ヲタ芸から覚めるとき

2013-08-07 06:32

ヲタ芸というものを知っているだろうか?

コンサートなどおいて、ファンが繰り広げる、独特な動きを伴う踊りや掛け声のことである

via: オタ芸 - Wikipedia

ここで注目したいのは、これは自然に発生した「枠」だということだ。誰も彼らに「この曲ではこう踊ること」と強制してはいない。つまり日本人は枠がないと生きていけないのである。誰も枠を設定してくれなければ自分で作る。自分たちで「決まり」を作り、ひたすらそれに従う。従わない人間は排除する。

プロ野球の鳴り物応援、サッカーの決まりきった応援。日本人のいるところ「枠」がある。

オタ芸に対しては、コンサートなどでオタ芸をする事がイベント来場の主目的になっている[1][5]、自分たちの世界に入り込んでしまい独善的で周囲に気を使わない者がいる[7]、「オタ芸という名前が付いているだけで『迷惑行為』である」、といった批判もあり[5][11]、オタ芸が応援行為かそうでないかで意見が分かれている[5]

via: オタ芸 - Wikipedia

もう一つ注目したいのは、ヲタ芸において一番重要なのは「自分で作り上げた枠にぴったりはまっている自分」ということ。コンサートなどで行うのだから、自分が好きな歌手とかを応援すればいいと思うのだが、ここでは主体が自分自身になっている。

この「自分自身の姿に陶酔する」というのは、帝国陸軍にも多く見られた姿勢だ。

あるいは辻政信という人間の中にそうした姿を見ることができるかもしれない。ここから書くことはほぼ私の頭の中で造り上げた妄想である。何の裏付けもないことだが試みに書いてみよう。

彼の著書(からの引用)を読む限り彼は他人を批判するのが大好きだったようである。いくつかの記述によれば指揮官の突然の解任や、自決強要といったことにも関与している。

では彼自身がその責任を問われる事になったとき何をしたかと言えば腹など切らず戦犯解除になるまで逃亡し続けることだった。他人に対する態度と自らの行動の差異をどのように考えようか。

この人間は何よりも自分を愛していたのではなかろうか。そして自分の経験をを美しくふくらませた幻想の中に幸せを見いだしていた。彼の著書が適度な事実と多くの修辞的な妄想に彩られているのはそうした世界観の反映ではなかろうか。

彼にとってその美しい世界にそぐわない人間は断固排除すべき存在だった。その「醜い姿」を美しく昇華させる方法は自決であり罷免だった。しかし外界から自分が排除されそうになったとき、彼はその事実を受け入れることを拒んだ。彼の脳内で造り上げた美しい世界は常に彼を中心に動いており、そこで彼は主役であり観客であった。舞台の上でまずい演技をした役者を首にすることに躊躇はないが客が責任を問われるゆえんはない。

via: 失敗の本質の一部

自分が書いた文章を引用するのもなんだが、あれだけ他人に自決を強要した辻が、罪に服することもなく生き延びたのは一見奇妙にも思える。しかし彼が何よりも愛していたのは日本でも帝国陸軍でもなく自分であると考えれば納得できる気もする。帝国陸軍軍人というのは辻が踊っていた「ヲタ芸」だったのだ。

辻にとって一番の「敵」は米英ではなかった。彼の愛する「美しい帝国軍人としての自分」にそぐわないもの。それを一番憎み排除しようとしたのではなかろうか。
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日本が作り上げた世界に冠たるアイモード、それにNTT帝国というのも彼らにとっての「ヲタ芸」だった。

ユーザニーズに答えるため、年に2回新製品を投入。NTT様のご指導に従い、せっせと端末を作ればそれが一番。いつのまにかこういう「枠」ができあがり、そこにぴったりとハマることにメーカーの人達は血道を上げていたのだろう。そもそも自分たちが作り上げている製品はいいものなのか?ユーザに選ばれるものなのか?そんな「余計なこと」を考えるより

「◯◯部の◯◯さんは、パナソニック派だから」
「××さんにもう根回しは?」

とかそうしたヲタ芸を磨くことが重要だったのだろう。

後藤直義君、森川潤君が言うところの「普通の会社」アップルのやり方を見てみよう。彼らが携帯電話をメジャーアップデートするのは2年に一回。一機種で世界中で売り出す。それが老若男女に受け入れられる。

暗くて狭いコンサート会場でなら、自分たちの奇妙な動きに陶酔することができる。しかし広い場所にさらけださると、他の誰もヲタ芸なんか踊っていない。そこで誰かが

「俺達のやっていること恥ずかしくね?」

と気がついたかもしれない。しかしヲタ芸を踊り続けるしか彼らに道はなかった。そしていつかは終焉が訪れる。

「(国内メーカーは)3~4年、同じことを繰り返してきた。(端末を)作った、売れない、故障する、評判が悪い。ぜひ、ツートップに入るぞという気合を持っていただくとありがたい」

via: 過酷なスマホレース、ドコモは「長男」NECを助けなかった(exmobiler スマートフォン情報局) - IT - livedoor ニュース

お前の会社はどうなんだ、と言いたい人は多いだろうがまあそれはおいておいて。社長のコメントは正しい。それはずっと正しかった。しかし「気合をいれてヲタ芸を踊る」ことに熱心だったメーカーはいまさらのように驚いているのだろう。

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「ステージをろくに見ずに勝手に激しい動きをして達成感を得て帰る...というのは、本当に自己満足以外の何ものでもない」

 「オタ芸という名前が付いているだけで、それが迷惑行為だという事に気づいて頂きたい」

via: ZAKZAK

スマホという名前がついているだけで、それがゴミだということに気がついて頂きたい。崇拝の対象だった歌手(じゃなくて加藤社長)からこう言われることでようやく目が覚める。Party is over.