未来はいつも悪夢

2013-12-10 06:52

こんなビデオを見つけた

いつでもどこでも情報機器にアクセス、がこんな悪夢を生む。音声インタフェースが人間にとって自然なインタフェースだとか言っている人間はこのビデオを見て少し考えるべきだ。

------

こうした情報機器の問題はなんだろう。話の途中(とこちらは思っている)で携帯電話を覗かれる不愉快な経験をしたことがあるのは私だけではないと信じたい。

話としてはこうだ。情報機器(あるいはその先にある人間)との対話、というコンテキストがどこにでも入り込んでくることが問題だと。物理的な制約を超えて情報機器あるいは他の人間との対話が可能になってしまったことにより、目の前に誰がいるかを考えず「話しかける」滑稽な状況が生まれたと。

問題はコンテキストの混乱。会社のメールをどこでも閲覧できるようになった瞬間から、プライベートなやすらぎの時間がなくなった。どこでも仕事になってしまったのだ。

「便利さ」と引き換えに失ってしまった価値についてよく考える必要がある。そして「便利さ」を制限する必要があるのだ。いわば携帯情報機器というのは原爆のようなものである。それは確かにその目的に対してとても優秀である。しかしそれを使った時の影響はどうか?今のところ、という強固な条件つきだが、人間は2回しか原子爆弾を実標的に対して用いていない。つまり「便利さ」を制限することは人間にとって可能なのだ。

より小型の「情報機器」はあっというまに蔓延し、いろいろな問題をもたらしている。個人的にはこの「小型原爆」との付き合いが少し上手になったと思っている。取得する情報をどんどん減らしているのだ。それで損することはほとんどないし、心は少し安らかになったと思う。

Google Glassははたして普及するのだろうか?数多い時計型デバイスはどうか。どこかでそうした試みが無意味になっていることに誰かが気がつくだろうか?