モバイルとPCで何を分け、何を共通化するのか
2014-06-05 08:10
まずは話の枕にこんな記事を引用する。
ユーザーレベルの視点で話をするなら、iPhoneで使っているアプリが、タッチ対応になったMacBook Airでも使えたらどんなに便利だろう。
via: 【笠原一輝のユビキタス情報局】MicrosoftがUniversal Appsと次期Windowsで目指す新世界 - PC Watch
この記事自体意味不明だが、こういう言説をする人にはまずこう聞きたい。
「そういう世界はもうWindowsで実現されている。であなたはそれが本当に便利だと思っているの?使っているの?」
WindowsとiOS+Mac OSがモバイルとPCに対して異なる「切り方」をしていることはこれまでも何度か言及してきた。そして今回Appleが発表したContinuityをこうした観点からみるのも面白いと思う。
これらの中でもっとも注目すべき部分は、iOSとMacの連続性を表すContinuityだ。これからは、モバイルとデスクトップをそれぞれ別のもの、別世界と考える必要がなくなるのだ。しかもそれは、Appleのネイティブのアプリやサービスに組み込まれているだけでなく、サードパーティのデベロッパにも公開される。二つのデバイスをWiFiネットワークの共有という形でペアにしてもよいし、ご近所同士ならBluetoothのキューやレンジを利用してもよい。デスクトップ上のSMSや電話の入呼起呼もContinuityになるから、いわばモバイルとデスクトップがシームレスにブレンドされる。しかも、そのための不格好なつぎはぎ細工…MicrosoftのWindows 8的?…は要らない。
via: iOS 7はiOSを変えたがiOS 8はコンピューティングを変える | TechCrunch Japan
わたしのようなApple原理主義者でなくても、上記の主張には同意してもらえるのではないかと思う。つまりAppleはOSを共通化するとか、同じソースから簡単に複数プラットフォーム対応のアプリができる、といったようには考えなかったのだ。
そうではなく、ユーザにとって本当に「共通化したいのか何か」をきちんと考えたのだと思う。その結果がWWDCでデモした
「iPhoneで書きかけた返事の続きを、Mac上で続ける」
「SMSや電話での会話はiPhoneでもMacでも可能」
という姿なのだ。その背後にあるOSが共通だとはそうでないとかはどうでもいいんだよ。
最近人前でしゃべるときに強調している点だが
「離れた画面をキーボードとマウスで操作するPCのインタフェースと、手のひらの中にディスプレイが存在しそれを親指で操作するインタフェースは根本的に異なるべきだ」
という点をおそらくMicrosoftそれに笠原氏は認識していない。それ故
だが、Universal Windows Appsの意味はそれだけに留まらない。アプリの開発者がディスプレイの解像度の違いを吸収する設計をすればという前提条件は付くものの、Universal Windows Appsにより、4型から、それこそ100型といった大型までどんなタイプのディスプレイでも動くアプリプラットフォームを得られる
via: 【笠原一輝のユビキタス情報局】MicrosoftがUniversal Appsと次期Windowsで目指す新世界 - PC Watch
こういう寝言に意味があると信じるのだと思う。ここでさらっと条件として簡単に述べている
「アプリの開発者がディスプレイの解像度の違いを吸収する設計」
というところが問題なのだ。そうした本質的かつ重大な問題から目をそらして、「どんなディスプレイでも動くアプリ」なんて言ったって意味はない。
愛すべきMicrosoftはいつになったそのことに気がつくのだろう。しかしあれだね。「これでMicrosoft勝つる!」という「評論家」の文章はずいぶん読んだ気がするけど、いつその「変化」は到来するのだろう。