進化した猿に携帯を与えると

2013-02-12 06:56

人間は猿の進化したものではない、というツッコミは軽く聞き流そう。
先日こんな記事を観た。

病院では電気を私用に使う現地スタッフが多くて困ったという。「自家発電しているが、現地スタッフはコンセントが空いていると、すぐに自分の携帯電話の充電に使う。やめろ、ともなかなか言えない」(同)。多くの乳幼児が亡くなっている現実の一方で、その施設内では貴重な電気がこんなことに使われているのだ。

via: 「国境なき医師団」の厳しい現実 (東洋経済オンライン) - Yahoo!ニュース BUSINESS

別の記事で読んだが、インドでは下水道はないが携帯を持っている人がたくさんいるのだそうな。

マズローのなんちゃらには批判も多い。携帯電話で何をするかと言えば、よくわからない。メールを受け取ったり友達とチャットしたりするのだろうか。それはどう考えても

所属と愛の欲求(Social needs / Love and belonging)
生理的欲求と安全欲求が十分に満たされると、この欲求が現れる。
情緒的な人間関係・他者に受け入れられている、どこかに所属しているという感覚

via: 自己実現理論 - Wikipedia

所属と愛の欲求より下にはない。にもかかわらず他人とおそらくは自分の「生理的欲求と安全欲求」を犠牲にしてまでそれを満たそうとするのだ。

あるいは単に「そうした行為が安全欲求を危険にさらしていると理解することができない」のかもしれないし「他人の生理的、安全的欲求は自分の所属と愛の欲求より下」というありふれた定義に落ち着くのかもしれない。

こうした人間の行為にはいろいろ考えさせられるものがある。学会に行くと

「人間同士のコミュニケーションをもっと密にしましょう!」

という脳天気な前提に基づく研究を見ることが多い。21世紀も10年以上たった今であればそんな「暗黙の前提」はいい加減見なおして欲しいと思うのだが。

というか「現水道よりも携帯電話」を優先させる人間の「知能」は環境への適合を考えた時どう理解すればいいんだろうね。私は他人とのコミュニケーションに問題を抱えた人なので正直よくわからない。