Power of stupid question
2013-03-25 06:57
というわけで、何かと物議を醸し出すドン・ノーマンである。Emotional Designはどこへいったのか、とか聞きたいことはあるのだが、今朝こんな文章を見つけた。
One of my concerns has been design education, where the focus has been centered too much upon craft skills and too little on gaining a deeper understanding of design principles, of human psychology, technology and society. As a result, designers often attempt to solve problems about which they know nothing. I have also come to believe that in such ignorance lies great power: The ability to ask stupid questions.
via: Rethinking Design Thinking - Core77
「デザインの教育」について、それがあまりにも技巧に偏り、人間の心理、技術、そして社会についての理解、そしてデザインの指針について疎かにしているのではないか、と懸念している。結果としてデザイナーはしばしば全く理解していない問題を解こうとする。またそのような態度は「馬鹿な質問をする能力」を奪っていると信じるようになった。
馬鹿な質問とは何か?あまりにも基本的と思えるが、その問に対して誰もが返答に窮するような問だ。
This is where breakthroughs come from. We need to question the obvious, to reformulate our beliefs, and to redefine existing solutions, approaches, and beliefs. That is design thinking.
via: Rethinking Design Thinking - Core77
そうした問について真面目に考えることでブレークスルーが起こりうる。それこそがDesign Thinkingだ、と主張している。
この主張には賛同する点が多い。多くの場合Stupid Questionを発しただけでは他人の想像力を喚起することはできず、Stupid Question に基づくStupid Prototypeを示してようやくそれが何を意味するか他人にわかってもらえる、と考えているはそれはいいとしよう。
たとえば私が先日書いた「カーナビ開発なんか全部やめて、スマホ、タブレットとのインタフェースだけ用意しろ」というのは、自動車業界においては間違いなくStupid Questionだ。和を持って尊しとなす、の我が国では「そうはいってもねえ」ということで聞かなかったことにされるのが関の山。
とかいていると気が滅入ってくるので、話しを前向きにしよう。このStupid Question の一つの形態というのは「実はこれいらないじゃないか」というものである。その問を発した瞬間、「それは言ってはいけない」という無言の視線を感じたとすれば正解である可能性が高い。とかなんとかStupid Questionについて考えるとまた一章くらいかけるような気がしてきた。Real Stupid QuestionとNot so stupid questionの違いとかね。