると実感しています。(...)』(Twitter @Nintendo)。

『社長が訊く』では、米国の Google 本社でプレゼンしたところ一日目で評判が広まり二日目には会議室が溢れるほど技術陣が集まって多数のアドバイスを受けたといったエピソードに触れています (Google 河合氏いわく、会議嫌いのGoogleエンジニアが一部屋に集まるのはめずらしいこと。「その場にいた人間はみんな大興奮でした。「地図とストリートビューって、 こうあるべきだったんじゃないか?」というくらい、最初からとてもマッチしていましたから」)。

via: Wii Uで見るストリートビュー Wii Street U は5月末まで無料提供、『社長が背負う』も公開 - Engadget Japanese

こうした「事実」に気がついている人はあまり多くない、というのが実感だ。それは「インタラクションの研究者」であっても同様。

インタフェースは、常にHTMLという人たちは、インタラクションが一定の範囲に閉じ込められているということに気がついていない。同じコンテンツ、同じロジックであってもインタラクションを変えた途端、全く違う体験になり得る。
(最近気がついたのだが、私はインタフェースとしてのHTMLがかなり嫌いだと思う)


逆に背後に存在するべき、コンテンツ、アルゴリズムを考えずにただインタフェースだけ作っても、それは「インタラクションシステム」にはなりえない。いくらCHIshな評価なんかつけても無駄。

とかなんとか文句を言っていると、そこから逆に「じゃあお前は何がいいというのか」というのが明らかにならんかなあ、とぼんやり考えている。それって自分でもよくわからんのだよね。