異なる文化の中で生きること

2013-08-30 06:37

まだ日本には「終身雇用制」の大企業というものがいくつも存在しており、その中で生きる人たちは自覚がないうちに日本語をしゃべれなくなっている。

つまり言葉の使い方とか背後のロジックが完全に大企業文化と一体化し、その文化を共有しない人間とは普通の会話ができなくなる。

そうした環境で暮らすことが何度かあった。その度に「ここは外国なんだ。この人はリヒテンシュタイン人なんだ」と思うようにしている。そうするとたいていのことはやりすごせる。

最近とみに思うのだが、「怒り」というのはつまるところ「勝手な思い込み」の副作用なのだ。自分が「かくあるべし」という姿を勝手に抱いているがために、それから外れたものに対して怒りを覚える。

ここから脱却するにはどうすればいいか。「勝手な思い込み」をなくすことだ。相手が自分と同一性を持っている、と仮定することから思い込みが始まる。相手は自分と何か根本的に別の人だ、と思えばあまり怒ろうという気にならない。

これは別に私特有の考え方では無いと思う。映画「ブラッド・ダイアモンド」ではTIAという言葉がよくでてきた。This is Africa.アフリカなんだからしょうがない。そして先日こういう記事を読んだ。

「外国人として受け入れがたいことは『ショウガナイ』って思うことが大事。ジャパニーズスタイルは理解しているよ」

via: 松井秀喜とラミレスの言葉で考える、55本塁打と、敬遠と、"日本人"。 (Number Web) - Yahoo!ニュース

異なる文化の中で生き、結果を残してきた人の言葉には重みがある。「ショウガナイ」これはTIAと同義語だと思う。

かつてデンソーの子会社で働いていた時「デンソーの人間とは論理的な会話はできない」とかなり早期に悟った。彼らがしゃべるのは「デンソー語」であり、彼らが駆使するのは「デンソーロジック」なのだ。そうなるとTID, This is DENSOもしくは「ショウガナイ」の悟りが生まれてくる。それができて随分楽になった。電電公社の末端子会社で働いていたときもそうだった。TID. This is Denden Kousya.

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という議論とは別に、この記事を読んで滑稽に思うのは

「いつまで王の55本とかいう数字にこだわるのか?」

という点だ。調べてみたら1964年の記録じゃないか。そんな半世紀も前の記録に何の意味があるのか。だいたい王の現役時代を知っている人なんてそういないだろうし。

というかあれだな。未だに野球を見ている人は、ほとんど50歳以上の男性だけだと聞く。

第1戦は世帯視聴率だけを見ると12.5%で、まあまあ高いかなと思っていたのですが...

M3(=50歳以上男性)が16%と突出していて、他の世代はほとんど見ていないのですね。

via: プロ野球の視聴率を語るblog

プロ野球はそういう人たちのものだから、半世紀前の記録にこだわるのもうなずける、、と思わなくてはならない。TIJ.This is Japanだ。