大学の存在価値は

2013-07-03 07:12

明治大学に総合数理学部という学部ができたのだそうな。何故私がそんなことを知っているかといえば、知り合いの研究者(大学関連の)がごっそりそこに移動したからだ。

カリキュラムの内容などについて詳しく知っているわけではない。しかしいろいろな人の話しを聞くと、従来の「デパート方式:なんでもあります」式な学部ではなく、一点突破式の尖った教育を目指しているようだ。

それについては、例えば転校するときに大変だよ、とか企業が大学に求めていることは広い範囲の基礎知識だとかいろいろな意見もある。しかしこのように狙いをはっきり定めた試みは嫌いではない。もちろん議論はあるだろうが、新しい試みがなければただエントロピー極大の死に陥るだけである。

私は文部科学省の出費の元で生きたことがないので、そこらへんの事情についてはわからない。しかし総合数理学部の教員から漏れてくる言葉に少しの危うさを感じるのも事実である。

総合数理学部では「3つの言葉」を教える.この3つの言葉は社会にでていくうえでとっても重要で,この3つを同時に使いこなせる人のもつ「チカラ」はこれから社会で役に立つこと請け合いである.その3つの言葉とは

(1)数学という言葉
(2)プログラムという言葉
(3)英語

via: 明治大学総合数理学部はそもそも何が勉強できるところなのか|阿原 一志のブログ

ここで「数学」と言っているものは「統計」と呼ぶべきではないかと思う。最初にはいった会社の同期に、「私の専門整数論だから、わかんないんです」と事あるごとに繰り返していた人がいた。もちろん半分冗談なのだが、25%くらいは本気の雰囲気があった。そう言われてもねえ。

「統計」「プログラム」「英語」に絞るのは理解できる。少し気になるのは

総合数理では上の3つの言葉を習得し,「プレゼン」も「議論」もできる人材を育成するのが目標なのである.

via: 明治大学総合数理学部はそもそも何が勉強できるところなのか|阿原 一志のブログ

「プレゼン」「議論」がさらっと一行ですまされている点だ。私はこの総合数理学部に移動した宮下研の学生さんの発表を聞く機会が何度もあった。そして「どうも議論にならない」という感想を持つことが多い。勢いはある。楽しそうにやっているのもわかる。自分が作った物に対する愛情を持っているのもわかる。

しかしこちらの指摘に対してまともな答えが返ってきたことがない。ただ私が口ごもるのは「そもそも社会で必要とされている能力に、議論やらプレゼンが含まれているのか」全くわからないからだ。私がNTTソフトというNTTグループ内の下請け企業に勤めていた時、社長は鶴保という人だった。それなりに電電公社階層内での地位も高く、社長をやめたあともあちこちの要職についていたようだ。

しかし

彼が社員に対して行うスピーチは全くわけがわからなかった。そもそも聞き取れなかった。それでも社長の言葉だから社員は黙って聞かざるをえない。だからプレゼン能力なんて何の役にもたたたない、、と結論づけることもできる。しかしこれは目標だからまあいいとしよう。

一番気になるのは、総合数理学部の先生たちから漏れ聞こえてくるこうした言葉である。

さっそくはじめた1年ゼミで,僕はそのことを実感しているのである.学生さんをみていると,学部の3年生くらいのスキルを感じるのだが,実は入学してまだ3ヶ月なんだな,

via: 明治大学総合数理学部はそもそも何が勉強できるところなのか|阿原 一志のブログ

これは学生さんたちが読んでいることも理解しての煽りも入っているのだと想像はしている。

しかし「3ヶ月で3年生くらいのスキル」というのはちょっと気になる言葉だ。逆に言えば、「総合数理学部の判断では、他の大学でやっていることの91.6%は無駄だ」と言っていることになる。

別の言い方では「総合数理学部では他の大学の12倍の速度で教育をしている」ということになる。

この「新入生がたった3ヶ月でこんなものを作った!」という言葉は公文の「小学生が微積分を簡単に解く」といった言葉とどこか似たようなものを感じるのだが、それについては触れない。しかし教育の速度が12倍ということは2つの可能性を示唆している。

・総合数理学部のカリキュラムおよび教員の質があまりにも高いのでその速度が実現できた

もしくは

・評価基準が間違っている

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ちょっとここで私が考える「評価基準」を2つに区分しておこう。「社会にでてから役立つ」スキルについては正直わからない。これについて話すと長くなるからやめるが、別に英語なんかしゃべれなくて、四則演算がろくにできなくても「元請け大企業」に就職さえすれば、英語ペラペラで数学で博士号とった「派遣社員」をゴキブリのように扱うことができ、それで何の問題もない。それを成功というかどうかは個々の判断基準だし。

私が他の研究を見ていて一番重視するのは「素晴らしいSFのようであること」解こうとしている問題の着眼点がすばらしく、その解決方法が「そんな方法があったか」と思わずうならされるようなものだ。

そうした評価基準からすると3つの言葉は確かに「必要条件」かもしれない。しかしそれだけで終わっているのはちょっと物足りない気がする。

というか私は危惧している。プログラムが大好きで、英語でプレゼンもできて怪しげな統計データを振り回し自分の研究成果を楽しそうに発表するが、議論に全くならない学生が量産されるのではないか、と。実際に総合数理学部の教員さんたちの顔ぶれを見ていればそんな懸念は杞憂に終わるだろう、と思いはするのだけどね。