採用面接

2014-09-04 07:17

必要に迫られたわけでは全くないのだが、なぜか最近「採用面接」に関する文章を読んでいる。

手元にないので、うろ覚えで書くが、最近読んだこの本。


イスラエル軍で、様々な任務への適正をみるため、数人のグループに課題を与える。心理学の学位を持っている著者はその様子をじっと観察する。この男はリーダシップがある。この男はグループ向きではない。云々。

その結果元に数人で議論し評価をつける。その結果若者達は様々な分野に配属されるが、結果は全く役に立っていない、という話だ。

この話はとても印象に残る。なぜかと言えば著者がちゃんとフィードバックを受け入れており、自分たちの評価方法が全く役に立っていないことを認めているから。世の中に採用面接がどれだけ行われているかしらないが、そもそもそのフィードバックをしている組織は0.1%もないのではないか。

グループワークをさせてその反応を見る、なんてのは実に今時の企業が行っている採用面接を思い出させる(実際は知らんよ。私が新卒だったのは30年も前だから)そして多大なコストをかけ採用した若者は3ヶ月で鬱病になってやめる。

何度か採用面接をする側に回った事もある。某自動車部品メーカーの子会社にいた時を思い出す。彼らは「トヨタグループ以外の人間は、知的にチャレンジされているかわいそうな人」というメンタリティの持ち主だから、採用面接に「かわいそうな人」が同席していても発言の機会等最後の3分しか与えない。そして採用面接というのは「自分が絶対的に正しい」と思える数少ない場面だ。得意になってあれこれ質問する。

端で聞いていると「なんでおれはこんな会社で働いているんだろう」と情けなくなってくる。いや、これも全て私が悪い。そう悟りを開いた頃面接は終わる。総務担当の人が面接を受けた人を送っていくのだが、また会議室に戻ってくる。そして「彼はA型です」と報告する。その後には「最後のサプライズ」が待っている。評価が多くの場合180度異なるのだ。

そんな採用面接を経て採用した人にはいろいろな人がいた。「世の中にはこんな人がいるのか」と勉強になった事も多い。一番驚くのはそれにも関わらず彼らがその面接の仕方を全くかえようとしなかったことだ。


今までの面接を振り返り、プログラムを書く仕事で人を雇う場合、短くてもいいからコードを書かせるのはよい事だと思う、と書いていて「ああ、あのとき書かせてないよなあ」と反省する気持ちがわき起こる。人の面接を批判するのは簡単だが、少なくとも自分だけでもなんとかしなくちゃね。

そして今日読んだ文章。

don’t hire assholes, no matter how good they are;

via: This is why you never end up hiring good developers - Quartz


これを理解しない企業が多い事にも驚く。いや、そういう企業があるから私が職を得ていられるのだろうけど。