iPhone発表という狂気

2013-10-17 06:53

寝ぼけ眼でiPhone発表のビデオを見た時の衝撃は今も忘れない。スイスイ動いている画面をみても

「これはきっとデモだ」

と思っていた。しかしSteve Jobsが本当に実機でそれを操作していたのだ。

それからたった6年しかたっていないがiPhoneは本当に激震だった。その舞台裏がかいま見られるようになったのはうれしいことだ。

2007 年1月の iPhone を発表はギャンブルだったといっても過言ではない。今までとは異なった電話 -- アップルがこれまで作ったことのないもの -- という意味だけでなく、まだほとんど動かないプロトタイプで発表しようとしていたからだ。実際の発売はまだ半年ほど先だったが、ジョブズはみんながすぐ欲しがることを望んだのだ。

via: オリジナル iPhone のデビューは大きな賭けだった -- iPhone 開発秘話 | maclalala2

私が思った以上に「薄氷を踏む」発表だったとのこと。それでありながら、あれだけ落ち着いてプレゼンテーションをしていたSteve Jobsというのは(いい意味でも悪い意味でも)普通の神経ではないと思う。

こういう状況であれば、担当したエンジニアがこうやって祝ったのも当然のこと。

「自分たちは -- エンジニアもマネージャーもみんな -- 5列目あたりに座っていた。それぞれのデモ部分が終わるたびにスコッチを一杯やった。自分たちの仲間は5〜6人いた。それぞれが自分の担当するデモが終わるたびに一杯やった。すべてが順調に進んでフィナーレになったとき、誰のフラスク・ボトルもカラッポだった。これまでやったうちでいちばん素晴らしいデモだった。その日は iPhone チーム全員にとって最高の日だった。街に繰り出して終日飲みまくった。もうメチャメチャだったが、すこぶるいい気分だった。」

via: オリジナル iPhone のデビューは大きな賭けだった -- iPhone 開発秘話 | maclalala2

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ここには書かれていないことだが、彼らはこの6ヶ月あとには製品を発売しなくてはならなかったのだ!これは考えようによってはもっと恐ろしいこと。デモは慎重に設計することで惨劇をさけることができる。そんな事情の通用しない普通の人が、アラをさがそうと触りまくる。それに耐えるだけの製品に仕上げなくてはならないのだ。

二日酔いが冷めた頃に、彼らと彼女たちは次の山に向かっていったことだろう。原文にはストレスのひどさから多くの人間が会社を去ったことが書かれている。当然だと思う。

「世の中を変革する製品を開発した!」

と言える栄誉がどれだけの犠牲を正当化するのかは、人によって異なる。

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私が勤めている会社には「携帯電話からwebサイトをみたとき」の検証用端末が何台もある。昨日それらを手にとってみていた。今や誰も振り向かないガラケーの山。しかしそれぞれに工夫をこらし、知恵を絞って作ったことだけは私にも伝わってくる。そしてその影には膨大な犠牲があった。

俺たちは、仕様も知らされぬまま横須賀に送り込まれた。
依頼主も孫請けらしく、正確な情報はかなり伝言ゲーム的にそれも口頭でしか伝えられない。
俺たちは、経験5年の軍曹1人と、経験2年の上等兵1人と、新人の2等兵3人の小隊だった。
現地に就くなり、現場は火を噴いた有様だった。果てしないデバッグの果てに
納期を過ぎてペナルティなのか要求項目が倍増したらしいのだ。俺たちが
派遣された場所の前任者(というより部隊)は全員ウツになって戦線離脱した
らしい。

via: ねもすぎ雑記 【軍曹が】携帯電話開発の現状【語る】

彼らが払った犠牲を、Apple社のエンジニア達がはらったそれと比べることは簡単ではない。しかし明確な違いが1点ある。

Apple社エンジニアたちの犠牲はすばらしい製品を生み出し、それは世界を信じられないほど変えた。

横須賀に送り込まれうつ病になった人たち。彼らの犠牲はどこにいったのだろう。何かの役にたったのだろうか。先日中学の同級生にあったとき

「ガラケーってガラクタケータイの略?」

と言われた。彼らと彼女たちは人生を犠牲にしてガラクタを作っていたのだろうか。そんなことを考えながら、ガラケーを一台一台眺めていた。