ニコニコ学会ベータで失望したという記事を読んで

2013-12-27 06:50

いくつか考えるところがあったので書いておきたい。

前半は初音ミクのオペラを作った渋谷慶一郎を囲む会で、ホリエモンはまだ出てなかったので、とりあえず安心。だが......

聞くのが苦痛だった。壇上の人々が何を言っているのかぼくはさっぱりわからなかったし、わかりたいという気にもならなかった。個別の単語はわかるんだけど、それが論理的にまったくつながっておらず、そしてそれを各人の発言も論理的にまったくかみ合わず、単にその単語の表面的なつながりだけであちこちふらふらするだけなんだもん。

via: ニコニコ学会ベータでの失望 (12/21) - 山形浩生 の「経済のトリセツ」

こういう会話をする人は多い。というかほとんど芸の域まで達している人をみて「すごいなあ」と感嘆することはある。

こういう「何も言っていないが、とりあえずそれらしい単語を並べる」という話芸に出会ったとき、選択肢があれば私は黙る。何を言っても無駄だからだ。

ちなみに、ニコ生でついていたコメントも、半分くらいの連中はちょっとした言葉尻で知ったかぶりをしたい連中が半分、わからないことがなにやら深遠だと思っているバカが半分、あとの半分は正直にわかんないと言える連中だった。

via: ニコニコ学会ベータでの失望 (12/21) - 山形浩生 の「経済のトリセツ」

これも「ふむふむ」と頷ける割合だ。というか「衒学的なゴミ映画」の映画評はほとんどこんな感じ。困ったことに映画評を自ら書く人間は、ほとんど「しったかぶりか深淵な事」を言いたがる人だ、というのが困ったところなのだが。

が、常識人だと思っていた江渡浩一郎が、それに同調しはじめたのにはさらに驚いた。「いやあ、大学卒と専門学校卒の人は全然ちがいますよ。絶対ちがいますよ」

......唖然。

ホリエモンはそれを受けてさらに、いや一体お前らが何を言っているのかわからない、と何度も繰り返した。

via: ニコニコ学会ベータでの失望 (12/21) - 山形浩生 の「経済のトリセツ」

私は堀江という人をほとんど評価していないが、ここで「お前らが何を言っているかわからない」と公言できるところは「まとも」だと思う。しかし「場」というのは基本的に多数決の場所なのだ。おかしなことを言っている人の中で一人まともなことを言ってもなんともならない。

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こうした場所はいろんな場所で観たような気がする。いわゆる「日本人の議論ベタ」というやつである。もっと言えば「議論が芸になっていない」つまり傍からみて面白く無いのだ。

こうやって人前で議論するからには、「議論を聞いて楽しんでもらおう」と思っているに違いない。(金までとってるんだから)というわけで、壇上にいる人達は「観客に楽しんでもらう」という義務を負っているわけだ。

そう考えれば、少しは余裕をもって議論をできないかな?仮に意見が異なったとしてもそれは「俺の意見が否定されている!」じゃなくてプロレスラーが技を掛けあっているようなものだ。であれば、相手の技を見事にうけ、そのあと自分の必殺技を繰り出せば、観客はわいてくれると思うのだ。

日本人の議論ベタの根本にあるのは、この「余裕のなさ」だと思う。なんだか常に「皇国の興廃この一戦にあり」的な余裕のなさで議論するから傍からみてつまらなくなるし、感情的、抽象的になる。そんなところで何喋ったて対して変わるわけじゃないんだから、みんなの前でプロレスを披露してはどうかなあ、と思うのだが。