4月から働き始める人たちへ

2013-02-15 07:10

昨日こんな記事を見つけた。

大手SIer入社する新人は本当に皆優秀な人が多い。
勉強ができて、物覚えが良く、人も良い。
素晴らしい人達だと思った。まるで敵わないと思った。
こういう人達と切磋琢磨していける環境は最高だと思った。
自分がダメで情けなかったけど。まだまだみんなの方が優秀だけど。

でも、そんな優秀な人達がいつの間にかに丸投げを覚え、技術は身に付かず、管理者という名の糸電話になってしまう。

協力会社がやったことを「管理」して、プロジェクトマネージャーに報告する。
プロジェクトマネージャーからのフィードバックを協力会社に伝える。

詰める文化を学び、「下」から上がってきた成果物にイチャモンを付ける。
イチャモンを付けることが自分の存在価値だと思い始める。自分で手を動かすのはマネージャーの仕事じゃないと言って、技術的な要素は協力会社任せになる。
それはきっと、正しい努力ではない気がしている。

via: 【雑談】運が7割。選択が1割。残りは努力。 - 感謝のプログラミング 10000時間

私もこうした例を数限りなく見てきた。日本社会の面白いところは、大学から企業にはいった瞬間「一旦リセット」を要求されるところだ。君たちはこれから社会人なのだから、というわけで「一から」基本を教えようとする。

そして入社した会社が「メールと会議が仕事」と思っているようなところだとこういうことになるわけだ。前にも書いたと思うが、私は一時NTTの末端子会社で働いていた。その会社で一度だけ素晴らしいことが起こった。新入社員の「ナマの声」を社内報に掲載したのだ。

そこには

「学生時代は徹夜でプログラミングもあたりまえだったが、この会社じゃそんな技はなんの役にもたたないな」

という言葉があったのを覚えている。そりゃそうだ。ある事業部の仕事は、NTTドコモに「高級派遣」としてはいり、「低級派遣」会社から来た人を「管理」することだったから。

そうした「ホンネ」に対しては、いろいろな意見があったが所詮末端子会社だ。一番収益がよく(そしてメンタルのアンケートでは常に最下位だったのは)NTTデータへの人材派遣をやっている事業部だった。そしてその事業部長はこの「ホンネ」に対して「何を甘いことを言っているんだ」と一喝していた。

会社と幹部はゴミだったが、新入社員には優秀な人がたくさんはいってきた。しかし日本特有の「会社にはいったらリセット」文化に従えば、そうしたゴミ幹部を見習わなければいけないことになる。そして3年もたてば立派な「生ゴミ」になる。(生きのいいゴミという意味ね)

どうしてあんな人柄もいい(本当に良い人ばかり)優秀な新人たちが「詰める管理者」なるかというと、そういう文化を見て育っていくからだ。
赤ん坊が身の周りの言葉を吸収して覚えていくように、新人は身の周りの文化から仕事を吸収する。それがどんな仕事であろうと。周りに見えるものから精一杯吸収する。
何もわからない、「はじめての会社生活」だから。はじめに目に見えるものがすべてに思える。
生まれたばかりのアヒルの子のように。

via: 【雑談】運が7割。選択が1割。残りは努力。 - 感謝のプログラミング 10000時間

今不振を極めている、あるいは「栄華を極めている」企業でもこうした「優秀な学生をゴミにする」ことは極めて広範囲に行われているのだと思う。

もう一つ例を挙げておこう。デンソーから出向してきた(片道飛行じゃないよ)有望な若手社員が、グループを仕切ろうとした会議での出来事だ。

彼はひたすら派遣できた社員に対して「ここでどうする?」と聞き、その人が何か答えるとそれに対して文句をつけていた。自分からの提案は0である。それはあまりに典型的で見ていて思わず笑ってしまうほどだった。デンソーからはそんな人間ばかり来ていたからその時やっていたプロジェクトが崩壊したのは不思議でもなんでもない(そしてその後始末は、プロパー社員である私に降ってきた。彼らはそうした状況から身を躱すことにも極めて熟達していた、と知るのは後のことである)

天下のデンソーの社員だから、きっと優秀な学生さんだったのだろうなと思う。彼らは今何をやっているのかな。

ちなみに全てのデンソー社員はこんな人ではない。9割はそうだが、1割はとても優秀な人がいる。自分でコードも読み書きし、難しいプロジェクトを仕切り、一日21時間働き、「外注さん」とも人間同士の会話が可能で転職など夢にも思わない人だ。大企業はこうした人が1割いれば回っていくのだよね。ある程度は。

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そうした状況は変わらないのだが、私が入社した頃にくらべれば状況ははるかによくなっていると思う。私が若い頃は、会社で接する人が社会の全てだった。(家族を除く)だから仮に自分が疑問をいだいたとして、それがどういう意味を持つのかわからなかった。

しかし

今では、そうした会社の垣根は少し下がっているように思う。いろいろな立場の人の話しを聞くのはずっと容易で、そうした機会もある。もちろんゴミ箱に安住する人もいるだろうが、自分が望めばそこから外に触れることはずっと容易になっていると思う。

というわけで4月から働き始める人、もう働いている人は、そして何よりも自分はこの60代男性の言葉を噛み締めるべきだと思う。

ともあれ、私たちは均すと7割を仕事以外の自分として生きています。

 つまり消費者である、というのはそんな7割側の自分なのです。消費者側の自分は、新しい時代にどんどん適応していきます。ところが、生産者側の自分というのは、ほんとうに保守的なんですね。ここにズレが生じます。つまり、生産者側の自分がマジメであるほど、時代についていけなくなる。市場についていけなくなる。

 そう考えると、仕事以外の7割の自分が、次の自分の仕事を創るんだ、ということ、おわかりいただけるんじゃないでしょうか?

via: 20代の社員に「アホは出口さんです」と言われました:日経ビジネスオンライン

仕事をしている時間は生涯の3割でしか無い。しかしそれを「10割」と勘違いすると間違いなくゴミになる。「外注」を管理しているからといって、それは自分が偉いせいでもないし、あるいは逆に駄目になっている印かもしれない。7割の自分が生きていればそうした事に気がつく、と。