イノベーションのジレンマ@昭和中期
2013-06-04 07:18
イノベーションのジレンマという言葉が生まれたのは20世紀末だが、そうした事象はもちろんそれ以前からあった。昨日こんな文章を見つけた。
同じような話を、堺屋太一が著書「組織の盛衰」で解説している。映画業界が衰退した理由だ。
via: OL男子の勝手にネット広告批評 : 「大阪の虎ガラのオバチャンとデートする」企画の秘密とボツ写真集
昭和31年には、映画会社の株価は松下電気やトヨタ自動車より高かった。その理由は、テレビが普及すると、そのコンテンツ制作を映画会社が行って儲かると思われたからだ。
実際にはそうはならなかった。映画のような大型のコンテンツを作る体制は、テレビには過剰だったからだ。結果、スタジオも機材もなく、有名俳優も使えない零細プロダクションに、全ての大手映画会社が敗退したという。映画会社が3億円かけて1時間のテレビドラマを作る所を、零細は3千万円で作り、視聴率も負けなかったからだ。
私が学校を卒業するとき、折りにふれ母親が話してくれたことがある。
「あたしが卒業するとき、一番成績がいい人は映画関係に行った」
当時映画は花型産業だと思われていた。そしてそれはテレビが出現しても変わらなかったとは昨日はじめて知った。確かにこのロジックには納得が行く。そして
「我々は大衆に受けるコンテンツを作るノウハウを持っています。一朝一夕に真似できるものではない」
などと豪語していた映画関係者も多かったのだろうな。「技術はある。企業イメージで負けているだけだ」と豪語していた家電各社の幹部のように。
つまり当時の映画製作システムは、完全にユーザの要求を追い越してしまっていたことになる。それ故映画産業に入れなかったような「落ちこぼれ」が作る零細プロダクションのTV番組にやられてしまったと。
そして「零細プロダクション」は花型になり、今や腐った階層構造を持つようになった。TV局の人間は何も作らなくて高給を受け取っている。ここに「ユーザの暇な時間」を狙って再び下層から破壊的技術が忍び寄ってきた、、のかもしれないと思わせたのが「ソーシャルゲーム」である。
圧倒的に安いコストで作ったゲームが魔法のように収益をあげる。かくしてこういう発言が生まれた。
モバゲータウンを運営していることで知られるDeNAの南場社長がCEDECの基調講演で「任天堂やソニーは、人間でいうと還暦を過ぎている」と挑戦状をたたきつけたそうだ(MSN産経ニュース)。
「日本で過去30年間に生まれた企業が、世界のリーダーに上り詰めたケースはまだないが、その歴史を変えていく」とも述べ、ゲーム業界のリーダーを目指す姿勢を見せたとのこと
via: DeNAの社長曰く「任天堂やソニーは、人間でいうと還暦を過ぎている」 | スラッシュドット・ジャパン
この行く末はまだわからない。ゴミゲームを量産し、射幸心を煽ることで収益を上げてきたDeNAとGREEは変調が伝えられている。代わりにゲームの面白さと射幸心をうまく調和させた会社が「スマホ」というプラットフォームで成功をしているようだ。(つまりDeNAだのGREEだのというプラットフォームを必要としない)
そしてテレビ会社はなんと映画で稼いでいるのだそうな。
「視聴率は落ちても売り上げは落ちていない」
via: 映画興収抜きでは決算は赤字一歩手前 3位に転落したフジテレビの"黄昏" - リアルライブ
昨年、視聴率3位に転落したとき、フジテレビの日枝久会長はこう言って胸を張った。
ところが、2月初めに第3四半期('12年10~12月)の決算を発表した同局だが、数字を見る限りでは、「業績は落ちっ放し」だったのだ。
もう一つ「テレビ」を誘かやすかと思われたのがUGCである。ユーザが作成したコンテンツ。こんな見方もある。
時代は繰り返す。テレビコンテンツを作る体制はネットでは過剰で、例えばどのテレビ局のネット動画放送も、新興のニコニコ動画に、少なくとも視聴数ではまるでかなわない。
via: OL男子の勝手にネット広告批評 : 「大阪の虎ガラのオバチャンとデートする」企画の秘密とボツ写真集
視聴数はあるが、収益という点ではまだまだ先が見えない。かくしてユーザの隙間時間争奪戦の行方はまだ見えないし、イノベーションのジレンマだけで全てが説明できるほど単純でもなさそうだ。
ああ、野次馬として見ているぶんには面白いなあ。