スクラムとかリーンとかデザイン思考とかは全部ゴミ
2014-03-13 07:05
いきなりだが、今日言いたいこと。
「スクラムとかリーンなんとか、とかデザイン思考は全部ゴミ」
いきなり何を言い出すのか。スクラムというプロセス自体はそれなりに興味深いのだが、それに関わっている人がなんだか不思議ななのだ。皆共通した雰囲気を持っているように思える。まあそれはいいや。しかし妙に用語とか「スクラムやってるんだよ」という事自体に重きをおいているように思うのだ。リーンUXという言葉をこの前聞いた。
ITで行われるLean開発もこれと同じく、組織と開発の中での無駄を排除しようというプロセスのことを指します。
では、その「Lean開発」に「UX」を取り込むとどうなるのでしょうか。
via: 「Lean UX」モバイルゲーム開発 (1/2) | GREE Creators Blog
無駄をなくすなら、トヨタに習えば良い。少なくとも生産技術に関してはこれは事実だろう。問題は無駄をなくすだけでは十分ではない、ということだ。
デザイン思考。この言葉も良く聞くが何度読んでも「だから何?」という気がする。異を唱えるつもりはないのだが、何かが決定的に欠けている。
こうした違和感はだいぶ前から感じていたものだ。では何故今日こんな文章を書いているかといえば、ようやく腑に落ちる「プロセス」の話しを読んだから。
つまり、たったひとりの大きな問題意識がまず最初にあって(Q)、それに対する情熱を殺さずに育てる(P)。そして、周囲を巻き込みながらプロジェクト化し、集団で試行錯誤を積み重ねること(M)。それを会社全体で実行することが、イノベーションを起こす組織になるための唯一の方法ではないか、と僕は思うのです。
via: ここがヘンだよ!日本企業のイノベーション | オリジナル | 東洋経済オンライン | 新世代リーダーのためのビジネスサイト
私なりに解釈すると「イノベーションはたったひとりの狂気から生まれる」改善を行うなら多くの人間の知恵を集めるのも有効だろう。しかし今存在しないものを想像し、それが素晴らしいものである、と価値を認めるのを多くの人間で行うことはできない。というか「今存在しないものを想像し、その価値を認める」というのは客観的に見ると精神に異常があるとしか思えない。幻覚とか妄想のたぐいだ。
私が◯◯プロセスに「どこか欠けている」感をもつのは、この「個人の狂気」という要素が欠けていたからなのだ。
学会で玉石混交の発表を聞くことがある。「先輩の研究を受け継ぎました」という発表は実に面白く無い。「卒業するのに必要だからやってます」というのは論外である。心に残るのは、非凡な狂気。誰もが抱く「ありきたりの妄想」ではなく、その人独自の価値観が反映されたテーマ。そしてそれを実現しようという情熱があるもの。短い言葉で言えば「インパクト」。やらされるのではなく、「これが正しい。これがあるべきだ」という思いから作っているもの。(「これは新しいし難しい。だから論文になる」も論外だよ)
あまり明文化されることはないが、こうしたことができる人間の数は実はあまり多くない。以前「自分の中に爆発する卵を持っている人」と表現したことがあるような気がする。岡本太郎は「芸術は爆発だ」と言った。私は「研究は爆発だ」と思っている。「これが正しい。これがあるべきだ」という非合理な思い込みからしかユニークな研究は生まれないと思うのだ。
こうした「爆発する卵」を後天的に教育で作り出すことができるか?もし可能だとしたらどういうプロセスがあるのか。こうした観点の「プロセス」ならば大いに興味がある。
プロセスではなく、今ぽっと頭に浮かんだ言葉を書いておく。そうした「爆発する卵」と「ありきたりな妄想」を分けるものがあるとすれば、それは「同じ分野の動向、事例を学ぶ意欲」と「凡庸さが我慢できない」という性格ではなかろうか。とだんだんまとまらなくなってきたのでここで唐突に終わる。