スタートアップと研究と

2013-03-11 07:04

この文章は日米のスタートアップに関するものなのだが

主にスタートアップを中心として、アメリカの人々が経営者に期待するのは、どんなに儲けているかよりもどれだけ人と違う面白い事をやっているかなので、ビジネス的な数字をあまり気にせずに心置きなく今までに無いイノベーションを創り出す事を優先して経営が出来る。そしてユニークなカルチャー会社の方が優秀な人材を獲得しやすい。その一方で日本だと"稼いだ者勝ち", "事業規模が大きい方が凄い", "従業員の平均給与額", "脅威の利益率"等、社内外においても起業家や経営者に対しての評価軸がお金や数字であるのが常識とされている。

via: 日本でイノベーションが生まれにくいと思った3つのポイント | サンフランシスコ・シリコンバレー拠点のクリエイティブエージェンシー・btrax スタッフブログ

先日米国の500 Startupsという会社を訪問した。

500 Startupsは、マイクロVCと、スタートアップ・アクセラレーター・プログラムを提供するインキュベーターの性格を併せ持つ。有望なスタートアップには、事業を立ち上げた初期であるシード段階で投資するほか、それ以降の資金調達ラウンドにも投資している。

via: 米国スーパーエンジェル500 Startupsが 世界から注目される理由|インキュベーションの虚と実|ダイヤモンド・オンライン

そこでいろいろなことを聞いたのだが、印象に残っていることの一つに

「今何をしているかのMission Statementはあまり重要ではない。ほとんどの場合、ここに来て事業は変わるから」

Fail fastの実践例とも言えるかもしれないのだが、ではあなたたちは何を評価して投資先を決めるのか、ということになる。つまり彼らが投資を決定した段階で、その相手が「何をしているか」は"表面的"にはあまり重要ではないということになる。

でもって話は冒頭引用した箇所に戻るわけだ。つまるところ「どれだけ馬鹿馬鹿しい事をしているか」という点が評価になるのかなあ、とぼんやり考えている。

最近、「過剰の精神(abundance mentality)」が業界のバズワードになっている。これはライバルにわずかに差をつける努力をするより、画期的なイノベーションに集中した方が利益が大きいというものだ。この根底にある前提はわれわれは基本的に資源が希少であるような世界にはいないというものだ。

via: Googleの精神―ラリー・ペイジ、「競争なんてくだらない。イノベーションこそすべて」と吼える

私はこの「過剰の精神」が正しいと何の根拠もなく考えている。ラリー・ペイジが言うように

「クレージーでないようなことをやっているのだったら間違ったことをやっているのだ」

via: Googleの精神―ラリー・ペイジ、「競争なんてくだらない。イノベーションこそすべて」と吼える

同じようなことは、私が「研究」を見るときにも言えると思う。私が面白いと思う研究は

・地に足がついていること(つまり現実にちゃんと対面していること)
・馬鹿げていること

この2つのうち両方、もしくはどちらかが存在しているように思う。だから完成度とか、実装能力とかどうでもいいのだ。それが私にとって「馬鹿馬鹿しい。でも人間の根っこに根ざしている」と思えるものであれば。

などとヨタごとを書きながら、また隣の会社の頭をたたき、足を引っ張る作業に戻るか。。